あ と が き

 一昨年(昭36) 私は「柘植姓の研究」(初版)を作ったので今度のは(第二版)とも言うべきものである。初版は百部を全国未知の柘植氏に発送した。その反響は41名の方々からご懇篤なる返信を受けたが、他は黙殺されるという結果に終わった。後の60%の方々には何の感動も与え得なかったのかと一寸と淋しい気もしたが、世の中には葉書一枚書くのも煩わしいという無精な人間もあり、又こうした書物に全く無関心な人もあるかも知れない。それなのに少数ながら真心のこもった感謝の辞や激励の資金カンパを寄せて下さった方のお心を嬉しく頂き、自らを慰めたことであった。中には我が家の家宝にするとまで言って下さった方もあり学校の宿題に先祖のことが出されたという中学二年の生徒からの感謝の手紙や、この住所録で、久しく消息の知れなかった知人の居所が判り文通が出来た─という便りなど思わぬところてお役に立ったのは喜ばしい。
その後も是非この本が欲しいという申越しのあった方があったり、各地のまだ未知であった柘植氏のお名前が続々寄せられた一方、新しい資料なども発見され、補足や訂正を必要とする箇所が生じたので、ここに改定版として新たに版を起こした次第である。頁数も前回(30頁)の約二倍になり、内容もやゝ充実したと思う。一般にこの種の書物は、その性質上 堅苦しいものが多いが、写真など挿入したりカットをあしらったりして出来るだけ親しみ易いものにと心がけたつもりである。これも百五十部と発行部数が少ないので、将来珍本になるであろうと自負している。 
今回は初版の時 黙殺された方にはご迷惑を考えて送付することを見合わせ、主として住所の判った方たちに見て頂くことにした。この本を読まれた柘植の方に是非読後の感想を聞かせて頂き度いと思います。筆者は余程の物好きかヒマ人と想像される方もあろう。物好きと言えば物好きしかし、決してヒマ人というわけではない。一定の仕事を持っているので、勿論これは余暇利用である。取材旅行も 図書館通いも思うに任せず、執筆は専ら夜間の休憩時間に当てた。人々が家庭でテレビなどに興じている時に、私はこの仕事に取り組んでいたわけで、鉄筆(謄写版の原紙を切る道具)のペンたこの痛さに耐え、謄写版インクに汚れ、深夜に及ぶことも度々、筆付けから印刷仕上げまで六ヶ月を要した。若い頃 雑誌の編集をしたり 謄写技術を習った経験を生かしたものゝ無理をすれば老骨に応え、殊に糖尿病で疲れ易く、長時間の作業は些か重荷であった。物好きなればこそ 余程の興味がなければ出来ぬこと 御理解頂けるものと思う。古いことは判らぬことが多い。本書にも誤りがあるかも知れないし、まだまだ幾多の隠れた事実があるに違いない。資料をお持ちの方はご援助 お願いする。巻頭の写真は刈谷合同印刷の柘植 林氏が特別の御好意はにより印刷を無料奉仕して下さったもので、本書に一段の光彩を添えて下さったことを感謝したい。また 貴重な資料を提供して下さった方や実地調査など ご協力頂いた伊賀町有志の方々に厚くお礼を申し上げます。

                      昭和38年3月 柘 植 宗 澄