ルール厳守(0363

  1. ルールの限界

    信号が赤でも、車が来ない時は横断歩道を渡る。 アジアの国や関西地方では良く見かける光景である。 私もしばしばそうする。リスクに対する責任は取る心算で渡っているが、交通ルール上違反行為である事は知っている。

    交通信号は人間が作ったものであるが、その知能程度は低く、人間の方が数段優れた判断が出来る。 急ぎの用事が有るのに車が全然来ない交差点でじっと待っている必要は無い。 車は欠陥商品であり、小回りが効かないので交通信号に従って運転する方が安全であるが、人間は下等な標識などにコントロールされるべきではない。 ただし、側に子供がいる時は、真似されると困るので仕方なく待っている。

    ルールは所詮人間が作ったものであり、簡単明瞭を良しとする。 例外事項を沢山付けるとその効果が半減する。 本質的に不完全なものであり、作成者である人間がそれに縛られる必要は無い。

    例外は、スポーツや各種競技のルールである。 これらは公平な条件の下で技を競うので、ルールは絶対に守らないといけない。

    以前、横浜市内を走っていて、52kmのスピードで罰金を払わされた。他の車と同じ様に走っていたのに何故私だけを捕まえたかと警官に食って掛かったら、貴方は運が悪かったと言われた。 スピードや駐車違反をしている車は履いて捨てるほどあるが、捕まるのはその数千分の一である。要するにルールなんてその程度のものなのである。(3.似非サンプリング社会参照)

  2. 陳腐化するルール

    人間が作ったルールはその内独り歩きを始める。 そうして、時代とともに次第に制度疲労を起こして来る。 共産主義をそうだった。 資本主義もあと何年持つか分からない。 人間自体が時々刻々変化しており、社会も連れて変貌して行く。 ルールはその時代の過半数の人を満足する様に作らるべきなので、社会の要求が変わると共に修正されねばならない。

    毎日の新聞を賑わせている話題は殆どがこの事に関連している。

    修正に当たって注意すべきは、必ず圧力集団が存在して、彼らの都合に良い方向にルールを改訂し益々容易に金儲けが出来る様にしようと画策する事である。  自民党の○○族などは政治を私物化する圧力集団に他ならない。

    民主主義は最大多数の最大幸福達成を目標とするものであり、今の政治は真の民主主義ではない。 我々はルールの改変が特定集団への利益誘導にならないかどうかを常に監視していなければならない。同じ事はグローバル化した国際政治に対しても言える。

  3. 真に頼れるもの

    情報化時代、本屋には「ハウツー」ものが氾濫し、皆で勝手な事を書き巻くって紙資源の無駄使いをしている。 これらはすべてその時その時の刹那的思い付きであり、一年の経てば殆ど淘汰され消えて行く運命にある。

    永久に不滅なのは宇宙の原理であり、人智が解明して来た自然の摂理である。 我々の発想は、単なる思い付きではなく、これら不変の原理に基ずくべきである。 皆で勝手な事を言わないで、この際初心に帰り、人間の本質に根ざした考察にもっと時間と労力を掛けるべきではなかろうか。

    簡単に言うと、「生命とは何か」をよく考え、そこに発想の原点を置くべきである。 枝葉末節に現を抜かす愚を繰り返さず、徒に貴重なエネルギーを浪費すべきではない。