写真画像の未来 

【 使い捨てカメラシンドローム... Vol.02, 1999年10月20日UP 】

 誰でも一度は使ったことがあるものに、「使い捨てカメラ」があると思います。これ便利ですよね。 もともとは、観光地なんかに売っていて、旅行に来た家族なんかが「ああ、しまった。カメラもって来れば良かった」 という需要を満たすために開発されたものです。 (発売当初は35mmサイズはなく、ポケット判(110判)だったのを覚えてる人はほとんどいないでしょう)
 その後、高性能な感度400のカラーネガフィルムができたため35mm判が登場し、ストロボ付きも出て、 なかなかよく写るので評判になり、 街のあちこちで売られるようになりました。今では、フィルムの売り上げ全体からしても、かなりの量になるそうです。


 ところでこの使い捨てカメラですが、ある会社の「ヒット商品」ということになっています。 でも調べてみると、この商品コンセプトは過去に何度か企画されたようですが、その時は売れずに消えてったようです。

 いつの時代でも気軽に「使い捨てる商品」には潜在的なニーズがあると思います。 そのニーズをうまく掘り起こしヒットした例には、今では当たり前になった「100円ライター」や「使い捨てボールペン」なんかがありました。 でも、それらが「使い捨て商品」としてヒットするには、下のようなキーポイントがあったんです。

 1. 機能は満たしている (当たり前ですね。「火の付かないライター」や「書けないボールペン」は売れません)
 2. 使い捨てるに十分なコストパフォーマンス (使う用途や回数で考えると、使い捨ての方が得になる)

 この2つが欠けているとヒットするのは無理ですね。 で、使い捨てカメラの場合、感度400の使い勝手のいいフィルムができたことで「1.」を満たしたわけですが、 「2.」についてはヒットした当時でもクリアしてなかったと思います。 (当時だと、ストロボ付き24枚撮りが1800円もしてました)

 でもその時、運がいいことに「バブル景気」というものが来たんです。そうすると「カメラなんて使い捨てで十分」とか、 「ちゃんとしたカメラ持っていくのめんどくさーい」とか言う声が聞こえはじめました。 (これはまさにバブルの感覚です。現にこの時、使い捨てカメラが売れたのは日本市場だけでした)


 そんな背景の中で定着した「使い捨てカメラ」ですが、皆さんはどう思ってます?。なるほど確かに「写ります」。 でも、ちゃんとしたカメラで撮ったものに比べると、やっぱり画質は「いまいち」ですよね。 (でも、比べたことのない人には、そんな「細かい」こと気にしないよね...)

 ある時、結婚式で頼まれて撮影したんですが、写真を渡した時、相手の方がすごく感動したんです。 自分ではそれほど凝った撮影したわけじゃないんで、「どの辺がすごいの?」と聞いてみると 「写真がシャープに写ってる」だけで驚いているんですね。
 普段目にする写真が使い捨てカメラばかりで、一眼レフの写真を見たことないそうですが、 そんなことで「さすがプロですね」とか言われても素直に喜べず、かえって悲しいよ...。トホホ...

 「おやじ」は思うんですが、10年も売れ続けると「それしか知らない世代」が現れても不思議じゃないですね。 ましてや、一度慣れてしまうと、多少コストがかかっても「便利さ」を優先させることもあります。

 こういう市場の流れの中に「おやじ」がたどったような「コンパクトカメラ」→「一眼レフ」→「もっといいカメラ」・・・ のように「高品質」を求めてレベルアップしていくなら、今売れている「安物画像」もそれほど危惧することじゃないです。 でも「使い捨てカメラ」の先に「画質向上への期待」がなく、「デジカメ」や「デジタルビデオ」に代表される「機能・便利さ」 への期待しかないのなら、画質優先の写真人口はどんどん減っていくんでしょうね...。

だって画質が同じ「そこそこ」なら、「より便利」や「すぐ見れる」、「動画が撮れる」など、使い勝手のいい方に進むでしょうから...普通は。


 最近、高級ライターや高級ボールペンをあまり目にしなくなったように、プリクラやデジカメやビデオが「写真の座」にとってかわった時、 写真は寂しくも一般社会から姿を消し、一部の業務用途のみになったりしてるかもしれません。 「そんなことは使い捨てカメラを出さなくても、いずれはそうなるのさ!」とおっしゃる方もいると思います。 でも、それを加速させたのは結果的に「安物画像」で、そのことで「自分の首を絞めた感材メーカー」にも責任があったように思います。

 感材メーカーは日々研究開発をして新技術を「フィルム」や「印画紙」に投入し、性能を少しでも上げようと努力しているわけですが、 そうやって生まれた商品を、わざわざ使い捨てカメラで「性能」を落とし、「写真なんてこんなもんさ」世代を増やしているのが現状です...。
 カメラが売れなくなった市場でフィルムの売上を確保するためとか「理由」は色々あるでしょうが、なんか矛盾してるんじゃないの?。

(この話は、ビデオ映画の普及を手助けしておいて、映画館に足を運ばない人たちのせいにする映画配給会社と良く似てますね...。 映画館に行く人が減ったため興行収入が減り、結果的に映画の制作費も減る。 その結果芸術性の高い作品や大作は作らず、リスクの少ない「ビデオ配布前提の映画」を作る。 その映画を「ビデオ」で見て、「この程度の映画をわざわざ映画館まで行って見ようとは思わない」 と言う人たちを「映画館に来ないおまえらが悪いんだ!」と非難する配給会社...。)

 別におやじは全ての人に必要でもない「写真の高画質」を求めて欲しいとは思ってません。 良さがわかってる人だけで「写真」をやって行ければ、それで幸せだと思ってます。 でも、写真がマニアや一部のプロだけのものになり、メーカーの商売として成り立たず、 選べるカメラやフィルムがほとんどなくなったら、それは悲しいことなんです。 「おやじ」にとっては「とばっちり」以外の何ものでもないんです...。

 巷ではカメラが売れなくなり、その代わりに好調だった「使い捨てカメラ」の売り上げに陰りが見えてきたとか噂で聞きました。 その反面「デジカメが好調」とかの話も聞くし、いよいよこのシンドロームも....


−補足− 2000.09.10
 2000年の夏、日本市場では銀塩カメラの売上をデジカメが越えたそうです。 あんな使いにくい道具が普及した理由には、世の中の人が「情報」や「流行」に流されて、 いかに「自分の判断」や「価値基準」を持っていないかという点にあると思います。 こういう状況では、「いいこと」しか言わず消費者をだますメーカーが悪いのか、 そのメーカーにだまされ、思うがままに「高い買い物」をしている消費者が悪いのか判断がつきません..。


−補足2− 2002.02.14
 2001年のデジカメ出荷台数は、世界中で1500万台近くいったそうです。いよいよ、銀塩カメラの半分くらいまで伸びてきました。 ところが伸び率で言うと銀塩カメラは減少してるので、2年後には逆転するんじゃないでしょうか。 ここまで売れたんだから少しはマシなデジカメが登場したかというと、現時点ではいまだに「画素数」だけの改良です。 ただ、さすがに消費者が増えたせいか、少しは「画素数オンリー」の認識も変わりつつあるようです。 まあ、デジカメしか知らない世代が大半を占めれば、結局は銀塩はなくなるんでしょうけどね..。


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