「写真」の言葉が意味するもの 

【 現代報道カメラマン考... Vol.01, 1999年08月01日UP 】

 いきなりすごいタイトルで始めてしまいましたが、写真のことすべてを語るような話ではありません(笑)。 「写真の意味とは?」なんて高尚な話を、私ごときがすべて語るなんてことなんてできませんしね...。 でも、最近ある人と話した話題の中で「写真」という言葉について少し考えることがあったんです。


 新聞社がカメラマンを採用するのに、ある時期からだんだん写真学校の学生を採用しなくなっているようです。 今がどういう状況か正確にわかりませんが、私が就職しようと考えてた頃はそうでした(別に新聞社に入ろうと してたわけじゃないんですけど...)。その理由は「最近のAFカメラは性能もいいし使い方が簡単になったんで、 記者を採用してカメラを与え、研修させればいい。カメラマンは必要ない。」というようなものでした。 昔の新聞記者もカメラの研修をさせられていましたし、単独の場合は記者もカメラ持って取材に出ていたようですが、 「カメラマンを記者でまかなう」ようになったのは私の学生時代頃からだったんじゃないかと思います。(某社の AF一眼が発売されたせいで、AFが急激に進化しましたから...)

 さて、「記者が撮った写真」と「カメラマンが撮った写真」はどう違うか?。ピントが合ってるとか 露出が合ってるとかは、カメラがよくなったおかげで大差ないでしょう(たぶん)。一番の違いは「写真が 真実を伝えようとしてるかどうか」じゃないでしょうか。つまり、記者の撮った写真は文章に補助的につける 「事実」しか写っていないように思うんです。「事実」ということは、そこに写っているものは間違いじゃないと いうことです。でもこの場合、報道としての「真実」は「事実」が写っている写真より、横の文章の方にあるような 気がします。そして、そんな写真は、文章をより良く伝えるための「説明的」なものになっていくようです。

 反対にカメラマンの場合は文章を他人がつけることが多いです。写真に説得力や訴えるものがなければ 記事そのものが事実でなくなってしまいます。その場合に必要な写真は「事実」ではなく「真実」だと思います。 そして、写真というメディアを最大限に活かして「真実」を写せるのはカメラマンの方だとわたしは思っています。 (ただ、最近の新聞にはこのような写真の必要は少なくなっているかもしれませんが...。)


 報道の世界で「写真」といえるのは「実」が「って」 いるものだと私は思ってます。特に他のジャンルの写真より、厳しく求められている要素だと考えています。 でも最近のニュースメディアを見てると、なんだか報道の質が変わってきてるように感じるんです。 誰もが知りたがっているのは「真実」という点は変わってないと思いますが、報道されてる中には「誇張」されたり 「操作」されたりしたものが平気で流れているように見えます。

 もう、だいぶ古い話になりますが、大手新聞社のカメラマンが夏の風景を撮ろうとして接着剤でセミを木に 貼りつけたり、サンゴの惨状を報道しようとしてカメラマン自ら落書きしてみたりしたことがありました。 わたしはこの人たちの人間性や、詳しい事情などは知らないですし、ここで今さら非難する気もありません。 でも、ふと思ったのはこのカメラマンたちは「カメラマンとして新聞社に採用された人たち」だったんでしょうか?。 それとも、ひょっとしたら「カメラを持たされた記者たち」だったんでしょうか?。 真実はわかりませんが、写真が好きな私にとって、なんだか後者のように思えてならないんですよね.....。


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