迷走する人類(03/7/2)

  1. 生物と無生物の違い

    同一のルーツを持つ生物が分化して、現在地球上には数億種存在すると推定される。 無生物も化学反応によって色々の化合物となってはいるが、元素の総数は固定し、化合物の種類も限定されている。

    ここに生物と無生物の本質的な違いがある。 生物はどんどん多様化し、無生物は変化しない。しかし、宇宙に目をやると、それは常に変動している。だが、宇宙の変動は宇宙を支配する4つの力(主なものは重力)の法則に則って変動しているに過ぎない。一方、生物の進化のプロセスには法則性が無い。 サイコロを投げてその方向に進む一種の「確率過程」である。 

    宇宙の将来は予測できる。1000年先の日蝕だって正確に予測できる。 天体の運動を規定するニュートンの法則は不変である。
    (注)
    だが、なぜ現在の銀河構造が出来たかは説明出来ない。 それは宇宙初期の「揺らぎ」がランダムに発生し、法則性が無かったからである。物質形成の法則性はあったが、物質形成の素材となった素粒子の初期空間分布は均一ではなく、素粒子間の距離に違い(揺らぎ)があった。 その為素粒子から原子が出来る時にもその「揺らぎ」が残り、原子密度にも粗密が生じた。重力や電磁力により原子が集まって宇宙塵に成長した時にも粗密が残り、現在の銀河配列の無法則性の原因となった。

    生物の進化には法則性は無い。 従って、1000年先の人類がどうなっているかは予測出来ない。 自然淘汰と言う一種の法則性はあるが、この概念自体が一種の確率概念である。 変化する自然環境に上手く適応した生物が、確率的に多く生き残れると言っているに過ぎない。 この確率過程も一種の「揺らぎ」である。 そう言った意味では宇宙の「揺らぎ」と共通性はある。 しかし、生物の場合、進化の主体は常に「揺らぎ」であり、将来は予測不能である。

    (注)
    この進化を支えているのはDNA分子である。 DNAは蛋白質の一種であり、特殊な分子が螺旋状に連結した長大な分子構造を持つ。 生物の種類が分化して多様化する事は、新しいDNA分子が生成される事と対応しており、そう言った意味では有機物の種類は生物の進化と共にどんどん増えている。 無生物を構成する物質の種類が増えないと言ったのは、主として無機物の話であり、有機物の種類は増え続ける。 最近は任意のDNA配列を人工的に作成しそれを基に新種の蛋白質を人工合成出来る。 従って、理論的には無限の種類の有機物分子が存在し得る。 ちなみに、人体には10万種類を超える蛋白質があり、日々活動している。 例えば、免疫の抗体も一種の蛋白質であり、ウイルスや細菌が侵入する度に新しく作られている。

  2. 迷走する人類

    人類は脳が発達しているので、外界から情報を得て自分勝手に解釈し、それに適応して行動する。 しかし、その解釈は妄想に過ぎない事が多く、その行動は常に迷走している。

    最大の欠陥は、「自分達は特別の動物である」と言う奢りを持ち、自分達の進化の歴史を知ろうとせず、自らを粉飾して生きている事である。

    「愛に生きる」と言う小説や映画の何と多い事か。 これらは生活を美化しそれに陶酔している。 しかし、生物学的に見ると、これらは遺伝子やホルモンが成せる行為に過ぎず、「子孫を残す」「生命を持続する」為の行動の一過程に過ぎない。 その事を理解し、基本的な生命観に立った上で美化したければすれば良い。

    昔、鯉ばかり描く有名な画家がいた。 彼は、鯉の動きを理解する為、鯉を解剖してその骨格構造を調べ、鯉の動きの原点を理解して絵に反映させた。鯉の動きの瞬間を描写する術を体得し、観る人を感動させたと言う。

    小説家も生物学や進化論を勉強し、その上に立って人間を描写すると良い。 単なる妄想で書くより、もっと人を感動させる物語が書けるだろう。

    我々はもう一度人間の原点に立ち返って、これまでの迷走の歴史を反省する必要がある。 現代社会は、人口爆発、資源浪費、自然破壊へと止めどなく迷走している。  我々人類にとっての救いは、発達した知能によって自分達の将来をある程度予測しコントロール出来る事である。 単なる確率過程に任せるのではなく、自分たちの理想とする方向に、そして人類の滅亡しない方向に運命を切り開いていく知恵を持っている。 人類の将来は人類が持つ知恵と決断に掛かっている。 人類迷走の原因である資本主義の時代は終わったのである。