バーチャル・リアリティ(02/10/11)

1 運動会での出来事

近所に住んでいる小学校4年生の孫が学年対抗リレーに出場すると言うので、ビデオ・カメラを持って出掛けた。 驚いたのは、手の平サイズのビデオ・カメラや望遠レンズ付きのカメラを構えている父兄の何と多い事。最近の新聞に、ビデオカメラ持参を自粛させた学校があると出ていた。 理由は、親達が皆ビデオカメラを通して運動会を見、生のシーンを見ない、撮影に夢中で応援をしない等色々有るらしい。 確かにあれは異常な光景だと思った。

2 バーチャル・リアリティの世界

正確にはコンピュータ・グラフィックス(CG)で描いた空間をバーチャル・リアリティと言う。 映画「ジュラシック・パーク」に出て来る恐竜達は最先端のCG技術を駆使して作られている。 NHK大河ドラマ「利家とまつ」に出て来るお城の景色も昔はセットで作ったが今は全てCGで精巧に作られている。

主人公を始め全てがCGで作られた映画さえ有ると聞く。 映像の世界はどんどんバーチャル・リアリティの世界に変貌しつつある。

一般のTV番組やビデオ映像などは厳密にはバーチャル・リアリティではないが、機械を通して記録されたと言う点では共通している。 肉眼で直接見たシーンではなく、機械の狭い視野でカットされ、シーンの選択には撮影者の意図が働いている。 要するに、カメラによる制約と他人の眼を通して物を見ている事になる。

3 メリットとディメリット

例えば、ゴルフのシミュレーション・ゲームを幾らやっても、本物のコースでプレイした気持ちにはなれない。 カメラで花の写真を撮る人は、時間を掛けて写生する人に比べ花を良く観察していない。 ハイビジョンで海外旅行の番組を見た人はその場所に行った気分にはなるが、やはり何かが欠けている。 風は吹かず、匂いも無い。 それに立体的に見えない。本物よりも常に情報量が少ないので不満が残る。

しかし、色々なメリットもある。 肉眼で見たもの、体で直に体験したものは脳に記憶されるのでリプレイが出来ないが、機械で撮った物は何回でも再現できる。忘却が無い。 只で海外旅行が楽しめ、映画やテレビの制作費は大幅に節減される。 絶滅して見れないはずの恐竜が生き返る。

最近の新聞に、日本の若者は本を読まず、文章による自己表現能力や思考力がひどく低下していると書いてあった。 文字を使えば緻密で詳細な表現が出来、時間の経過も自由にコントロール出来る。 一日の出来事を、読むのに10時間掛かる文章で詳しく表現出来る。  ビデオではそれが出来ない。

文章はコードであり、ビデオはパターンである。 彼らは作文は苦手でも、ビデオカメラで表現させれば優れた表現力を発揮するかも知れない。 パターン認識力は日頃から鍛えられているはずである。

4 危険性

テレビやビデオも含め、バーチャル・リアリティの世界では情報操作が出来る。綺麗な景色も実際に行って見ると大した事はない場合が多い。  災害や暴動のニュースを見ると凄まじいと感じるが、実際にその場に居合わせた人はそれ程には感じていないケースが多い。 過剰報道はマスコミの悪弊の一つである。

我々が見聞きしている物は、フィルターを通した情報であり、常に何らかの情報操作がなされている。 ここに、バーチャル・リアリティの持つ最大の危険が潜んでいる。 

5 人間の感性

同じものを見ても人によって感じ方は変わる。 我々が肉眼を通して見たイメージは脳に伝達され、そこで認識される。 脳細胞の結線は人それぞれ違うので、認識のされ方も異なる。 肉眼で見ているものも、言うなればバーチャル・リアリティの一種なのである。 五感が受ける情報量が多いか少ないかの違いが有るだけで、バーチャル(仮想)である事に変わりはない。 現実の本当の姿、普遍的な姿は存在しない。  有るのは、我々の脳裏に映る刺激だけであり、それらは単なる仮想に過ぎない。