宗教はこの世を救えるか(2007年10月13日)

  1. 宗教対立

    現在イラクではスンニ派とシーア派の対立が激化し、双方の復讐合戦が泥沼化している。何故同じイスラム教同士が対立するのか。 イラク戦争前、フセイン統治時代にはスンニ派が政権を取り、シーア派を弾圧した時代が続いた。 アメリカが先制攻撃を掛け、フセイン政権を倒すと、今度はシーア派がアメリカと組んでスンニ派を弾圧する立場に立った。

    宗教が政治や民族と直結し、政争や民族紛争の具に使用されている。

    同じ様な歴史はキリスト教にもあった。古くはカソリックとギリシャ正教の対立、ルソーの宗教改革後はカソリックとプロテスタント間の対立抗争があり、大量のプロテスタントが新大陸アメリカに移住し、アメリカ合衆国を建国した。 一方、ラテン系の植民地となったメキシコ以南の中南米では原住民はカソリックに改宗され、多くの保守的な国家が形成された。 カソリックは伝統を守り保守的傾向が強い。 

    新大陸では国内での宗教的対立は生じなかった。 しかし、色々な民族が歴史的大移動をし、混ざり合っていた旧大陸では、国内における宗教的な対立が民族的紛争の引き金となって燻り続けた。 米ソのイデオロギー対立時代には共産主義陣営と自由主義陣営の対立が先行し、民族紛争は抑圧されていたが、ソ連邦の崩壊を期に民族的対立が顕在化し多民族混成国家内の民族紛争が再燃し、民族独立戦争が各地で勃発した。 それは宗教間の排他的な性格によってより一層激化した。 宗教はこの世を救う機能を発揮するどころか、血を血で洗う憎悪感を煽り立てる道具に成り下がった。

  2. 現代宗教の欠陥

    日本人には無神論者が多い。 しかし、自然崇拝の宗教が新しい仏教の出現で消滅し、時の為政者と政教合体した仏教の力で世の中の秩序は辛くも保たれた。 近代に入って政教分離の原則、信教の自由が叫ばれ、宗教は政治的な力を失ったが、民族的な結束は宗教の力で一層強化された。 そして、民族紛争の絶えない現代社会が出現した。

    この地球上で人類が進化し、自然界の生存競争の頂点に立つ過程で、人間は自然の脅威に打ち勝ちながら、少ない食料を求めて他の民族と熾烈な生存競争を展開した。 戦争に明け暮れる、罪深くか弱い人間には精神的な拠り所が必要で、自然を畏怖する心から自然界の力あるもの全てを神として崇める原始宗教が誕生した。その後人間社会が繁栄するに連れ、自然界よりは人間同士の関係を重視する宗教が生まれる素地が出来た。 そうして、人間中心の宗教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの近代宗教が出現し、信者の心を捉え生活の拠り所となって行った。 近代宗教には社会を結束し安定化する機能と異教徒を排斥する機能の二面性がある。 信仰の自由が認められた現代社会にも宗教の排他性はしっかりと温存されており、人間はその呪縛から解放されていない。 それどころか、同じ宗教の中に更に排他的な宗派が発生し、民族紛争を煽っているのが現状である。

  3. 宗教は救世主足りうるか

    現在の社会を規制しているのは法律である。人間の性悪性が払拭されない以上、法律で人間の行動を規制するのは仕方のない事である。 それでは法律さえあれば人間の心は平穏に保てるか。 法律は人間の心の奥底にある苦悩は救ってくれない。 どうしても、宗教の力を必要とするか弱い人には宗教は必要である。 しかし、宗教が民族紛争の火種にならない為には宗教の持つ欠点を改革しなければならない。 そのためには、ルソーの宗教改革とは異なり、宗教の持つ排他性、自分だけが正しいと言う唯我独尊の思想を払拭する必要がある。 人間は多様な価値観を持つ動物であり、自分だけが正しいと言う宗教的信念を押し付けるのは間違っている。多様な価値観を容認する事を美徳とし、信仰の自由を本当に認め異教徒と共存する事の重要さを各宗教の教義に包含する必要がある。 地球環境の改善、自然界との共存の重要性をその教義に加え、近代的な宗教に脱皮しない限り、遠い将来古臭い現在の宗教を信じる人は居なくなる可能性すら予見できる。

    遠い未来を描写させたらこの人の右に出る人は居ないSF作家アーサー・C・クラーク氏は「3001年終局への旅」で、あと1000年の内に現代宗教は消滅すると確信を持って予言している。