筆者の横顔
巻頭写真に風采上らぬイトお粗末なるゴ面相を披露した筆者の生い立ちから芳しからぬ経歴を、おこがましくも寸描する。明治36年5月14日 警察官 柘植喜一郎五男として三重県鈴鹿市の巡査駐在所で出生、宗澄なる名前は亀山藩町奉行を勤めた祖父澄兵衛宗光からとった。 六歳の時 父に死別したのが不幸の始まり長兄の失踪、一家離散と非運のもと四日市から桑名へ流浪。親戚に陸軍中将 教授 医師など高い社会的地位を得ている人が多かったが、これら親類は我々 逆境に喘ぐ身の者達を卑下して近寄らず、私は 洋品屋の小僧から始まって職を転々。 青年時代は書物を乱読して文士を憧れたが、文筆を志す程の勇気も文才もなく、無学を恥じて徒らに煩悶するにとどまった。後 上京し工具販売業に従事したが 戦災で無一物となり都落ち、山口県くんんだりまで放浪したが、さる会社の社長に拾われ停年過ぎの老体で寮の管理人となって命脈をつなぐ。 酒 煙草などは嗜まず専ら甘党だが口賎しさが祟ってか、最近 糖尿病にとりつかれ「甘物 厳禁」の憂き目にあり。 収集癖あり、切手 スタンプなどを集め、駅スタンプなど一万点を収集した。ガラクタ集めなども精を出しているが、ゼニ集めを知らず年中貧乏暮らし 老妻の嘆声を聞き流すこと久しい。勝負事は一切 興味なく、生存競争に遅れをとるも やむなしと諦観している愚者である。 三子あり。

昭和38年3月1日