プログラムされた死(2009529)

  1. 死の遺伝子

    東京理科大学のゲノム創薬研究センターで、遺伝子DNAの自己修復メカニズムを研究していた田沼靖一教授は、細胞に活性酸素や紫外線などのダメージを少し多く加えると、細胞が葡萄状の粒子に分離してやがて死亡する現象を目撃した。 過去の論文を調べると、1972年、イギリスの生物学者が発表した細胞の自然死「アポトーシス」の記述が同じ現象を記述していた。 しかし、自然死のメカニズムについては触れられていなかった。

    その後教授は研究を重ね、人間の第3染色体に1組の死の遺伝子が存在する事を突き止めた。 この遺伝子は人間を始め有性生殖をする殆どの生物が持っている事も分かった。

    この遺伝子は細胞が生成されると同時に活動を開始し、2つの酵素を細胞内に生成する。常時は不活性であるが、細胞にダメージが与えられると活動を開始し、第一の酵素は細胞内の結合組織である細胞骨格を切断する。 次に第2の酵素が細胞核内にあるDNAを規則正しく細かく切断し、それらの断片を細胞膜などで包んで葡萄状の粒子の塊である「アポトーシス小体」を生成する。 これは、DNA断片を裸のまま放置すると、自己免疫疾患などの病気を起こすのを回避する為である。

    葡萄状にラップされたDNA断片等はマクロファージに食べられて消滅する。 これが、「アポトーシス」すなわち自らプログラムされた細胞の自然死である。

    人間の成人は60兆個の細胞を持つが、一日平均、約30,000,000個の細胞がアポトーシスで死に、新しい細胞に置き換わっている事も分かった。 と言うことは、人体を構成する細胞は、約200日ですべて新しい細胞に置き換わるともいえる。 実際には、心筋細胞や脳の神経細胞の様に一生生き続ける細胞もあるが、例えば、皮膚の細胞は28日で新しく入れ替わり、古い細胞は垢となって剥がれ落ちていく。 また、赤血球の寿命は30日、肝臓を構成する細胞は1年ですべて置き換わる。

    生物には個体の死と言う寿命があるが、アポトーシスは、生物が健康に生きる為の個々の細胞の死であり、その機能が細胞内にある死の遺伝子にプログラムされているのである。 人間の胎児の指の間には最初水掻きのような膜状のものがあるが、生れるまでにその膜はアポトーシスによって除去され、正常な5本の指を持って生れてくる。このような所にもアポトーシスが使われている。

  2. 死の遺伝子の起源

    細菌などの原始的な生物は死の遺伝子を持っていない。 細胞分裂により際限なく増え続ける。 昔、秦の始皇帝が全ての物を手に入れた後、不老不死の薬を求めて使者を世界の果てまで使わせたが、遂に手に入れる事は出来なかった。 しかし、生物は出現初期から約20億年、不老不死であった。 この能力を失ったのは、有性生殖の機能を獲得した15億年前であった。 有性生殖の機能を獲得するまでは、生物には“死”は存在しなかった。 なぜ有性生殖と引き換えに死の遺伝子を持つ様になったか。

    有性生殖の利点は、減数分裂によって雌雄に分かれた異なる遺伝子を合体させて子孫の遺伝子を生成する為、遺伝子の多様性が増し、厳しい自然環境への適応能力が増大する事である。 無性生殖でも突然変異による遺伝子の進化(一種の多様化)は生じるが、親と同じ遺伝子が子孫にそのまま引き継がれるクローン繁殖である。 これに対し、有性生殖では個体間の異なる突然変異やへテロ遺伝子(例えば目の色を決める遺伝子には色々な色を出現する数種類の類似遺伝子がある。元は一種類しかなかったが突然変異で分化した。これらをヘテロ遺伝子と言う。 完全に同じ遺伝子ならホモ遺伝子と言う。)が合体して混ざり合うので、遺伝子の異なる組み合わせが発生し、多様化が促進される。 進化の途上で出現した有性生殖が生物界に広く普及したのは、多様化による環境適応力増大の有利性が起因している。

    生命維持に有利な有性生殖の欠点は、多様化が促進される代わりに、生存に不利な遺伝子の組み合わせが生じる確率も増大する点にある。 そこで、死の遺伝子を持つ事によって不都合な遺伝子組み合わせが起きた場合にそれを消去し(自殺させ)、子孫に継承されない様にする進化が自然選択されたと想像される。 

    我々個体の寿命は有限である。 必ず死が訪れる。 しかし、老衰や病気による死は、上述の死の遺伝子と直接関係は無い。生殖能力を失った年取った個体に死をもたらすのはまた別のメカニズムによるが、ここでは説明を控える。

    以上の記述は、NHKのテレビ番組「サイエンスZERO・人間シリーズ・死に向かう心」を参考にして書いたものである。