犯罪史に残る柘植氏

いつの世にも罪を犯す者は絶えないが、数少ない柘植氏の中にも犯罪史に汚名を留どめる犯罪者がいた。犯罪者柘植氏を記録することは慚愧に耐えぬが、事実は事実として記録に留どめ後世の戒めとしたい。昭和初期新聞紙上を賑わした事件、東京丸ビルを舞台に何万円かの篭抜詐欺を働いた柘植利平は、捜査で血眼の警視庁へ「俺は絶対捕まらない」と嘲笑の一筆を書き残し、中国上海方面へ高跳びした。その後内地へ舞戻り何か軽犯罪で捕まったが、丸ビル事件は既に時効に掛かり警視庁を口惜しがらせた。利平は明治十八年岐阜県恵那郡中野方(現恵那市中野方町)生れ、かつて警察官も勤め 而も敏腕を謳われた名刑事であった。今一つの犯罪は、戦後間もなく大阪府河内で起きた殺人事件で、昔 高取藩で典医を勤めた河内の名家 柘植家の一少年が伯母を殺害し、後に自分も自殺し 死体の姿で発見された。 この柘植家は肺結核で家族が次々と斃れ孤独になった少年も、やはり結核に侵され自暴自棄の末起きた事件で、少年の死で家断絶の哀れな終末となった。