時の流れ(04/4/14)

  1. 昔の映画

    先日、小津安二郎監督の懐かしい名画がテレビで放映された。 原節子、新珠三千代、司葉子など若い頃よく見た女優たちの若々しい姿を見て遙かなる「時の流れ」を感じた。 最近、小津作品の特集をアメリカでもやったらしいが、今も彼の根強いフアンがいる事はちょとした驚異である。

    昨今のアメリカ映画の「気ぜわしい」「赤裸々な」描写に比べ、小津作品の、なんと「のんびりした」「奥ゆかしい」生活リズムを醸し出していることか。

    40年前の我々は、これらの映画を見ても、その生活リズムに違和感を感じなかった。 今見ると、あの頃の質素な生活が、はるか遠い昔々の出来事の様に違和感を伴って偲ばれる。 しかし、テレビもクーラーもパソコンも無かった時代の生活を、人々は結構楽しんでいた事も伺える。

  2. 思い出のメロディ

    テレビで時々、昔流行った持ち歌を年取った歌手が昔通りに歌う「思い出のメロディ」を見る。 本人の若い頃の「ビデオ」が流される事もある。 

    40年経つと人間の顔はこんなに変わるものかと驚かされる。 瑞々しかった美人も今は見る影も無い。 遙かなる「時に流れ」を痛感する。

    10年一昔と言うが、40年経つと社会も個人も大きく変わってくる。 皺一つ無かった美人にも、時の流れは容赦なく刻み込まれる。 何人もそれを回避する事は出来ない。 30代の主婦がベビーカーに子供を乗せて街角を歩いて行く。 子供は親に似た表情をしているが、皆「ふくよか」で健康そのものである。 それに比べ母親の方には何処かに忍び寄る老いの兆候が読み取れる。 30年間の「時の流れ」が克明に刻み込まれている。

    他人事ではない。 自分と子供と孫を並べて見ると、そこにはまぎれも無く3代に亘る時の流れが確実に刻まれている。  本人はまだ若い気でいても、目の前の厳然たる事実を突き付けられては素直に認めざるを得ない。

  3. 老化のメカニズム

    生物学的に見て、「老化」とは一体何を意味するのか。

    老化は次第に死に近づく事である。 それでは、死とは何か?

    生物を構成する細胞には「生殖細胞」と「体細胞」がある。 この内、「生殖細胞」は次世代に引き継がれて生き続けるので、無限の寿命を持っていると言える。

    一方「体細胞」の方は細胞分裂の回数に上限があり、一定時間経つと分裂を停止して死を迎える。 人間の場合、それは約100年と考えられる。  ただし、脳の神経細胞や心臓の筋肉細胞は幼児期に分裂して脳や心臓を構成すると、その時点で細胞分裂を停止し、それから長時間生き続ける。 ある個体の死とはこれらの非分裂細胞群が死ぬ事である。 脳死、心臓停止が個体の死と判断される。ここでは病死は考えない。

    非分裂細胞の寿命はどの様にして決まるのか。 これらの細胞の死は「アポトーシス」(遺伝子にプログラムされた自殺機能による細胞死)によると言われる。

    これらの細胞に放射線を当てると、その被爆時間によってアポトーシスが発生するまでの時間が大きな影響を受ける。 

    老化はDNAに発生する傷(コピーエラー)がだんだんと蓄積するからだとする、「エラー蓄積説」と言うのがある。 DNAへのランダムな損傷の蓄積が、ある一定のレベルを超えると、アポトーシスによる死への過程が始まると考える。 放射能で被爆した細胞には多くのコピーエラーが発生し、アポトーシスへと導かれるので、アポトーシスの研究には被爆細胞が良く用いられる。

    私たち哺乳類の細胞に放射線が与える傷は、放射線による直接的な影響よりは、細胞の成分の7080%を占める水が放射線によって遊離酸素を発生する事が引き金になると考えられている。遊離酸素は非常に反応性が高く、高い細胞破壊能力を持っている。生物が酸素呼吸をしている限り、遊離酸素による損傷の累積は避けられない。

    また、「体細胞切捨て説」と呼ばれるものもある。 生物は、常にその生理的エネルギーを生殖用と体細胞維持に振り分けねばならないと仮定する。 種にとって最も有利な適応戦略は、個体維持用(体細胞維持)には生理的エネルギーを必要以下しか配分しない事であるとする。 体細胞は、自らの修復と不死性の為に必要な生理的エネルギーを十分供給されず、体細胞内に修復されずに残ったコピーミスが蓄積してしまう為必然的に老化が生じる。 つまり、老化は有性生殖の代償であると言う説である。

    その証拠に、DNA修復能力の高い生物ほど長寿命であると言うデーターが報告されている。 

  4. 癌の発生

    歳を取ると共に、人間の体細胞には遺伝情報のコピーエラーが蓄積して行く。

    それがある限界を超えると、アポトーシスのプログラムが起動し死に至る。

    この死滅する過程は正常なプロセスであるが、何らかの原因でアポトーシスのプログラムが作用しないと、細胞は永久に増殖を繰り返し「不死身」になる。 これが癌の発生である。

    人の癌細胞をシャーレの上で培養すると永久に分裂を繰り返す。 その細胞を提供した人が死んだ後も、「不死性」を獲得した癌細胞は生き続ける。 既に死亡した人の癌細胞が癌の研究所の実験室内で生き続け、研究に利用されている。 考えて見れば、気味悪い話である。 アポトーシスのプログラムが正常に働かなくなった「不老不死」の細胞が癌細胞であり、 癌細胞は老化しない。

  5. 時の流れ

    歳を取ると人間は老化する。 これは当り前の事であるが、老化のメカニズムは未だ完全には解明されていない。 しかし、老化を避ける道は「癌化」しか無いのか。 癌に罹れば個体はもっと早く死滅する。 個体は必ず死ぬ。 「不老不死」は、我々の生殖細胞を介し「生命」を次世代に引継ぐ事によってのみ実現できるのだ。

    生命誕生以来37億年間、生命は幾多の多難に遭遇しながら、延々と維持されて来ている。 生命は時間と共に進化し、多様化と複雑化を経て、バクテリアからホモ・サピエンスへと姿を変えながら、今も「生命の火」を燃やし続けている。