信用できぬ系図

古来武士の家系では系図が最も大切なものとされたが、現在残っているものゝ中で正真正銘のものとされるものは至って少ない。実際 古くから伝わる系図ならば その書体も時代々々によって変わって居り、墨の色も様々に書き継がれたものであの筈なのに、始めから終わりまで同じ書体筆跡で墨の色も同じであるというのは正真正銘の系図とは言い難い。特に徳川中期から明治初期にかけて職業的な系図書師という者が居て、希望に応じ出鱈目な系図を作ったので、そのようなインチキ系図が 今尚 多く伝わっているのである。
正しい系図は、その直系の家にのみある筈で、分家 その他に在るものは「写」か「偽物」と見て差し支えない。正当な系図を書写したものならば参考になるが、あれやこれを想像的につなぎ合わせたようなものは全く無価値で研究する者にとっては 却って「迷いの種」にしか過ぎない。
私も各方面で幾つかの柘植系図を見せて頂いたが、本物と思われるものは残念ながら一つもなかった。 しかし それらを実見することによって系図の正体が良く判り大変勉強になったというのは皮肉な話である。概ね徳川時代のものは 記録も探せばあるし 信用も出来るが、それ以前のことは資料も乏しく不明のことが多い。それ故 徳川以前には出鱈目な系図が横行したものであろう。現在伝わる柘植家譜にも疑問点が少なくない。しかも それらは「誤り」というよりは「故意」に偽作したようなものが多い。
二人の『宗清』を混乱させ「柘(黄楊) 一枝を地に挿したら、翌年繁茂して一面に花が咲いた…」などという物語は正に作り事で、その上 和歌まで書き添えた入念な「工作物語」であり、その他種々の観点から見て私はこの系図は余り信用できるものではないように思う。しかも この疑問の多い系図が幕府が作った『寛政重修諸家譜』にそのまゝ記載されて現在印刷本となって残っているのだから始末が悪い。『大日本史』で これら柘植家譜の誤りを指摘した水戸光圀公は、さすがに良く研究されたものだと敬服する次第である。