古曲に現れた宗清
平家琵琶の古い典型である荒神琵琶の語り物『くずれ』の一曲『宗清
屋形之段』の一節に、弥平兵衛宗清が常盤御前母子を六波羅へ引き立て連れて行くとき、宗清の妻白妙が源氏は三代相恩の主であると言って嘆くくだりがある。この白妙は『平仮名盛衰記
四段目』にも出てくる源義淳の娘で、宗清の先祖が源氏に仕えたいということもあり妻白妙が源氏の娘であれば尚更
宗清が頼朝に好意をもっていたことも肯
(
うなず
)
ける。また
この琵琶から採ったと思われる常盤津に『恩愛磧
(
かわら
)
関守宗清』という一曲がある。
常盤御前が我が子三人を抱え雪の夜道を落延びていく途中、宗清に捕らえられ、これら三児を助けるため
清盛の館へ連れて行かれる筋、それに義太夫狂言
(
浄瑠璃
)
『一ノ谷嫩
(
わかば
)
軍記
熊谷陣屋』に白亳弥太六
(
はくばくみだろく
)
という人物が出てくるが、実は
これが弥平兵衛宗清で、平重盛からその娘と金子五千両を預かり、弥太六と変名して御影に隠棲して屋島
壇ノ浦などの各地に平家亡将を弔うため、施主不明の墓を建てたという筋書きになっている。
これらの物語は事実ではないにしても
歴史上なんらかの根拠があって仕組まれたものと思われる。