祝、山小屋ワン大成功

Date: Wed, 07 May 1997

中谷です。

4日は、たった2時間ほどの行動時間だったのに、かなり困憊して、翌日もエラかったです。年のせいではなく、ビールのせいにしたいところですが、 日頃の運動不足は明らかです。もうちょっと鍛えて、そこそこのところでも 行けるようにしておかなくては、と思っています。

泉からのメール:

>  その後、ご無沙汰です。今夕、退院しました。ご心配をお掛けしました。  

残念ながらみんな余り心配なんかしてなかったですよ。命に別条無いでしょうから、我々の次の山行きの心づもりを始めましょう。

> さて、「新緑比良慕雪山荘二十期再会山行壮年の部」、いかがでしたか?

益川を除いて京都で集合。桐野、池田、中谷はドタ靴。石崎はスマートなトレッキングシューズ。あとはスニーカーという出で立ち。池端は、デイパックの吃驚するほどの軽装で現れました。みんな、見てすぐに分かるほどで、 変わっていません。心配していた谷内の頭も、辛うじてまだブッシュを形成していました。

益川も比良駅で合流。全員揃ってロープウェイに乗り、霧雨の中を茶谷のコースリーで、快調にとばしました。雪が所々残り、雪解け跡にはたくさん花が咲いていました。小屋の前のスゲ原には水芭蕉が咲き、イモリと一緒に我々を迎えてくれました。若葉の木々はまだ鬱蒼とは繁らず、見通しのよい森は清々しく雨に煙っていました。見えないところからウグイスがしきりに鳴いていました。

ワークの協力体制は健在。さすがにテキパキとはいかなくても、以前に増してみんな仲良く仕事を進めていました。谷内と玉治は靴をぐちょぐちょに しながら水汲み。食当は共稼ぎ夫婦の桐野が黙々と担当していました。会計は茶谷です。何でも気持ちよくできたのは、小屋が本当にきれいに整頓されていたからでもあります。痛みも少ないし、小屋の維持管理は満点をあげなくてはいけません。

闇鍋はたっぷりの量で、飯も、デザートも、お茶も不要。酒もたっぷりで、 たくさん置いて帰ってきたほどです。食事の途中から一人ずつ近況報告など をして、20年の時間を確かめあいました。でも、20年の時間が過ぎたこと以外、何も変わっていないような気もしました。まるで久しぶりのパーワンに来たみたいな・・・。

桐野が歌集のコピーを人数分(おそらく公費で)作ってきました。たくさんあるので、どの歌も1番だけですが、昔と同じように、下手くそに、歌えました。正調というのは、昔から誰も知らなかったですものねえ。そして最後は勿論「トーテンクレナイ」です。これだけは全部歌いました。全寮歌なんか歌うと感傷的になるのではないかと思っていましたが、ひたすら歌うのはひたすら楽しい思いでした。

そうこうするうちに、11時を過ぎればみんな寝床に就き始めました。私は小屋に着いた直後からウィスキーをあおっていたので、一晩中腹痛と吐き気に苦しみました。朝になって耐えきれずに吐き出すと、闇鍋の春雨だけがでてきました。

 石崎は家の法事のために、朝飯も食べずに下山しました。朝飯は雑煮です。 2時間半ほどかけて出発の準備をしました。地面に穴を2個あけて、燃える ゴミを燃やし、残飯を埋めました。こんなやり方は、当世の自然保護運動か らは認められない野蛮なやり方ですが、我々の20年前は確かにこれが普通でした。

すっきり小屋が片づいて、10時過ぎに出発。一体どこへ出発するかは、出発するまで分かりませんでした。先頭に立った桐野が武奈ヶ岳の方角に歩き出した時に、その日のコースが決まったのでした。

武奈ヶ岳まで2ピッチ。視界悪し。途中、3月の手術跡の痛む高四郎の荷物を桐野と玉治と私で分けました。みんなもう若くないのですから誰かに何かが起こるのは当たり前。高四郎さん、気にしなさんなや! もっと老いさらばえてからも手に手を取って高いところに登ってゆきたいものです。

石崎がおいていった甘夏をてっぺんで食べたのは、うまかった! てっぺん目指して人が続々来ます。下山道は登りの行列とのすれ違いでえらく手間取りました。でも、おかげでゆっくりだったから疲れなかった、怪我しなかった。途中で天気が良くなってきて、武奈から釣瓶の稜線にみんなして見とれました。八雲ヶ原でビアパーティー。帰りのロープウェイから見た新緑は見事でした。琵琶湖の景色も懐かしい。

ちゃんとバスに乗って湖西線に着きました。2時台で比較的早かったので 電車は空いていましたが、京都は人出でごった返していました。打ち上げに いざ王将へ向かわん。餃子は2人前通し。さすがに焼きめし・焼きそば通し は無かったですが、いやあ、よく食べた。よく飲んだ。でも、伝票にはビー ル5本しか付いてなかった。ラッキー!  終わりよければ全てよし。  というわけで、もう言うことなし! のご機嫌でみなさん帰られたようです。

>天候に恵まれ、久々にアノ「賢いけどアホができる」気のあった仲間達が集い、大い

>に盛り上がったものと想像しております。

 全くその通り! だったらいいのですが、「賢いけどアホができる」のか どうか疑わしいような連中ばかりです。いよいよ賢くなったのか、ほんまの あほになったのか、心理学者にも判じかねる程、あほばっかり言って、あほ ばっかりしていました。楽しかったけど、ちょっと恐ろしくもありました。  もう暫くしてほんとに呆けてきたときには、一体どうなるねん。

>今回の山行に、ご一緒できなかったこと、返す返すも残念であります。まあ、中谷

>先生のおかげで、皆の生存は確認できたわけですので、「マタの機会」に期待してお

>ります。

で、「マタの機会」に関して、谷内のメールに参照を移します。 実は、山ではこの話は決まりませんでした。遠方組は、今回だけでもそれな りにしんどい思いをして来ていたわけですし・・・。

>中谷様

>PLお疲れ様でした。

>最大20年ぶりの再会は大変有意義だったと思います。

>ところでビアパーティーの企画ですが、ミュンヘンは東京にも

>ありますので、梅田〜銀座同時開催というWカップ方式ではいかがでしょうか。

>東京・・・池端、石崎、伏木、谷内

>大阪・・・在阪のメンバー  

これはなかなかグッドアイデア。東京でも大阪でもない人は、どちらかに参加、ということですね?  この線で話を進めてよいでしょうか?  みなさんの御意見をお待ちします。

さて、泉から金壱万円の寄贈を受けましたが、これに、8名が5000円 ずつを付け足す形で、金五万円を山小屋会計に寄付いたしました。事後承諾 ですが、ご了承下さい。

なお、今回の山行記録をOB会40期40色の報告書に載せなくてはなり ません。参加した人もしなかった人も、数行ずつでいいですから、感想やメ ッセージを送って下さい。もっとたくさんでも構いません。それでいい記事 になると思います。

みなさん、また文通を続けましょうね!  バイバイ