1.巻頭言
 柘植という姓は非常に少ない苗字である。試みに職員録をひらいて柘植姓を拾い出さんとすれば、如何に骨が折れることか、しかも難解氏名の部類に入るものである。よく誤って「タクショクさん」と呼ばれたり「ザクロ」「ツゲウエ」だのと、正しく読んでくれる人が少ないのは常に我々の経験するところである。しかしこの難しい柘植姓が、いつ頃
どうして出来たかということや その家系についてはどの程度知っているであろうか。我々は日常身辺の繁忙に紛れて、ともすれば祖先のことを忘れ勝ちである。移り変わりの激しい世は、現実主義に傾き過ぎ去ったことは考えずという者も多かろう。古めかしい家系の問題など老人の懐古趣味と一笑に付されるかも知れない。しかし 過去があってこそ現代があり、我々は祖先のお陰で今日あることを忘れてよいものだろうか。柘植姓は由緒正しい家系のもとに、七百年の永い歴史を通じ、優れた血統を連綿と受け継いで今日に至った。我々の祖先がきびしい封建制のイバラの中で、どのような生き方をして来たかを偲び、その血を亨け継ぐ家族のよすが現況を広く知ることにより、この尊い血を汚さず誤またず 次代に継承してゆく縁としたい。
 私は茲数年古文献を漁り、或は各地同族の方に援助を求めたりして資料収集に努めたりしてきた。その苦心の累積がこの書となった。最初は自分の祖先の調べが目的であったが、持ち前の凝り性がこれに満足せず、更に深く掘下げて柘植姓全体の精密調査に進展した。今日まで平々凡々に過ごしてきた自分が還暦を迎える齢となってこのようなことに血道を挙げるのは、柘植末裔として生を亨けて血の働きに因るものか、或は柘植一族の記録係たる役目を負わされてこの世に生まれてきたのかも知れない。文も拙く印刷も不出来ではあるが、私にとっては後世に残す唯一の意義深い書となった。同族の人々がこの書によって自己の血の誇りを感じ、自分をより良く育ててゆく気魄(気魂に同じ)を燃やしてくれたら、また柘植姓の歴史を伝える記録として多少なりとも今後に役立つところがあれば、私の努力も報いられるのである。
 本書を綴るに当たり参考とした文献資料は、平家物語
源平盛衰記 大日本史 姓氏家系大辞典 寛政重修諸家譜系図綜覧 三国地誌 日本地名辞書 大人名辞典 日本紳士録 職員録等で、特に郷土史研究家松尾早次 井海新之助佐藤則長の諸氏に多大の御援助を受けたことを深謝する。 澄(六十歳) 記す

柘植郵便局の風景スタンプ
 この風景入りスタンプは、三重県柘植郵便局に新しく一月十一日から備付けらたもので、希望により窓口に差出した書状と絵はがきの引受け消印として使用されるほか、五円以上の郵便切手を貼ったものと、五円の郵便はがきに対して記念消印の務めに応ずることになっている。図案は油日嶽と河原谷のキャンプ場を描き、芭蕉翁の木像と山つつじを配したもので、これに描かれている芭蕉翁の木像は、同地の芭蕉研究家
松尾早次氏(俳名 桃西庵徹斎)が昭和八年 芭蕉の菩提寺である万寿寺再建の折、奈良の彫刻師 横山大泉氏に託して作製したもので、桧笠を前に据え 茶人頭巾を被っている欅材 丈五寸の座像で、翁に縁の松尾家の家宝として保存されているものである。