写真の値段 

【 写真の価値と値段について... Vol.06, 2001年07月15日UP 】

 皆さんは良く「焼き増しが高い」とか、「現像に金がかかる」なんてことを感じたことありますよね?。 おやじもそう感じなくもないんですが、実はあまり気にしていません。でもそれは、おやじが「金持ち」だからじゃなくて、 頭の中で「納得」してるからだと思います。つまりその金額に見合うものが写真にあるからなんです。(^_^)

 じゃあ、写真の値段が「妥当」と思える基準っていったいなんでしょう?。それは写真の持つ「価値」かも知れません。 そして、その「価値」はそれを「感じてもらう人」によって変わってきます。 今回はおやじのたどった今までのことで「写真の値段」を考えてみたいと思います。


・1960年代(幼少の頃)

 おやじが生まれた年代ですから、当然撮るよりも「撮られる方」ですね。カラーTVも徐々に普及しだしたせいか、 写真のカラー化も徐々に広まっていました。でも、まだ写真自体が「高いもの」という感覚で、カメラもフィルムも高かったです。 カラー写真は正月や結婚式など「特別の時」にしか撮ってなかったようで、家に残っているアルバムのスナップはモノクロばかりです。 父親は安いモノクロと使い分けてたみたいですが、まあ、撮ってもらっただけありがたいことですね..。

 当時の「写真」自体が高価だったせいで、プリントの値段は変わらなくても「物価的に高い」時代でした。


・1970年代後半(中学時代)

 この頃、おやじは初めて一眼レフを買いました。今見ると大したカメラ(絞り優先AEの50mmF1.7付き)じゃないですが、 当時「8万円」という値段は13歳のガキにはもったいないこと「この上ない」です。 その上、今と変わらないフィルム代なのに変な写真をたくさん撮ってるし、今より高いプリント代(35〜50円/枚)でバンバン焼いてました。 アルバイトでもしてれば別ですが、親のスネをかじってやってるところがすごいです(^_^;)。 でも、親に甘えた自分よがりの写真に喜ぶ人もなく、内容以前に「他人に迷惑をかける」写真には何の価値もありません。

 こんな写真に金を払う人もないし、この頃のおやじの写真は「プリント代の価値もない」値段の写真でした。


・1980年代前半(高校時代)

 写真部に入り勉強そっちのけでモノクロをバリバリ撮ってました。カラーはお金がかかるので年に数本も撮らず、 モノクロばかりを月10本以上撮ってた時代です。コンテストや雑誌掲載で賞金も稼いでいたし、田舎でいい気になっていた頃でもありました。 明確な目標はなかったですが、おぼろげにカメラマンを目指した頃ですね。(^_^;)

− 長巻きと100枚入り印画紙 −
 当時は少しでも沢山撮るために、100フィートの缶入りネオパンを買ってきて自分でパトローネに詰めてました。 空パトローネは写真屋さんに行ってダンボールに貯めてあるのをもらってくるんです。 1缶で18本取れるので、1本あたり「200円」。現像の薬品代は部費でまかなってたんで、かなり助かりましたね。 印画紙は月光の六切りを使っていて、枚数的にお得な100枚入りを何人かで共同購入してましたね。 キャビネも六切りを半分に切って使ってました。コストは1枚20〜30円くらいのもんだったでしょう。

 この当時は友達の「依頼」で写真を撮ってお金をもらってました。といっても他愛のないことなんですが、 「好きな何年何組の誰某さんを撮って来て」とか「空手の同好会を作るんで部員募集のポスター作って」なんて話しです。 報酬はジュースや学食のカツ丼、もらっても100円くらいで引き受けてましたが、写真の練習にもなるんで一石二鳥でしたね。
 それ以外にも、年中行事(運動会、修学旅行、文化祭、etc..)は記念写真を撮ってみんなに売ってました。 35円のサービスプリントを50円で売ってるだけなんで、儲けなんてまさに「高校生の小遣い」程度ですけど(^_^;)。 それで稼いだお金は「フィルム代」になるんですが、親に迷惑かけてないだけまだましですね。

 この頃の写真は「ジュース代」くらいの値段です。でも買う人が「喜んでくれる」だけの価値はあったはずです。


・1980年代後半(大学時代)

 田舎から東京に出てきて、大学で写真やり始めた頃です。月の仕送りが6〜7万円で、家賃が1万7千円。 光熱費と雑費を引くと、食費と実習費が両方合わせて月3万円という極貧時代です。まだ若くて夢もあったから、我慢も出来た時期ですが..。(^_^;)

− 節約の大学生活 −
 財布には2〜3千円しか入ってない日々で、カメラが壊れようものなら一大事。学校に来てくれるメーカーの点検で何とかなりましたが、 フィルムや印画紙はケチるわけにもいかず、大判なんかもやるんでフィルム代も結構かかりました。 そのため印画紙の焼き損ないなんかが「食費」に響く悲しい時代(T_T)。食生活が悪くて体壊したこともあったなぁ..。
 この頃は部屋にエアコンがないので図書室や銀行で涼んだり、電車代浮かすためにかなりの距離を歩いていました。(^_^;)

 普通ならバイトするんでしょうが、撮影時間を削られるのが嫌でやりませんでした。もし留年すれば学費がめちゃくちゃかかるし、 課題は「写真」だから論文みたいに徹夜で書くわけにもいかないし..。でも、ごくたまに友人のピンチヒッターでバイトすることはあったんです。 大体日当1万円くらいなんですが、七五三の撮影助手や小学校の卒業アルバム用の撮影、エレクトーンの発表会などを撮ってました。 撮ったフィルムを「商品」として依頼元に渡す時は、普通のバイトとは違う喜びを感じましたね。(^_^)

 ようやく「駆け出しカメラマン」くらいのお金は頂けるようになりました。写真が「人のために撮る」仕事の値段になりました。


・社員カメラマン時代

 学校を卒業し、カメラマンとして世に出た頃です。いきなりフリーになっても仕事はないので、スタジオや企業に就職する学生も多かったです。 おやじもある「いい企業(?)」に就職したんですが、社員なのをいいことに1年目からいきなりコキ使われました。 サラリーマンとしては妥当な給料だったんでしょうが、スタジオで月に100カット(3〜4千枚くらい)以上撮影してて、 一般企業の「初任給」じゃやってられないですよ(T_T)。

 たった2年半でしたが、唯一、自分の仕事(写真)が値段(給料)に「見合わない」と感じた時期ですね。

 − HONDAと砂糖 … おやじが企業を辞めた理由 −

 「もし砂糖のメーカーに勤めていても、社員みんなが砂糖を好きなわけじゃない。でもあそこは違う。」

 これはホンダに勝てなかったあるメーカーの人間が言ったセリフだそうですが、確かにそうかもしれません。 おやじはホンダ党ではないですが、本田宗一郎は有名でエピソードに事欠かないですね。 給料が払えなくて社内の不満が高まると国際レースに参加して優勝し、社内の労働意欲を保った話なんかも良く紹介されます。 そんな社風のせいかホンダには「車やバイク好き」や「レース好き」が社員として集まるそうです。

 車に限らず、写真や感材を作るメーカーも高い技術が必要で、企業として「大手」であることが多いです。 おやじの勤めた会社もいわゆる「大企業」だったんですが、そんな会社には「給料がいい」だけで入社する人が沢山います。 そんな人にとって「写真=仕事」で、別に「写真」が好きなわけではないんですね。 事実、休日の寮でおやじが写真の話をすると、「仕事の話をするな!」と怒られるほど写真が嫌いだったようです。 でも、仕事に没頭して自分の家族の写真すら撮らない人が、本当にいいカメラや感材を作れたんでしょうか?。
 写真が好きであるために「異端者」になってしまうと、そこにはもうおやじの居場所はなかったです。(^_^;)

・カメラマンからサラリーマンへ

 その後、勤めてた会社を辞めても東京に残り、1年ほどフリーカメラマン(という名目でブラブラしてるだけ)でした。 生活費の足しにと、たまに友人からの仕事を受けることもありましたが、仕事で撮る「写真」はいくら高い値段がついても、 なんだか「自分」を切り売りしてるみたいで嫌になって来たんです。

 「誰かのため」に撮っていて、それを喜んでくれる人もいる。人に期待され頼りにされる仕事なんて、外から見ればうらやましいと思われるんでしょう。 それを生き甲斐にして「いい仕事」してる人はいっぱいいるわけですから、単におやじが向いてなかったのかも知れません。 今まで写真でずっと努力してきたんですから、カメラマンを辞めることにも相当悩みました。 でも結論として、写真は「自分のため」に撮ることを選びました。こうしておやじは普通のサラリーマンになりました。(^_^)

 プロを止めた以上、おやじの写真は「仕事」の値段はつかなくなります。写真のレベルが下がったわけじゃないけどね。


・写真一枚の価値

 今回は写真の「価値」について書きたがったんですが、ピンとこない人も多いと思って「値段」という表現をしました。 ただ、一般的には「写真=プリント代」なんですよね。でも、こういう考え方は絵画なんかに比べると評価が低いと思います。 だって、絵をもらった時に「絵の具代はいくらかかった?」なんていう人は普通いませんよね?(^_^;)。 メディアが写真だから「プリント代でいい」なんて言い出したら、版画やリトグラフだって同じことになってしまいます。 でも間違えないで欲しいのは、どんな芸術作品でも値段が高いから「価値が高い」わけじゃなく、「価値が高い」から高い値段がついてるわけです。 ピカソやシャガールの作品でさえ、その「価値」を理解せずにお金を払えば、単なるミーハーな「成金趣味」です。

 ということで、いわゆる写真の「価値」について書いたんですが、「作品」なんか作ってない人には「?」な話だったかもしれません(^_^;)。 でも、これはそんなに難しいことじゃなく、お気に入りの「1枚」にはプリント代以上のものがあると言うことです。 最近では「1枚0円」なんてものがあるので「0円」のプリントもありますが、それは写真の価値が「0」であることとは違います。 単なる「記念写真」だってその価値のある人にとっては、二度と手に入らない「お金に替えられない想い出」ですから..。
 たかが「写真」かも知りませんが、写せるのを「その場限り」であると考えれば、その貴重さはなにものにも変えがたいはずです。

− 最後に.. −
 「かけがえのない1枚」なんて、そんなに簡単に撮れるもんじゃないですね。 それこそが「写真」の難しいところで、皆さんに費用を「高く」感じさせる要因かもしれません。 でも本当に重要なのは、目の前に起こる「かけがえのない」出来事を多く作ることだと思います。 そのことが「いい写真」を生み、写真を高いとは感じなくなる1番の方法ですね。おやじはそう信じています。(^_^)


− 世界最高金額の写真 −
 写真作家が自ら作ったプリントのことを「オリジナルプリント」と呼びますが、現在は画商などでやり取りされます。 中でも作家がサインを入れた当時のものは「ビンテージ」といわれ、最近では美術品としてオークションでも出てくるようです。 この前のクリスティーズで写真史上最高の「8千万円」の高値がついたものがあったそうですが、歴史的作品は枚数が限られるので当然ですね。 でも、通常のオリジナルは著名な人でも10万円くらいから買えます。将来、作者が亡くなると高値(数百万円)になるものも多いので、 気に入ったものなら手に入れてみてはいかがでしょう。実は保存するのが一番大変なんですけど..。(^_^;)

 余談ですが、おやじを教えてくれた大学の教授は女性でした。ある時、ウィンバロックの「半身のリンゴ(半分に切ったりんごがアップで写っている)」 のビンテージプリントを見て欲しかったそうですが、150万円の値段であきらめたそうです。 でも、家に帰って娘に「今日はリンゴが高かったわ。150万円もしたの。」と言ったら、「金で出来てるの?」と聞かれたそうです。 娘さんはアクセサリーか何かと思ったんでしょうが、教授は「銀(銀塩)で出来てたの。」と笑ったそうです。(^_^)

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