きまぐれ日記(米国だより)2000年7月〜
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米国のお店リスト
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2000年10月4日 (Wed) 晴 家の前の公園で
今日は17時で会社を退社。こんな時間に帰ったのはこっちにきて始めてかもしれない。
帰るとNannは自転車、Yunnはローラスケートの練習をしていると電話を貰っていたが、帰ると
Yunnはプロテクタを外している。時々遊びに5歳ぐらいの金髪の女の子と一緒に遊ぼうとしてるらしい。
名前を聞くとアレキサンドラちゃんだって。出身はロシアだって。英語はあまり喋れないらしい。
Yunnは聞き取れないらしく今まで名前を知らずにいたそうだ。
一緒に遊ぶのに言葉は必要ないなって思いました。けど遊びのレベルによるのか学校ではきついようです。
横で様子を見ていたが、鉄棒などで手伝ってと引っ張り出されて一緒に遊ぶことになる。
日が落ちたのでアレキサンドラちゃん達は帰ったが、あと一家族遊んでいる。母親が娘を呼ぶ名前は”フランソワ”
らしくフランス系の人だ。色々な人が住んでるなぁ。
2000年9月26日/29日 (Thu) 晴 Back to school
Yunnの小学校のBack to Schoolでした。これは年に一回、親が子供の学校にきて子供の教育環境方針の説明を受けるものです。
問題児Yunnの親としては、教育に対して積極的であることをアピールするために両親そろって参加することにしました。こういう場には
子供を連れていかないのが米国ですから、この時間はベビーシッターを頼む必要があります。近所の日本人に紹介してもらったMrs.Yに
来てもらって子供たちと遊んでもらいました。相場は子供一人あたり$7/時間ということですがこの方は国語の教員免許を持っているので$8/時間ということでした。
但し、姉妹は2人で勝手に遊ぶので2人で$8/時間+交通費$3でした。
Back to schoolはまず、ESLの先生の授業内容の説明を聞く。続いてYunnのKinderの教室に移って授業内容について説明を受ける。教室は円形で周囲に色んな遊びのコーナが配置されて
いる。やはり、Kindergarden(日本の幼稚園に相当)である。まだ、遊びがメインだ。1st gradeにいれなくてよかった。。。
ベビーシッタさんをお願いして家を出るときはNannが大泣きでしたが、帰ると平気な顔で遊んでました。
2000年9月27日 (Wed) 晴 カンザス
夕方会議をしていると、携帯がなる。とってみたら家からでした。時差が1時間あるのでNJは夕方の5時ですがKansasは4時です。何事かと思ったけど緊急でもなさそうなので後で
かけるということで切ると、”日本語→家族?”とメンバから聞かれました。
会議終了後、家に電話してみると「YunnがESL(*1)の先生をたたいた!」ということだ。ひぇぇ!!なんて悪いことを。こちらはBad Manorに関しては実に厳しい、
小さい子供だからでは許されない。こんなことでは学校を追い出されるかもしれない。Yunnに叱っても逆効果なので、”Yunnにはきっと理由があるはずので出張から帰ったら教えてほしい。
けど、先生を叩くことは良くないことだよね。もうしないよね。”と約束させて取りあえず電話を切った。やばいぞぉ、現地校に馴染めず結局日本人学校に変わった人の話も聞いたばかり
だし、日本人学校の学費と通学距離を考えるととても耐えられない。なんとか溶け込ませる努力をせねばならない。
(*1)English Second Lunguage:
英語を母国語としない子供が英語を話せるようにするための専門の先生がいます。
世界各国の子供がくるので先生は日本語を話せるわけではないが、日常の会話を絵やパソコンや歌を使って英語を理解させるようです。
2000年9月26日/27日 (Tue) 晴 カンザス
..

久しぶりの出張でKansasCityに来ています。Kansasは、Kansas StateをKansas Cityがあります。このうちKansas CityはMissouri(ミズーリ州:略号MO)に
あります。このKansas CityにあるKansas International Airportにおりて近くのHotel Mariottoに2泊の予定である。
空港着陸前はミズーリ川がうねっている姿がよく見えた。空港の建物は円形をしており、外周に飛行機が止まるようになっている。内周は立体パーキングとなっており、
内側をシャトルバスが走っている。AVISのバスを待ってのると、乗客が名前と希望車種を告げている。暫く走っているすると携帯電話の着信音らしいものがなり運転者が乗客の名前と
パーキングエリア番号を読んでいく。車で移動している間に配車を完了してしまうシステムのようだ。
ホテルにつくと、なんと部屋にRJ45のモジュラプラグが電話プラグの横にある。説明を読むと、$9.95/日でインターネット接続サービスを行うものだ。
TVもインターネット接続しているようで、こちらも$9.95/日でホームページ閲覧が可能だ。セキュリティをどこまでかけているか調べてみたかったが、LANカードも持ってきてなかったし
それだけのために$9.95はもったいないので使わなかった。ホテルのTVサービスにプラスしてインターネット接続の時代になっていたんですね。
仕事は、GPS受信機で名高いGARMINを訪問した。GPSは台湾で作っているのが、ここでは航空機向けのロケーション機器(Avionics)を生産していました。工場見学もさせてもらいました。
KANBAN方式を採用しているようです。
2000年9月24日 (Sun) 雨のち曇り 西の家具屋
ルート46号を西に行きWayneの先で201と分岐した先の家具屋ばかりが並んでいるところへ行ってみました。ここは職場の同僚(米国人)が
教えてくれた店です。
日曜日は家のあるBergen Countyは雑貨屋(家具屋も含む)はお休みだけど、ここは別のCountyなので開いているはずです。
しかし、11時前に到着したらまだ開いてない。なんと日曜の開店時間は11時でした。日曜の開店時間が遅くて閉まるのが早いのが
アメリカのお店の特徴です。
閉まっていたので近くの園芸関係のお店へ。来月末はハロウィーンなのでそれ関係のものが一杯。Dancing Fishを子供がえらく
気に入ってしまった。音楽に合わせて妙にリアルに魚が踊りながら口をパクパクさせます。昔のダンシングフラワーみたいなものでしょうか。
仮装用衣装やかぼちゃがいっぱいでした。
昼前なので先に食事をするためにマクドナルドへ。店舗の横には巨大なプレイルームが、、、日本のそれとは比べものにならない。
2階の高さまでの塔が4つあって、それぞれが2階部分ではしごやトンネルで繋がっている。子供たちはいつまでも遊んでいました。
Nannは昨日のBallPoolが身長制限で遊べなかったので今日はうれしさ一杯で遊んでいました。
1時間以上ここで遊んでいる間にみぃやん(妻)は隣の照明専門店を見学して、いいものがあったとのこと。今の家はとりあえずは照明は不要
なので日本の家用の羽付きの照明を探しています。安いものは$30からあったりするので、こちらで買ってかえる方がよろしいです。日本で探した
時は広告の品で\9800が最低価格でしたから。
さて、この場所の説明ですが、WayneのDMV(運転免許試験場)の近くにはEthanAllenがあり、その先の分岐の先は家具関係の店がずらずらと並んでいます。
家具屋めぐりをするには便利なところです。今回はそのうちのLevitz家具に行ってみた。比較的低価格帯の家具がおいてあります。
入り口入ると巨大な倉庫となっており、左右に高さ15mはある棚が並んでおり、それに家具が置かれている風景は実にアメリカ
らしい景色です。この倉庫を50mほどあるくと展示場の入り口です。中もこれまた広い。左右50mの列が10列ぐらいある。見て回るのに
1時間ちかくかかりました。けっこう気にいったリビングのTV台が$1000ぐらいでありました。めぼしつけておこう
他にもHuffman Kursを教えてもらっていたけど、もう疲れたので店の前で子供と一緒に車の中で待ってました。みいやん一人でチェックです。
話しによるとEthanAllen並みの高級家具店ということです。けど高くても$3000(30万円)程度というからやはり物価は安いんですよね。
2000年9月23日 (Sat) 雨 IKEA家具
雨が降りそうである。一日中天気予報をやっているWeather Channnelによると午後から雨ということだ。自由の女神にいくつもりだったがこの天候ではうれしくない。というわけで、IKEA家具で家具の下見にいくことにする。
1000 Center Drive, Elizabeth,NJ 07202
NJターンパイクを南に下り14Aで降りる直前に左手に建物が見えてくる。ゲートを出るとElizabeth sea portの方やターンパイクを超えていく車の流れがあるので分かりやすい。
11時に到着するが人がどんどん増えていく。2時間あったも回りきれないような巨大な展示場にも関わらず混雑しているように感じるのだから人の数は凄いのだろう。
ここでは、子供用の机と椅子のセット:$34、ウール100%のふかふかマット:$50、折畳み椅子$15を購入する。確かに安い。日本に持ちかえるつもりのリビングのTV台(収納と一式)もここで買えば輸送も楽かな?
横2m高さ2mを越えるリビングボード(TVも埋めこめてビデオラックと収納がセットになった壁型の家具)が$1000台(10万円台)である。これ目をつけておこう。
2階のショールームをぐるっと見て回ると1階へ降りるあたりに食堂があります。食堂の窓際の席からは道路隔てたNewArk空港の飛行機を眺めながら食事ができます。
階段の左手には子供用のBallPoolがあります。ボールのプールと滑り台がある部屋が2つあり、子供を預かってくれる無料サービスです。混雑している日は30分までということで今日も30分ということでした。
しかし、入場には身長制限があり37インチ以上ないとだめとのこと。壁に描かれた線に下に立たせるとYunnは余裕でOK。しかし、Nannはちょっと足りないかも。。。
Nannに行ってみようかと話すと、だめらしいのが分かってるようで「いい。やらない」と半分泣きそうになりながらも答える。ぢゃYunnだけいくかというと「Nannと一緒がいい」とのこと。姉妹だねぇ。(単に一人だと怖いのかもしれないが)。
とやってたらNannより年齢の小さい金髪の子がぎりぎりでOKとなって入っていきました。
これをみてNannにやってみようと話すとその気になったようで、壁に背中をつける。精一杯背伸びしてるが係の人から踵つけてと注意される。「彼女は身長が足りないのでだめ」との答えが、、、
やはり、背伸びしたので心象悪くしたのだろうか。Yunnがどうするかと思ったらじゃ一人で行くと行ってしまった。これでNannがもっと悔しい。泣きつづけるNannちゃんなのであった。この後Yunnがでてくる30分後まで泣いてました。よほど悔しかったのでしょうね。「牛乳のんで大きくなって来ようね」といって帰ったのですが、翌日から「Nannちゃんが牛乳飲んでいくところはあるでしょうが!」と自分から牛乳を要求するようになりました。いいことかもしれません(^^。
2000年9月22日 (Fry) 晴 学校に呼出される
昨日Yunnの学校から朝8:20に学校にきてくださいというレターを貰ってしまった。毎日朝お別れした後30分ぐらい絶叫しつづけているので相談したいということだ。昨晩、学校の役員をされているというMrs.Endoから日本語で電話があり色々話していたが解決策がでるといいのだが、、。8:20に妻は学校に行きMrs.Endoに通訳をしてもらって話をしてきた。私は8時にNannをナーサリに送った後8:35にYunnを教室に送っていった。すると校長先生がやってきてMainOfficeへきてくれとのこと。Yunnは「いやだぁ」と泣き出す始末。毎日こういう風景だったわけね。。Yunnにとってはとてつもないストレスだったんだろうなぁ。かわいそうなことをしているのだかもしれない。日本人のYukiちゃんと同じクラスにしてもらおうかと話すと「そんなことできないに決まってる」と世の中の仕組みを感じてるいるかのような答えが帰る。Yunnのためにも日本人のいないクラスの方が早く英語憶えると思ったが本当に良かったのだろうか。。。つらいなぁ。
話会いに私も参加したかったのだがCATV業者が工事にきていたので、工事が終わったら戻るということで部屋を後にしたが終わったら話し合いも終わってました。結局、Yunnが泣くのは学校が始まる前に入り口の前に英語を話す子供ばかりの中で扉が開くのを待つ間に不安が積のっていくかららしい。そこで暫くの間は学校が始まる10分前に先に部屋に入れてもらって先生のお手伝いをしたりして不安を取り除いてやるようにしてあげようとなった。あと、泣きそうになった時に心を落ち着かせる写真を持たせてあげることになりました。写真は家族の写真と日本のお友達の写真にしよう。
2000年9月20日 (Wed) 快晴
子供たちは起きたらやはり、「なんでいるの?」と嬉しさが混じった顔をしていた。
今朝はアメ車らしい経験をした。一昨日の夜にハイウェイを走っている時に異音を感じたが、夜なので調べることができず翌日も嵐だったため調べることができずに会社往復をしたのだがやっぱりである。
車の下を覗くとマフラの触媒部分が半分ぶら下がっている。仕方ないなと思いつつリペアショップへ。約$400なり。ガスケットからパイプから触媒から一式交換である。この車は帰任する日本人から購入したのだが、いつまで米国にいるか先行きの見えない段階では投資を押さえるための選択だったが高い買い物($1100)だったかな(^^。ちなみに米国ではキーを挿してエンジンがかかれば最低でも$1000が相場ということだ。7年もののレガシーワゴンを15万円でしか引取ってもらえなかった自分にしてみるとつらい選択だった。
写真は今の我が家の車達である。手前が購入したアメ車、後ろはリース車のシビックである。モデルチェンジ直前だったので割高のリース価格のようである。払ってる価格より$50近く安い値段でアコードをリースする販売店もあるので、それだけではないような気もするなぁ。日本語の使えるリース会社ということで割高なのかもしれない。。
けど不思議なのは持ちこんでから修理完了まで3時間かからなかったことである。持ちこんでパーツ手配して1時間たらずで届くのが不思議だ。初年度登録から12年たった車である。現行モデルなはずもないのにすごい国だ。
さて、帰ってみたらYunnがロシア人の女の子(金髪碧眼のきれいな子だったそうな)と2時間近くずっとくっついて遊んだそうだ。一緒にアスレチックの滑り台を滑ったりしてたそうだ。くっついて一緒に滑り台を滑ったりしていたそうだ。今まで日本人以外と接触しようとしなかったYunnだが今日は最後まで離れなかったそうだ。向こうも英語をほとんど喋れなかったからかな?クラスメートのAnnnaちゃんとは親同士で話してお友達になってねと話しているが、Annaは英語を喋るせいか本人たちは全然だめみたい。コンプレックスもってるのだろうな。今日の出来事はYunnの始めての金髪の子と遊んだ日でした。言葉の問題をクリアすれば溶け込んでいけるだろうね。
2000年9月19日 (Tue) 大雨
近所の銀行へFirst Unionへ連名口座を作りに行く。半年たったら利用料かかるらしい。ATMカードを作るのを忘れたような気がする。
午後から会社へ行き、そのまま空港から出張の予定だが向かう雨足が強くなる。案の定飛行機の出発時刻はどんどん遅れていく最後はCancel(出発取りやめ)となる。その前に別の便に変更したがこれも遅延して19:40が22:40となる。21時の段階で飛びそうにないので出張は取りやめて嵐の中会社にタクシで戻る。エンジンはかかるがなにか音が変。。心配だがこの雨では潜ってしらべる気にもなれない。取りあえずは無事に帰宅できてよかった。
家に帰って妻に話を聞くと子供たちは泣きながら寝ていったそうだ。今日は父さんは出張で帰らないということを朝は理解してなかったそうだ。Yunnは父さんの枕の、Nannは(なぜか)帽子を抱きしめて寝ていったそうだ。けど帰ってきてしまったんだよね。涙がむだになったね(^^。
2000年9月18日 (Mon) 晴
日本からの出張者のピックアップで家を7時過ぎにでる。約束の時間前につくがフォトIDを忘れたことに気付く(;_;)。
朝の早い現地ワーカーに電話してゲートのセキュリティまで迎えにきてもらうよう頼む。後で聞くとID忘れても、ID見せろといわれたら空の財布をさもあるように見せればOKだということだ。どこの国も同じだな。
AT&Tに電話して昨日の続きをする。昨日は設定変更をするということだったが、Homeエリアを設定するような契約内容ではなかったので「ごめんなさい。交換します。」ということになった。48〜72時間以内に交換機材を送るので、電話してActivateしてくれということになる。
NannのNursery schoolのBack to school(保護者面談みたいなもの:親が学校に行き子供の椅子に座ってどんな教育するのか説明を聞くというもの)のため17:30に会社を出る。ターンパイク(NJを南北に走る高速道路:有料といっても¢45)を走っていると、急に音がおかしくなる。横を走る車のドライバと目があう。何かおこっているような気がするが止まるのも怖いし、時間もないので取りあえず帰る。エンジンルームを開けて異常がないか点検する。8気筒5000ccのエンジンである。がたいがでかいのでメンテナンスするのも大変そうだ。ボンネットの耐熱シートはかなり痛んでいるが、エンジンルーム内に異常は見当たらない。ボンネットを閉めようとするが力一杯閉めないと閉まらないので苦労したところで時間切れである。簡単に食事を済ませてナーサリスクールにシビックで移動。19時から教会で教育関係のセールスの説明を聞いてから教室に移動して説明を聞く。
エンジン内でなければ排気系の異常が疑われるが車の下を覗くのが怖い(^^。
2000年9月17日 (Sun) 快晴
日本人コミュニティを感じるために、Mitsuwa(旧ヤオハン)へ行く。日本の倍程度のお金を出せば日本と同じものは手に入ることを確認する。多分、ここにくることも目的は買い物より掲示板のガレージセール情報の入手がメインな気がする。今日は家族に店を見せる以外に、調子の悪い携帯電話の交換依頼をショップに依頼することもある。11時過ぎに店が開いたので、店長らしき女の子(韓国人)に事情を話してAT&Tの1年間warrantyで無料交換してもらえるとのこと。電話番号を教えてもらい、自分の携帯から電話する。日本語通訳がいるとのことで間に入ってもらい事情を再度説明。設定を変える必要があるので携帯以外の電話でかけ直してくれと言われて電話が切れてしまう。。。。仕方ない。出直しである
先輩駐在員から聞いたお奨めのOrganic(有機)食品のお店WholeFoodによる。ビン入牛乳がお奨めということだ。こちらにきてから牛乳が美味しいと感じているが、更にいいという話だ。日本の牛乳がまずいわけは昨今の森永関連ニュースで理由が分かった気がする。チーズも100種類は軽く越えているのではないかと思うぐらい種類が豊富だ。食事もできるようでパンやサラダを買って窓辺でマンハッタンを横目に食べることが可能だ。場所はMitsuwa沿いの道を北に少し行った右手にあるで横にでかい建物なので分かると思います。
店からでるとYunnが空を指差して騒いでいる。何かと思ったら空に文字らしきものがかかれている。眺めていると文字が増えていく。飛行機が5機編隊を組んで同心円状に旋回しながら文字を書いていっている。たまに間違って点が多かったりするが、凄い。しかし、物珍しげに見上げているのは我が家だけで横を通りすぎる現地の人たちは一向に気にしていない。普通の広告手段なのだろうな。後日聞いてみるとそうらしい。Sky writingと同僚は呼んでいました。
16時からYunnの小学校のSchool Picnicであった。学校の横の広場の回りの道を一般の車を完全にシャットアウトして子供たちが自転車やローラスケートやキックボードで自由に走り回れるようにしてある。広場では各人持ちこみの食事をするというものだ。とてもいい天気だったので気持ちよかった。Yunnも最初はぐずぐず言っていたが同級生のYukiちゃんがきたら一緒に自転車を一生懸命こいでました。結局3時間ちかく頑張ってました。最後はAnnnaちゃんにも会えてちょっとでしたが一緒に走ってました。Nannもキックボードをだいぶ乗りました。最後は疲れて機嫌悪くなりましたが、頑張りました。今日はずいぶんいい経験でした。こういう道路をシャットアウトして子供たちに開放させるイベントは9/1にもやっていたのでよく行われているようだ。子供たちに楽しい子供時代をプレゼントしようという大人たちの思いなのかもしれないなと感じた日でした。
あと、日ごろ運動不足の親たちには一緒について回らないといけないのでいい運動かもしれない(^^。
2000年9月16日 (Sat) 晴
明日は日曜日。我が家のあるBergen countyは日曜日は雑貨品のお店はお休みである(*1)。従って、ベットのシールや子供の自転車アクセサリなどは土曜日に買い物を済ませておかないといけない。明日のPicnicは子供たちは自転車に乗って道路を走るのだがヘルメットをかぶることはルールのようだ。Yunnの分は買っていたがNannのは買ってなかったので慌てて買いにいく。その後、5本の指に入るといわれる高級家具店Ethern Alenへ家具のお勉強に行く。妻の目が輝いているようだ。こういう店でも$3000(30万円ぐらい)を越えるものはほとんどない。高くてもこのレベルである。それでいて一枚板の仕上げが上等だったりするのだ。日本の輸入家具の値段は単純に2倍以上はつけられているんだろうなと実感する。輸送料+税金があるので店のマージンとばかりは言えないでしょうが、それでも感覚の違いを実感させられた。カタログを貰うとき、立派な冊子のため思わず妻は"How much?"と聞いてしまったが、"This is present"と言われてしまいました。
(*1)County(郡)によって決まりが違う。隣のCountyに行けば開いていたりする。あと、面白いのは日曜日は午後1時まではお酒を販売してはいけない決まりになっていることだ。
2000年9月13日 (Wed) 快晴
午後から妻の運転免許を取りにWainのDMV(Department of Motor Vihicles)へ。Kindergardenは4hour classの日なのでお昼までなので子供も一緒である。いってみないといつ帰れるかわからないし、PickUpの時間に帰れないとまずいのでこの日を選ぶ。試験場も週の中日の方が空いているはずだし(実際はAMはそうだがPMはそうでもなかった)。
必要な書類は、パスポート、日本の免許証と国際免許証、ソーシャルセキュリティカード(家族は発行してもらえないのでSSオフィスで発行できないというレターを貰っておく)。申請書には身長,体重,目の色,住所を記載するので事前に調べていくとその場で慌てずにすむ。
特に身長体重は、単位がフィートとポンドなので知らないと書けない。
往路はハイウェイを使わずに80号West→20号South→46号Westだったので1時間近くかかる。
80号Westから20号Northにしか接続がない。こういう場合は一旦通りすぎてUターンして、80号Eastで戻って20号Southに入る。こちらの道は平気でこういう道の作り方しているので知っていればいいが、知らないと道に迷う羽目になる。始めての場所は時間に余裕を持っていくことが大事である。
14時過ぎに到着。Informationでapplication(申請書)を貰って記入て窓口に提出。妻はSocial Seculity Numberを発行してもらえないので、先日SSオフィスで貰った”SSNが発行できない”というレターを見せると、これにサインしなさいと用紙を貰う。”SSカードはないけど、嘘の申告はしません。嘘の申告をしたら$500の罰金があることを知ってます”というものだった。これに住所などのサインを書いて提出。
暫く待つと名前を呼ばれて、受験料を払う列に並ぶ。$5を払って試験会場へ移動。案内を良く読めばわかるが一見するとどこで試験があるのか分かりにくい。窓口の担当者も冷たい感じだし。何をしていいかわからない時は、他の人の動きをみるのが基本である。ここでも人の流れを見ると分かる。セルフサービスのガソリンショップも同様である。
試験場は本人以外はだめということなので、外で子供たちと待つ。落ちると恥ずかしいのでじっくり考えたようでオフィスの締まる直前に出てきた妻は、「実技試験の紙を貰った」とのこと。日本の免許と国際免許があるので実技試験は免除のはずなのに??。実は試験受付の時に国際免許を見せたが試験終了後のレター発行担当に見せてなかった。慌てて戻って担当官にその旨を妻が伝えると、こっちにこいということでレターの再発行をしてくれて実技試験はなしとなった。しかし残り15分(16:30まで)で窓口は締まるのでやばい
日本なら最初にきちんと見せていればそれが最後まで伝わっていそうであるが、そうでないのがこの国らしさだ。
担当官それぞれのステップでちゃんと処理されているか確認しないと自分に不利になる。なお、試験は制限時間はない。試験料払って試験会場で受付すると問題を渡される。この時、日本語で受けたいことを伝えること。英語で受けた英語がかなりうまい人たちが落ちています。日本語だと問題数も少ないので安全自動車学校からもらった練習問題やってれば通ります。問題は法規と標識の2部構成となっており、法規の問題終わったら採点して8割OKなら標識の問題を貰います。これも8割OKなら合格となる
後は、窓口に戻って試験のapplicatonと同じような免許証のapplicationを書いて列に並んで提出して座って待つ。。名前を呼ばれて別の列に並んでお金$18を払い、隣の窓口でインスタント写真を撮ってもらい、その場でラミネート加工して免許証の出来上がりである。担当者も
丁寧にやらないので写真が斜めに貼られていたりはみ出したりしているのもアメリカらしい。けど、4年経てば更新だし、住所変われば1週間以内に届け出を行ってDMVで免許証の再発行をしないといけないので、短い期間のためにお金と時間かけて発行するのはもったいないなとその合理性も納得できる。
帰りは有料のGarden state Park wayを利用する。料金所2箇所で合計¢50である。夕方のラッシュの時間帯にも関わらず40分で帰りついた。
斜めにこの道が通っているので早いわけだ。46号East→Park Way→4号East→9Wである。
この後私は会社に戻ったのが、21時ごろ戻ってくるはずだった日本からの出張者が17時には戻ってきていたため一緒に夕食をとるはずがとれなくなってしまった。現地人の営業さんも連絡くれればいいのになぁ。。私が連絡をとった時(携帯の留守電)は既に17時過ぎてたから仕方ないと仕方ないが。仕方ないので21:30まで仕事して、一緒に食事するはずだった駐在員と居酒屋に寄って帰る。メニューは本当に日本のそれそのままである。ビールに冷奴に、サンマとメニューに並んでいる。とうぜんお茶漬けもありだ。料金も頭の$と小数点を除けばだいたい日本のそれと同じぐらいの価格となるので違和感がない。
その一方で子供たちは学校の校庭であったSafety Nightを楽しんだようだ。Policeのバイクや消防車などがやってきて安全についての意識啓蒙が目的らしいが、無料のアイスクリームやバイクに乗せてもらったり、ドライアイスの煙の中の模擬非難訓練などがあったそうだ。妻も子供たちもずいぶん満足したとのことで私も見たかったな。来年は見れるかな。
9/9(Sat) 快晴夕方雨 Garage Sale
リサイクルの収集日だが近所は誰も出していない。違うのか??大型家電品の回収日はカレンダーには第一金曜日と書いてるが、前任者からは最終金曜日と聞いたし
本当は何?ということが多々ある。朝、近所を見まわった妻がガレージセールの案内を見つけてきた。こちらは家の中のいらないものをよくガレージセールとして
処分している。庭やリビングに並べて値札をつけて販売するわけだ。
Nannも熱は下がって元気になったようだ。無理はできないが、近所なので歩いていく。
入り口は風船ぶら下げて結構目立つようにしてある。自転車や家具もあるがかなり使い込まれたもので購買意欲は沸かなかった。が、子供服はずいぶんかわいいのがある。
その家の娘のものらしいが、実はYunnと同級生であった(^^。その家の子(アンナちゃん)はYunnの名前を憶えててくれてました。
YunnとNann2人分で大きな紙袋いっぱい買って$19。厚手のコート系の服もあったりでなかなかお買い得だった気がする。
この家では娘とその友達の3人で庭先でレモネードのDrink販売もやってました。¢10/カップと良心的なお値段でした。うちもガレージセールやる時はやろうっと。
このドリンクのお店、帰るときはClosedになってました。完売したのかな?暑い日だったからね。
9/8(Fry) 快晴 疲れか?
妻から電話がきた。道に迷ったとのこと。自分のいる場所がわからなくなっているようだ。
交差する通りの名前を聞いて、職場の同僚のPCに入っている地図で検索。どうやら家から500mの辺りみたい。
多分動けば分かると思うので、道沿いにあるはずの目標を教えて動いてもらう。なんとか帰りつけた。
木立の中の家が延々と続く環境なので、目標物を把握してないと迷子になってしまう道路事情もあるな。
けど、携帯電話持たせておいてよかった。なかったら電話探し回るはめになって住宅街だとなかなか見つからないからね。
ガソリンスタンドにはたいがいありますが。。
夜にまた家から電話。Nannが39.5℃の熱があるとのこと。昨日から熱っぽかったので午後に病院で見てもらって、解熱剤を処方してもらっていた。
時間は18時すぎ。病院に電話しようにも診察時間外。但しこちらは時間外でもアンサリングサービスで担当医に連絡をとってくれるようになっているので
連絡をとるようにするが、摂氏だと伝わらないのでカ氏に変換しようと変換式を探す。
摂氏 centigrade thermometer. ℃=(F−32)×5/9
カ氏 degrees Fahrenheit F=(9/5)×℃+32
39.5℃は103.1Fとなる。100度を越えているといえばかなり高いと伝わるらしい。
アンサリングサービスに熱が高いことを伝えてもらうが医師からの連絡はない。連絡についてはあまり信用のない米国社会だが命に関わることについては賠償問題に発展するのでしっかりしているはずだ。
21時回っても連絡はなかったが、私が帰宅した段階で既に解熱剤が効いたようで38度台まで下がったので911呼ばずに眠ることにする。
結局1時過ぎに電話がなり、担当医からであった。フィラデルフィアの会議に出席してたそうで連絡がつかなかったそうである。
明日も熱が下がらなかったら、抗生物質を出しましょうということだった。こちらは日本と違いすぐに抗生物質を出さずに数日様子をみてから出すそうだ。
この段階で熱は38.15℃だった。
==米国の病院==
24時間受け付けである。但し、診療時間外は answering service につながるので
医師に連絡をとって欲しいことを伝える。emergencyであることを伝えれば数分でとって
くれるはず。 この時、一度もかかったことのない病院だと"Who are you?"となるので
Home doctorを作っておくこと。
夜間でも病気になったときは電話してアドバイスをもらうこと。医師が電話で薬局に電話
で処方を出して薬をもらうことも可能。
かならずHome Doctorに電話すること。救急車をいきなり呼ぶとどこにつれて行かれるか
分からない。ERにかけこんでも6時間待ちということにもなる。但し、子供が骨折した時
などは最優先でみてもらえる。
診察料は一時立替を行って後日保険会社に請求が基本だが、直接保険会社に請求して
くれる病院もある。Noguchi Clinicもそうだとのこと。
出張やバカンスの時は、そうはいかない病院もあるのでマニュアルをコピーして持って
いき処理方法を理解しておくこと。また、www.aetnaushc.comでZIPコードで保険カード
使える病院の検索が可能とのことなので事前に調べておくと便利。
9/6(Wed) 快晴 Yunn小学校初日
Yunnの小学校(といっても1st gradeの下のKinder Gardenである(*1))。家が学校の前なので子供たちが集まってくるのが窓から見えて、Yunnは早く行きたいと言ってました。5分前に家を出てあるいて、Kinder用のゲートの前に集まる。写真を撮ってる米国人もいます。うちも撮っておこうっと。Multi Purpose Roomに集まってそれから移動と言われても部屋がどこか分からん(!)、Main officeで尋ねていったら既に子供たちは列作って移動始めてた(^^。人数確認なんてないのね。
幸い、日本人の女の子が同級生にいました。Yunnには話ができる子がいて助かった!というのが正直な本音です。教室にはパソコンが何台か置かれているみたい(写真右側:iMacぽい?)。けど不安そうな顔してたなぁ・・
Yunnと別れて家に帰る途中、Nannも「はやく学校行きたい」と言い出した。いままでずっと一緒に保育園通ってたものね。きっと離れるとさびしいのでしょう。来週からナーサリスクールに通えるからね>Nann
(*1)Yunnは9月で満6歳なので本来なら1st gradeなのだが、英語をしゃべれないし
数学もやったことないので一学年落として始めることにしたのだ。飛び級もある国なので学年と年は関係ないと思ってますし、
日本に帰った時は、米国の学年に関係なく年齢に応じた学年に編入できるので問題ありません。
学校から帰ってきた後ずいぶんご機嫌で遊んでいたので学校が楽しかったのかと思ってたが、寝るとき「学校楽しかった?」と聞いたら、「あんな学校いちばんキライ」と話しだした。先生が何を言ってるのか分からないのが楽しくないらしい。昨日は「分からなくてもお友達の真似すればいいんだ。簡単じゃん」と言ってたが現実は厳しかったか。。。
「おうちが一番好き、2番は(日本で行ってた)保育園、3番はチューリップのとこ(ハウステンボス)。4番にキライなのはあの学校」とのこと。う〜ん、つらいなぁ。
後で妻に聞いたら、学校からでてきた時はしかめ面してたが家に帰ってNannと遊ぶ時がずいぶんはしゃいでご機嫌だったそうだ。言葉の分からないつらい学校から戻って、日本語で話のできる妹を遊べるのが嬉しかったのだろう。「日本で通ってた保育園の方が(お友達の)Michikoちゃんもいるからいい」とも言ってたそうだ。
一番の心配だったのは、”トイレに行きたいのに言えずにおもらししてしまう”ことだったがちゃんと「トイレに行きたい」と
日本語で先生に話せたらしい。通じたから良かったとしよう。前日まで何度も教えて、当日は紙にも書いて持たせたけどカバンに入れたままだったみたい。
学校からたくさんの書類を持って帰ってきた。色々な申し込み用紙とイベント案内などである。全部が未経験のことなので辞書を引きながら内容を夫婦2人で夜なべして解析しているところである。23:30に始めて今は2:15である。朝、起きれるかな。。。
単語が分からないのはつらいなぁ。。以下、内容抜粋である。
**** lunch
????? Bagels
????? Ziti
????? Cap ← 帽子ではなく、おもちゃのピストルの火薬玉
??? co-president 共同会長
HSA Home and School Association: PTAみたいなものかいな
involve 巻き込み、必要とする
violatio 違反
vast 広大な
diverse 多用な
curriculum カリキュラム
district 地区
qualify 資格を与える
dictate 規定する, 命じる, 要求
promote 促進する
encourage 励ます、促進する
treasurer 会計
physician 内科医
●Safety Night
9/13 18:00〜20:00
色んなデモンストレーションが学校の校庭で行われる。
●Milk program:
2% Low Fat milkを¢15×90日=$13.50
lunch program:
月曜から金曜まで異なる店が提供。9/25から1/19の期間の注文を9/15までにする。
your choiceの国らしく選択するようになっているが、曜日ごとの指定しかできない。
月曜日のチキンナゲットを選べば期間中すべてを頼むことしかできない。
飲み物は¢50で、チョコレートミルク、アイスティー、ウォーターからの選択となる。
→毎日ミルクを頼んで、子供の好きな食べ物だけ(飲み物なし)を選んで申し込むのがいいと思う。
その他の日は弁当持たせるなりする。
●Insurance:学校が紹介しているのは Mutual of Omaha Insurance Companyの保険
フルタイム24時間保証=学内および学校行事だけでなく家庭や旅行中も保証する
学校時間帯のみ保証 =学内および学校行事だけ保証する
24時間保証(歯科保証含む) $65
24時間保証(歯科保証除く) $55
学校時間帯のみ保証(歯科保証含む) $25
学校時間帯のみ保証(歯科保証除く) $15
最大保証 $500,000
死亡 $10,000
●年間行事
9/13(Wed) HSA meeting 9:00〜
9/17(Sun) Fall family Picnic 16:00〜19:00
9/28(Thu) Back to School Night
毎月1回HSAミーティング
10/27(Fry) Halloween party 18:30〜20:00 Kinder-2nd 20:00〜22:00 3rd-
●Special **** free and reduced price milk
ミルク料金の無料または減額<-- 収入制限があるはずなので、我が家は対象外のはず
校長からのレターにも下記のような記述があるぐらいである。
"most families in our district will not qualify for this program."
●インターネット利用規則同意書
やっていいことと、やったら悪いこととそのペナルティについて規定している。
Each student **beginning in grade four** must also sign the student
compliance form.
→ 4年生以上だけが対象か?
●もってきたらいけないもの
Gum,Toy Guns,Knife,Cards,Comic
Cap ← 帽子ではなく、おもちゃのピストルの火薬玉
●Emergency Card
両親の連絡先
隣人の連絡先(第3者の人)
その他にも記入して9/8までに提出する書類が多数ある。。。うぅぅ、、大変だぁ!
緊急時の連絡先の隣人や、どうやって書いたらいいから聞かないと分からないこと多数でてくるわ。
やっぱり、日本人同士助け合わないと生活できないってのは本当だわ。
9/5(Tue) 快晴
野口人間ドック(という名前だが一般診療も行ってる病院)にYunnの尿を持っていき検査してもらい健康診断用紙を
貰って帰る。BCGの接種チェックも陰性(*1)なのでレントゲンをとる必要もなくすぐ終わった。
帰ると玄関に付箋がある。会社の人の奥さん(前任者の奥さんが後任をよろしくとお願いしてくれてた)が心配して様子を見にきてくれたらしい。慌しく色々とこなしているうちに連絡する余裕がなかったからな。早速おり返し電話を妻がしてる間に携帯が鳴る。Yunnの学校のNurseからImmunization(予防接種)の確認用紙の件である。ちょうど持っていこうとしてたところだと伝えて学校にYunnとNannつれて向かう。日本と米国では予防接種の内容が異なる(回数が違う)ので、2つほど足りないが1月たったら接種するという約束にサインして入学OKとなる。こちらではNurseに、予防接種の回数が足りてるかどうかで入学の可否を決める権限が与えられているので厳しいNurseだと「だめ!」となる場合もある。幸いこのNurseは理解のある人のようでよかった。
(*1)米国ではBCG接種がないのでチェックは陰性となる(お豆ができない)のが普通である。従って陽性の人は結核の疑いがあることになりレントゲンを撮って感染がないことを証明する必要がある。
日本でやってこようかと思ったが、現地の医者のサインがないと"Who is he? I don't know this doctor."と拒否される可能性もあるのでやらずにきました。
IRSオフィスで妻子の納税者番号の申請を行ってくる。無愛想な係官だったけど妻子ともに受付してもらってよかった。後で人事から聞いた話では、「数日前に行った人は妻子両方とも拒否された。その前の行った人は受け付けてもらえた。」とのこと。人相を確認するとどうやら3人とも同じ担当官(女性の黒人)だったらしい。担当官が権限をもつ国なので、タイミングによっては悪い担当者にあたることもあるは聞いていたが、同じ人でもタイミングによって判断が変わるというのはたまらない国だな。
続いてSocial Security Officeへ、運転免許とるのに必要なSS#を”発行できない”と書いたレターをもらうために行く。
officeはビルに2回の1室にあり、待合室は10人程度の椅子が用意された狭い部屋だった。子供と一緒に座ってると向かいの椅子に座った初老の紳士がニコニコしてこちらを見ている。子供たちは無邪気にじゃれている。暫くすると老人がやってきて、「Tip for both childres」といって1ドル札を2つ(それぞれ小さく握ってあった)くれた。断わりきれず「Thank you」と子供たちにも言わせる。どこの国にもこんな方はいるのね。のんびりした田舎町を実感させてくれる1シーンであった。ちなみにこの1ドルはこの後のDunkin Donuts(アメリカにしては小さいサイズで4個で$2.4程度とお手軽値段なので、女性客が次々に訪れて繁盛してた)としました。レターを無事もらって、帰路は妻の運転練習のため妻の運転で帰る。ちょっと怖いけどハイウェイも走れたしこれで一安心かな。
9/4(Mon) 快晴 一時 雷雨
近くに住む同じ小学校に通うお子さんをおもちの会社の方のお宅へお話を聞きに伺う。
やはり生の声は参考になります。「Dismissal(学校からの解散)の時間は厳守すること」は本当に重要です。
下校時刻になるといっせいに学校の外に出させられ、この時は迎えの者が待っていることが前提です。
従って、迎えがきてないとトラブルとなる。人の子供を連れていってしまう人間のいる国ですから、子供一人にさせることは大変危険です。迎えの人間も登録者にしか子供を渡さないというのもお国柄ですね。当然、子供たちだけでの登下校なんてありえません。保護者が送り迎えすることが当然です。
近くの日本人の多い町のスーパーで、”ちょっとの間だからと子供を置いて買い物して戻ったら子供がいなくなってた”という事件があったそうだ。子供は見つかってないそうです。日本ではよくやられていることですが、年間数万人が行方不明になる国ですから子供を一人にすることがいかに危険なことかが実感できる話です。
StaplesでYunnのSchool用品を購入。Back to Schoolコーナがあるが、指定用品はそろわないので店内を回って揃える。
同じように親と一緒に、購入用品を書いた紙を持っている親子連れがいっぱいいました。明後日から学校が始まります。
夕方から妻の運転教習2日目。今日も雷雨がくる。そのなか、今日はMitsuwa(旧ヤオハン:日系商品が多数あるスーパ)まで行ってきたそうだ。帰ってきてから教官(私も習った)と暫く雑談。ついでに疑問を聞いてみる。
NJ州でのチャイルドシート使用に関する規定:
18ヶ月未満の子供はどこでもチャイルドシート使用が必要。5歳未満の子供は前席に座る時はチャイルドシートの使用が必要だが後席に座る時は不要である。
9/3(Sun) 快晴 一時 雷雨
Yunnの小学校(Kindergarden)の準備するものを買いにいく。隣の家の人が外にでておられたのでどこにいけばいいか尋ねる。初日は子供たちは寝てたので会ってないので初対面である。じぃちゃんが帰ったことを話すと「信じられない」という顔をする。そりゃそうだわな。せっかくきたのにという感じだろう。「彼は忙しいビジネスマンなので今回は帰ったが、年末に長い休暇を取ってまたくる」ということで納得してもらう。
日用雑貨のK-martや文具オフィス用品のStaplesはお休み(この郡の決まりだって)なのでCVS(雑貨屋)を紹介してもらう。がいまいちそろわない。明日Staplesに出直しだ。午後から妻の運転教習初日。主婦の通る道(街路)を主に練習したそうな。通勤でハイウェイを使う旦那用とは内容が異なるのね。教習中に雷雨がやってくる。子供たちはかあさん大丈夫かなぁと心配そうである。
昨日のスーパに味噌などがなかったので、近隣の町の韓国スーパに行ってみることにする。Tenaflyの金城とEnglewoodのHan an lance marketに行く。前者は日本の田舎町の雑貨屋というイメージで何か怪しい感じのする店である。後者は大きめのスーパという感じでかなり安心感のある店である。ここで、錦なる現地米を購入。後で炊いてみると日本の米と変わらない味である。いずれも韓国系なのでキムチの匂いはすごい。
ちなみに日本からの米の持ちこみは関税がかかるので、実家は米作農家であるにもかかわらず送ってもらうことは難しいのはつらいことだ。。(会社は気楽に送ればいいぢゃないかというが当事者にならないとわからないことって多いものです)
9/2(Sat) 曇一時雨
義父をJFK空港までアメ車で送っていく。まったく渋滞もなく50分で到着。Departureの2Fの道路で別れる。きっとラウンジで
飲んでゆっくり時間を過ごしておられるのだろう。昨日の朝マンハッタンへ行くときはYunnは時差のためか家で寝ていたのでNannがついてきたが、今日はNannが寝ているのでYunnがついてきている。助手席に子供を乗せるのはエアーバックのため危険なので、子供の席は後席という認識があるようなので逆らうと近所から何か言われるかもしれないので、こちらでは子供の座るところは後ろと最初から決めているが、大人しく座っている。しっかりとして態度で接することが大事だな。学校でも子供のしつけが重要視されるようだしな。
家に帰ってからはとりあえず家の片付けであるが、私は仕事ためると後が大変なのでユーザ対応のメールをいくつか書く。そんな中、端末がないと動作確認できないので会社にとりにいくことにする。
夏休み(盆休み)がない代わりの、9/5までVacationとしているがメールチェックをしないと復帰してからが大変なのでメールには目を通している。通すと返事かかないといけなくなり、返事かくのに機械の動作を確認しないといけなくなる。家には機械ないので会社まで取りにいくことになる。
ついでに家族に会社を見せることにする。15:25に会社に入って、アイスクリームの自動販売機でアイスを子供に買ってやりオフィスへ。この自動販売機は、商品を取り出すのに掃除機方式を使っておりとても愉快である。お金を入れると上開きの冷蔵庫の上蓋が開き、商品を選択すると掃除機のノズルの先っぽのない奴がずずっと動いていき目的の品の上でバキューム開始。ぶぃーん!という音とともにアイスがノズルの先に吸い付き、それを取り出し口まで運んでバキューム停止。ぽとんと落ちてくる。これだけやかましい自動販売機は日本ではお目にかかれないような気がする。
ofiiceでVoiceMailをチェックすると、家族分の航空便が届いていた。ずいぶん早いな。私の時は2週間かかったのに1週間できたぞ。来週出社した時に受取りたい旨を返事する。
食料の買い物に、Edgewaterのモール(ヤオハンのちょっと南)に行く。味噌は製造年月日の記載がなく、テープの部分にかびが生えているので購入をやめる。塩を見つけることができない。日本食はやはりヤオハンか!?韓国マーケットなどいろいろ回ってみる必要があるな。
子供たちに部屋を与えて子供たちでねるようにするつもりだが、まださびしいようで子供たちだけでは寝ることができないみたい。「さびしい」と泣き出してしまった。初日からやらなかったからかもしれないが、仕方ない。ぼちぼち寝るようにさせていくしかない。
Nannが寝るときに「一人でねるのはさびしい」と大泣きする。アメリカきたら姉妹2人で寝ると言ってたのに、初めの2日を両親を一緒に寝てしまった(じぃちゃんに子供用ベットで寝てもらったため)ためかだめである。”子供は後席でチャイルドシート”は初日からしたのでまったく異議をいうことないので、やはり最初が肝心だったなとちょっぴり後悔するが、一緒に寝たいと甘えてくれるのもかわいいものだ。しかし、いつかはしっかりと自立させないといけないな。
9/1(Fry) 曇一時雨
義父をマンハッタンへ送っていく。明日は帰国のため今日一日しかフリーな時間がない。一緒に案内したいところだが午後15:30から子供たちの検診を予約している。学校入学前には医者の診断を受けて、必要な予防接種を終了しているかチェックする書類にチェックとサインをしてもらう必要がある。これがないことには学校に来させてもらえない。それで、朝マンハッタンまで送っていく夜にピックアップすることにする。こちらは電話をかけるのも慣れないと大変(見つけるのが大変、かけ方も難しい)なので携帯電話をお貸ししておく。エンパイアステートビルの前で降ろしたつもりが、別れてすぐまた同じビルが、、、あ、別のビルの似たようなビルで降ろしてしまった(^^。
帰ったら妻はだいぶ荷物を開いて片付けが進んでいた。電話会社とガス会社に連絡とろうとするが電話がつながらない。なかなか契約できないなぁ。うつらうつらしているうちに15時になる。あわててどたばた準備させて病院へ向かう。日本語の通じる病院まで車で15分というところである。Yunnは予防接種とツベルクリン反応の合計4本の注射をしましたが泣きませんでした。血液検査のために血を採るときも我慢できました。もうお姉ちゃんですね。Nannはまだ痛いのは大嫌いのようで、お姉ちゃんが泣かなかったからNannも泣かないと言っていたのにいざ注射をすると大泣き&キックでした。Nannは注射は予防接種2本で、混合接種と言っても混ぜて一本の注射にするわけではなく「痛いのは一度の方がいい」ので2本同時に打ちました。子供が痛くて暴れると危ないので上半身を足を親2人で押さえて、看護婦さんと先生で両足それぞれ太ももに同時に注射しました。
結局、診断、注射で2時間かかりました。Yunnがおしっこがでなかったので、血液検査の結果の出る9/5に尿を持っていきその場で検査して頂き書類にサインを頂くことになりました。学校の始まるのが9/6、書類の提出日が9/5とずいぶんと余裕のない日程であるが仕方ない。学校入学前のこういう病院関係のことは家族呼び寄せ日程を決める段階では分からなかったものな。会社側もこういう情報は知らないようで、”家族呼び寄せは本人赴任後3月経過後の目安とする”ことが文章としてあるが、それを早めて決裁を取りやすいようにできるだけ遅い日程にして欲しいということだったので8/31呼び寄せとしていた。まぁ、なんとかなればいいや。ちょっとタイトな日程ですけどね。
検診も終わったので義父を迎えに行こうと連絡をとるが携帯につながらない。留守番サービスが応答するだけである。ジョージワシントンブリッジを渡ってみたいとか言ってたのでNJ側に戻ってくるのかもしれないのでマンハッタンまで迎えに行ってるとすれ違いになる。しかし、金曜日の夜なのでマンハッタンに渡る人で道路は渋滞して向かうのに時間がかかる。連絡ついた時にマンハッタンにいた時に迎えが遅くなるので、とりあえずマンハッタンに入っておくことにする。出るのは早いからね。
30分おきに連絡とるがつながらない。後で確認すると地下鉄で移動していたそうだ。仕方ないのでマンハッタンの一番の南の公園に車を停めて、自由の女神の横顔を眺めて待つことにする。ここは西側の湾岸道路(9A)を一番南まで南下して、トンネルに入らずに右車線を行くと突き当たりに公園が見えてきます。その直前に¢25/10分のParkingがあります。車停めてチケット販売機で自分が止める時間分のお金入れてチケットを買って車のウィンドウの内側においておきます。最低額の10分買って20分ぐらいいましたがチェックされてなければOKなのか??
自由の女神を見てる間に電話が入り、ヤンキースタジアムのところにいるとのこと。あそこは行ったことないし、試合があるようで人が多いとのことなので合流はセントラルパークの辺りとする。お互い移動してまた連絡とることにする。湾岸道路を北上して58番ストリートの辺りで東へ曲がってセントラルパークを探す(実は地図持ってなかったのでだいたいの感)。ブロードウェイを横切った辺りで携帯に電話。ブロードウェイと60番ストリートの交差するサークルの所にいるとのこと。今横切ったブロードウェイの2ブロック上にいたんだ。ワンウェイ(一方通行)なのでバックしていけないので、6番街まで進んで北上して59番ストリートを西に戻ってサークルにでることにする。サークルに入るところで電話して位置を確認。無事合流できました。
エンパイアステートビルに登った後、退役して海軍空母をそのまま使っている博物館からセントラルパークと歩いてそこから地下鉄で移動していたとのこと。かなり歩いておられる。マンハッタンは確かによく歩く町ですものね。私も2年前はたしか2.5万歩歩いていました。帰りはリンカーントンネルを抜けてニュージャージーへ戻り、JFK通りのマンハッタンの見える通りから夜景を見せてあげる。ここから見る夜景はニューヨークの夜が対岸の丘の上からきれいに見えて素敵です。一度は見ておくべきでしょう。街灯も明るいのでけっこう安心です。但し、通りの反対側(住居がある方)の奥はヒスパニック系が多く住んでいます。一度夜中に迷い込んだことがありますが、車の中に男が4人乗って(目が怖かった)何やってるのか知りたくない感じで、雰囲気もちょっとやばそうですので奥には入らないほうがいいと思います。
途中、道間違って知らない町に入ること2回。なんとかなって良かった。自分の知ってるメジャーなもの(G.W.ブリッジなど)の案内看板があるのでそれを頼りに走るのがこつです。けど一度見失うと大変です。
帰宅したのは21:10なので道に迷って1時間ちょっと。まぁまぁでしょう。
2000/8/31(Thu) 晴れ 家族と合流
家族を迎えにJFK空港へ。11:20到着予定だがJALの到着案内フリーダイヤルで確認すると11:15到着予定とのこと。
リモを10:15にきてもらうようお願いして、24時間営業のGrandUnionに花とスケッチブックを買いに行く。10時前に戻って準備するがリモがなかなかこない。3分前にリモの会社に電話して、どこにいるのか確認してくれと伝える。
10:30がタイムリミットと思ったので、こない時のために自分の車の用意をする。
会社に再度電話したら近くまできてるはずとのこと。いない、、、蕎麦屋の出前のようなものかもしれないので、「あと2分しか待てない。来なかったらもうでる」(実際、もう出ないと間に合わない)と強硬な態度を表しておく。するともう一台の携帯にTEL。リモの運転者からである。近くにいるのだがわからないとのこと。通りの名前を言われてもまだ名前を知らないぞ。それでも銀行やレストランの名前を頼りに誘導して10:40に家の前に。運転者のMr.Tacker(白人)と握手して出発である。さすがストレッチ。中は広い。窓は黒塗りで外からは見えない。中もTV付きだし。快適な乗り心地である。全長28フィートだから約8mか。乗員12名。最大16人乗車可能らしい。
道路は一部混んでいたが11:30にはJFK空港到着。12:10ごろにゲートから出てくる。何?あの荷物の量は??箱が小さくなったけど、わらわらと小さなバッグが一杯あるぞ。後から気付いたがいくつかものがなくなっている。これだけあったらなくなっても気付かないわな。旅慣れしてないので仕方ない。
Yunnとはほとんど2月ぶりの再開である。飛んできてくれました。久しぶりに見るとうちの娘らは小さいなぁ。NannはMr.Tackerに「Cute」と言われてました。さすがにリンカーン。これだけの荷物も余裕で積めました。
車内は足も伸ばせて快適です。家に14時ごろ到着、Mr.Tackerと車を家を背景に写真を取って彼と分かれる。代金は有料の橋、駐車場代にチップ含めて$212.00なり。ちょっと高かったかな?ま、いいや。
家族は時差で眠いが今寝ると明日も時差が残るので、近所のドライブ。しかし、ドライブはなお更眠気を誘うようで寝てしまう人続出。まぁ、疲れてるから仮眠ぐらいいいや。
夜は近所のUMEYA(日本人経営の寿司屋)。日本人の間ではおいしいと評判です。確かにおいしい。
寿司おまかせでも$27だから安いよ。ちなみにregularでも$17でおなか一杯になります。
8/29(Tue) 曇 家族到着まで2日
まだ寝るところもできてない状態である。昨日買い物して準備するつもりが大工が帰ったのが18時すぎで、汚すだけ汚して帰ったのでその掃除に21時までかかる。。。あぁ、、疲れた。次から自分でやるから業者使わないでくれと大家に言おうかな。
今日は、ナーサリスクールに登録料払ってから職場へ。有料ハイウェイの抜けて3号線を東へ行くつもりが、案内看板見間違って変なところへ。こっちではよくあること。カンパニーハウスで一緒だった部長さんの言葉が思い出された。「道間違ってもいいんだよ。ちゃんと時間に余裕もって出てればね。」そう、ここは道を間違えるのが当たり前のような道路の作りなのである。
今日もユーザ対応で前向きの仕事ができない。。いかん、こんなことでは!ちゃんと前に進む仕事も同時に進めねば立派になれない。
しかし、もう家族がくるまで2日となってしまった。ベットのシーツぐらいは用意して寝れるようにしてないといけない。
Bed&Bath beyondによってシーツの選定。Moving saleで買ったベットはTwin(日本ではシングルと呼ぶサイズ)なので、それを買おうと思ったらTwin用のシーツセットにも2種類ある。ただのTwin用とTwin Extra long用とある。違いは下記のようにマットレスのかぶせるシーツの長さが違うらしい。これはベットを計るしかない。値段は無地のもので$19.99、柄付きのもので$24〜$39といったところだ。
Twin Twin(Extra long)
Fitted Sheet 99x190cm 99x203cm <--- ベットマットレスにかぶせる
Flat Sheet 167x248cm 167x248cm <--- 掛け布団の体側にかぶせる
Pillow cover 53x 81cm 53x 81cm <--- 枕カバー
ちなみにベットの種類ですが、Twin Full Queen Kingという順番で大きくなっていきます。
マットレスは2段重ねのものもあり、この場合下のマットレスにはスカートと呼ばれるひらひら状のものをつけてマットレス自体を隠します。上段のマットレスにはFitted Sheetをかけます。この上にFlat Sheetをマットレス面に敷きこんだComforterという掛けふとんをかけます。枕はPillow coverにいれます。Fitted Sheet,Flat Sheet,Pillow coverを統一柄で揃えてセットにしたSheet Setというものもありますので、これを買うと便利でしょう。バラで買うよりお徳です。K-martの場合、Fitted Sheet,Flat Sheetそれぞれ$12.99ですが、Sheet setは$19.99程度です。
というわけで、ここでの買い物はやめて隣の食品を大量に買いこむ。ついでに使い捨ての皿とスプーン類に食器をおく入れ物とかもまとめてとりあえずの生活機材をそろえてごろごろかご一杯に買いこんで$98程度だったので物価は安いんだろう。レジの兄ちゃんも店のカード持ってなければつくるかと聞いてきたので作ると答えたが、特典の内容は$200がどうこうとかいうだけでよく分かってない(^^。
家に帰ってベットを計ると96x186cmであった。Extra Longではないわけだ。家から3マイルぐらいのClosterモールのK-mart(日用雑貨の店:全米チェーン店)に行って値段を見る。シーツセットを考えていたが、良く考えると日本から掛け布団と枕(カバーもある)は持ってきているので、Fitted Sheetだけでいいことに気づく。値段をみるとこれ単体なら$12.99である。これを4つ購入する。それにものは試しと、ちょっとフカフカとした感じの仕上げのFitted Sheet$8.99を購入。マットレスの硬い感触を和らげてくれるみたいである。こどものベットの下に敷いて、もしものおねしょにも少しは役にたつかもしれない??。
8/28(Mon) 曇一時雨 内装工事
大家さんの友達という大工さんがキッチンの内装工事にやってきた。鍵を持ってるからいなくてもいいというが、家を空けるのはやはり心配である。ボスが立ち会ってあれこれやってる間に、下の子供のいくNursery Schoolの手配をすることにする。1つめのナーサリスクールは教会を見つけてofficeを探すが入り口が分からず携帯で電話したら「Directorは家にいる」そうでそちらに電話する。電話の会話はまだつらい、、、「4歳児はいっぱいなので受け入れられない」とのこと。waitingに登録だけはしてもらい、9/11のスクール開始して来ない子がいたら電話してもらうようにお願いする。
2件目も教会である。米国では(この辺りだけかもしれないが)教会の施設を借りて小学校入学前の子供たちのNursery Schoolを行っていることが多いそうだ。ここでも「つらいなぁ、、」と思いつつ、なんとか英語で説明を受けてて、まったく知識のない単語がでてきてそれは何?と尋ねたら、東洋系の女性が日本語で説明していただけました。こんな時日本語を聞くとほっとします。うちの近くに住んでおられるそうです。異国の地だと同じ日本人というだけでなぜかうれしいですし、もしもの時の安心を感じてしまうのはまだまま国際化が進んでないぞ>自分。こちらは料金が高いけどまだ空きがあるとのこと。妻の了解をとって明日にでも申し込みをしようと思ってたら、ナーサリも医師の診断書(予防接種の完了状況をチェックして医師のサインをしたもの)が必要らしい。上の子のKinderも必要なので、医師の予約を取っていたのに追加してもらうようお願いする
今日は子供の学校に縁があるようで、小学校のNurse(Mrs.Teressa)から電話があって予防接種の診断書を持ってくるようにとのことらしいが電話だとよくわからない。しかも予防接種の名前を言ってるのでまったく何かすらわからない。mumps = おたふくかぜ ぐらいしか分からない。学校は家の前なので、直接officeで話してもいいかお願いしてOKもらって直に会話する。紙に書きながらの方がコミュニケーションしやすいわ。結局、NJのlawで決まっている予防接種が完了してない限り学校にはこれないということだ。日本より予防接種の内容が多い米国なので、果たして間に合うか? 米国にきた翌日と学校初日の前日の2日しか医師に診てもらうチャンスがないのである。日本にいる間にすませておけばよかったものもあるが、期間をあけないといけないものはどうしようもない==会社がそういう情報をぎりぎりになっての一斉研修(人によっては余裕がある)で伝えるので間に合わなかったもの==
ちなみに、小学校は1stGrade(一年生)の下のKinderGardenも同じ施設内である。従って、9月〜12月のどこか(市によって区切りの日が異なる)で満5歳になる子供はその年の9月にKindefGardenに入学して、Public schooldであるelementary schoolに通うことになる。うちの長女は6月に6歳になたので本来なら1stGradeに編入するのだが、日本と違ってKinderGardenから教育カリキュラムが組まれている米国ではKinderで習うべきことを日本では習っていないことになる。うちの場合は幼稚園でなく保育園なのでなおさらお勉強はしてないので、ついていけないことが心配だった。そこで、校長先生と話してKinderからはじめることで了解を貰った。
会社に電話して「家で仕事することにした旨を伝える」。話を聞くと正規の入国手順を踏んでないような気配のする(展開が怖いので追及はしなかった)メキシカンが一人残されて作業してたりするので、家を空けるのはやはりあぶなわなぁ。韓国人の監督(ボス)がいる時は大丈夫だろうし、本人も話をする以上はいい人らしいのだが、状況が彼を犯罪に走らせるかもしれない。こう思うのは失礼かもしれないが、アメリカはリッチだ。日本もリッチなのか?お金がないと家族呼べないとか聞いてると可能性はないわけではない。誰にもわからないことです。だから、それが起こらないようにすることが大事と思います。
築60年の家というだけあって、キッチンは本当にかなり年季の入ったものでした。流しはカスタムメードなので交換できない、ニス塗りだけとなるが、金だすのは大家だし、その大家から依頼うけてきてる業者(大家の友人らしい)のいうことだから、まぁ文句は言えないわな。そのおかげでお金が余ったのか、ガスオーブンは立派なのを($600とのこと)探してきたみたいである。こちらで$600とは大金である。日本の10万円以上に相当する感覚である。なにせ大型冷蔵庫が5万円の国なのだから。
しかし、その作業内容自体はかなりお粗末なものである。これなら私がお金もらってやった方が10倍はきれいに仕上げると思う。作業の仕上げだけなら、所詮大家のものだし、大家の友人の大工だから文句も言わない。しかし、前任者から購入した家具の上を了解もなしに作業台にしてしまう。しかも、何もしかずにボンドをべたぁと塗っているので横からたれるし、作業する前は雨の降る屋外に出していたので土がまみれている。あんまりなのでぷちぷちシートを持ってきて自分で敷いたけど、あいつらはまったく気にしないんだな。床の上でアルミ板を引きずるので傷はつきまくり。やはり日本人として最も許せないの土足で上がりこんで作業することだろう。日本だとブルーシートを引いて作業して床が汚れないようにするものだがそんなことお構いなし。ここら辺りが靴の文化なのだろう。この辺りは日本人にはなかなか馴染めないところだと思う。下見の時に靴脱いでたので、床にしくシートを用意するのを忘れていた。大失敗である。
雨でぬかるんだ土を靴につけたままあがってきて作業する。キッチンも古い家なので油が固まっているので、それも踏みつけている。床が真っ黒になっていくのが見ていて分かる。こんなことなら日本からブルーシート持ってくれば良かった。なぜかこちらのDIYショップで見かけないのである。壁のタイルの仕上げのセメントボンドも塗りたくるだけで余分にはみ出た部分を拭うことすらしてないので、壁にも床にもあちこち飛び散っている。床はごみと油と土とセメントがまじりあって後の掃除が大変そうだ。
とりあえず作業終了したので"check out"しろという。得意げに直ったぞと見せるので「good」と答えはするが、その仕上げの程度の低さには自分が金払うなら絶対依頼しないと内心思っても顔には出さないように努める。ま、英語しゃべれない奴と思ってるようなので、気にはしてないようだ。そして、最後には「後の掃除が大変そうだな」で帰ろうとする。外にでてみると取り外した古いオーブンがでんとある。処分まで面倒みるのが日本だろうが、「回収日を確認してゴミにださないといけない」といいやがる。こんなでかいやつ(日本の洗濯機以上のサイズ)を一人で道路まで運べというのか。。。
結局、作業はして帰ったが内容は
シンクの天板張替え
シンクの戸棚/引戸のニス塗り
換気扇交換
ガスオーブン(stove)交換
流し配水管水漏れ修理
洗面所の陶器の石鹸置交換(割れてたので)
たぶん、自分でやった方がきれいにできるだろうな。見た目は韓国人つまり日本人に似てはいるが、やることはまったくのアメリカンである。あれぐらい後を気にせず仕事できれば仕事はやいだろうな。けど、私に欠けているものはしっかり固定されていいるものを外すときに壊すぐらいの勇気を持てるかどうかだろう。彼らの作業を見てるを取り外すときに壊れることをまったく気にしていない。それくらいでないと外せないものもあるのである。この点はすばらしいと思う。****けど壊れた時のことは考えてないし、責任も負わないんだろうな。***
後日談:2日後、彼らがコンクリートボンドでパテ埋めした個所は乾燥してひび割れていた。それも5mm以上の太さで多数。やはり、10cm×20cmとか大きな面積埋めればそうなるわな。普通のコンクリートでなく、接着用のコンクリボンドだからそうなっても仕方ない。考えなかったんだろうね。タイル買ってきて埋めればいいのにね。結局、この国は人に頼むとろくな仕事してもらえないのでDIYが盛んなのだろう。きっとそうにちがいない。
2000/8/27(Sun) 快晴 中古PC購入とNJお店情報
クレジットカードの使用明細のチェックと、銀行の使用明細のチェックで半日つぶれる。わけのわからない請求があったりするのでカード会社に確認しようと思うが受付は平日だけでした。銀行もFED WIRE Transfer Credit Feeがとられているものがある。ある金額以上の取引にはかかるのかな?家を借りる時のイニシャルコストは
不動産屋を通さなかったので礼金なしで、$6128.32。これかな?
15時ごろから昼食を食べに、中華日本料理屋へ。野菜と鶏肉のローストを食べる。ちょっと味付けが薄いみたい。
近所を散歩してみる。www.lalaschocolates.comなるチョコレート屋さんを発見。田舎の小さな町だが、それなりにお店はあることを確認。
17時からPC一式(PII450デスクトップ + 19”モニタ + 15"モニタ)$400と子供用自転車$15を受取りにFortleeのTさん宅へ。19インチは重い、でかい、画面が広い。初めての1600x1200の解像度を使える環境です。けど文字は小さいので画面フォントは150%(大きいフォント==120%==より大きめ)
で使ってます。
NJ Fortlee近郊 お店情報
Mitsuwa(旧ヤオハン)の個人売買掲示板でPC一式(PIII450MHZ+19"モニタ)を見つけて売っていただくことになったMrs.Tさんからの情報です。彼女は8・31に帰国するそうで、ちょうどうちを入れ替わりです。JALは同じ機材で日本往復をしてるので、うちの家族が乗ってきた飛行機でしょう。JFK空港で会うかと思ったけど、あそこは到着は1F、出発は2Fとなってるのでわざわざ2Fにあがらない限り会う事はないですね。誰かに送ってきてもらってれば駐車場で会うかもしれません。
>日用雑貨:ベット用のリネン類
Rt4沿いのBergen MallにValue Cityと言うのがあるのですが
そこに少しあったかもしれません。
私達はそこで服を良く買っていたのですが
とても安いです。
irregular物なのでしみがあったり大きな穴が空いていたり・・・
わからない程度のものなら許せるのですがよく見て買う必要があります。
(大半は流行おくれとか製法に少し問題があるもの)
あとは日用雑貨はK-martかな。
Cresskil(スペル違う・・・?)からだとCloster Mall(って名前だったと思います)が近いのかな・・・?
Bed Bath beyondなら少し高めですが少しは気の利いたお洒落な物があるかも・・・
いずれにしても全てBergen CountyなのですがBergen Countyは
日曜日は日用雑貨店はお休みです。念のため。土曜日はO.Kです。
どうしても日曜日に買いたい!!って時にはRt1.9を南下すると右手にK-martがありますが
Cresskillからだとちょっと遠いかな。(ちょっと地名がわからない)
あとParisades CenterといってNY州にあるのですが
Parisades Interstate Pkwyを北上しExit 9Eで降りてそのままEast方向で行くと
すぐMallの標識がみえてきます。
大きなMallなので何か探し物が見つかるかもしれません。
irregularものを扱っている所でT.J MAXXってのがあるんですが
ここも時には掘り出し物が見つかります。
かなり安いです。
ヤオハン(ついこう言っちゃうんですが正確にはミツワ)の通りを(River Rd)を
さらに南下するとMallがあるのですがそこにあります。
前回お話したBed Bath Beyondもここにあります
確かBed〜はParisades Centerにもあります。
> FortLee周辺のおいしいお店とか教えてください。
> たまには日本食が食べたくなるでしょうから。。
そうそう!!
日本食で美味しい店と言えば
Cresskillにある“UMEYA”でしょう。
絶対お勧め!!
こんなに美味しい寿司日本でもなかなか食べられない!!
と旦那が絶賛していました。
156 Piermont Rd.です。
あと少し値段が高めですが
Fort Leeにある“TAMAYA”です。
凄い危なそうなお店で三年前私達が来た頃
絶対この店つぶれるよね。誰が入るのかしら・・・
と不信に思って通りすぎていたのですが(凄い変な所にある)
入ってみると以外や以外非常に美味しかったです。
でも最近行ってないのでつぶれてるかも・・・(笑) 2347Hudson Terraceです。
どちらも“えっ?こんな店?”って感じで
外からではその美味を想像できないほどのお店です。
Tryしてみてください。
8/26(Sat) 快晴 JFK空港への道
前任者の帰国の見送りにJFK空港へ行こうとしたら、大工さんが来週月曜の内装工事の下見にやってきた。キッチンの流しとコンロ、バスルームの洗面台、2Fの洗面台に玄関ドアの鍵をメンテしてもらうことになっていたみたい。いろいろ細かいこというとあるけど、賃貸なので文句はいえない、、、。
JFKは、案内看板を見失わなければ迷うことはない。Geoge Washington Brighを渡って、渡り終わる時に右側2車線はマンハッタンの西側に降りてしまうので真中の2車線にいること。
トンネルをくぐると、Triboulou Brigthの案内標識を頼りに走る。橋を超えると、JFK空港の看板を頼りに走る。この時経由する道がVan Wyck Expwayであるのでこの案内標識も覚えておくと
便利である。
出発を見送って帰路についたが、TriBouro橋を渡った後はいまだによく分からない。今日はマンハッタンの東側を南に下ってしまった。仕方ないので一番南まで下って、西側にでて北に
のぼりリンカーントンネルをくぐってNJへでた。トンネル抜けたら数マイルの会社に寄るつもりだったので遠回りではなかったのだが、フォトIDを忘れてきたことにここで初めて気づいた。
IDなければ会社に入れない。仕方ないのでとりに戻る。ついでに寮によって冷蔵庫においたままの食料(といってもバターとビールぐらい)を回収して帰る。が、なぜか棚の上においてたお米とインスタントラーメンとイモとオリーブ油がなくなっている。誰が持っていったんだろう?米食べる人それほど多くないと思うけどな
新しい人が入っていたので話をしたが、Weain辺りの西へ行くとワンベッドルームで$1300ぐらいであるそうな。西の方はマンハッタンの通勤圏から外れるからかな。けどそれでも$1300は高いような気がする。。
2000/8/25(Fry) 快晴 海外引越し荷物受取り
荷物の受取りを行う。日本通運USAの方が運んできてくださる。日本からの発送も日通さんにお世話になっているがその時の写真です。彼らと一緒に作業完了後のものです。家族分到着の時もよろしくお願いします。
16時作業開始の17時終了。箱数は49個でした。衣装ケースなどは外側にダンボールを巻きつけて梱包していたのでそれをはがす作業がかなり大変だったようです。
今年の夏は寒い夏だったのに、終わりになって夏が戻ってきたかのような暑さだったのでハードな作業だったでしょう。ちなみに作業は日本人(とってもグリーン
カードお持ちとのこと)2人とアメリカン1人の計3人でした。写真は
段ボールはリビングに積まれたままで、とりあえずまっさきに必要になるチャイルドシートとPC関係だけ抜き出しています。
2000/8/24(Thu) 快晴 ストレッチ手配
朝5時に目が覚める。昨晩日本に電話するつもりが前日眠れなかったせいでベットの上に服も着替えず眠ってしまったようだ。
電話をしてどうにもならないことを再確認する。腹をくくったら、その直後に事態が変わったので帰らないでよいとなる。ありがたい、これで安心して準備できる。
寮をでるので部屋の中の荷物をすべて片付ける、昼から車で回収にいく。
家族の渡米時のJALファミリーサービスを頼もうと思い、日本の窓口に電話するが義父が予約に入っているため”大人2人ですので制度上お断りすることになります”ということだ。
2日前までなら予約可能ということだが、最悪前日でもOKということなので義父の都合によっては前日手配だな。
JALはNYのJFK空港からはFortLeeとNewarkへシャトルバスを運行している。これによって迎えに行けないかと確認したが、飛行機に乗る人しかだめとのこと。仕方ない。
家から往復、stretchで行くことにする。迎えは自分の車でいこうかとも思ったが、せっかくアメリカにきたのだから最初にアメリカを実感してもらおうとリムジンの手配を現地会社の
部長秘書にお願いした。家からJFK空港まで往復$175、片道$165とのことだ。但し、これは年式が2000年でないちょっと小型のstrechとのこと。普通のでかいやつは、$250/hour以上するそうだ。
こういうものは、イベント用の車だそうで結婚式の時に使われている。週末になると、JFK大通りのマンハッタンの見える公園の前には、この大型ストレッチが止まって花嫁さんが数人降りてくる
風景が見れます。その後写真を撮るんでしょう。
日本への電話連絡は朝と夜しか重なる時間がないため、会社に早く行って遅くまで残ることになる。家から日本に連絡するには、AT&Tのコーリングカードを支給されるのだがクレジットカード発行後2weekかかる。
もう2週間たったにもかかわらずまだ届かない。クレジット発行も手間取ったことだから、コーリングカードもとらぶっているんだろう。すべてが予定通り進まないのがアメリカである。うまくいかない場合に備えて
おくことと進捗がどうなっているか定期的に確認することが米国では大事です。
今日は寮をでたので、レンタルハウスに泊まることにする。
2000/8/23(Wed) 快晴 深夜の電話
今回も深夜1時の電話から始まった。深夜の電話は悪い知らせに決まっているといったのは誰だっただろう。
日本から緊急に電話がかかるのは、日本の業務時間帯であるからこちらは夜である。今回も胃がいたくなるような
内容であった。あぁ、いったい何考えてるんだろう。現場のことを上層部を分かってないのは今も昔も同じか。。
下っ端は苦労してでもこなさないといけないのか?本当の理由の説明もなしで単に従えというのもきついよなぁ。。
今日は単なる愚痴ですので、気にしないでね。
2000 8/20(Sun)快晴 JFK空港へ下見
11時まで寝てしまう。昼前からJFK空港へ向けて出発。80号がleoniaのあたりから混み出すので4号でfootleeから9Wへ抜けて、Parisade expwayからGoege Washington Brighに入るつもりだったがFootleeに降りるあたりから完全に止まってしまう。なんとか抜けて北へ、Parisade ExpwayのG.W.B.直前のSouth方向への入り口から入る。渋滞してそうならやめるつもりだったが、西側入り口と違ってまったく無し。ゲートで$4.5を払って橋へ入る。ここで13時ぐらい。16時ぐらいに戻ってきたときは同じゲートも3マイルぐらい渋滞していた。時間次第だな。
TriBouloBrighを渡って向かう。途中渋滞してたので1時間弱である。Pに車を停めてJALの発着する1番ターミナルへ行ってみる。
帰りも同じみちを通ったつもりがちょっと違ったみたい。G.W.B.へ入る前でまったく進まない。一旦反対方向へ行ってUターンしようとするが、そちらはBlonx方面であった。やばい雰囲気である。金くれと手を出して車に近寄ってくるやつもいるし、車を道路の真中に停めてるやつもいる・・昼間だからいいけど夜だと怖いな。なんとかUターンしてG.W.Bへ移動。
橋を渡って、Parisade parkway(無料のハイウェイ:ロックフエラーが士官学校に通う子供が家に帰るために作った道である)を北へ。途中、Alpine Outlookという看板がハドソン川側にある。寄ってみると自然の展望台である。ハドソン川の対岸が良く見える。 very nice view!!。写真はここからの風景である。今回は生画像置いてるのでクリックすると大きな絵がでます
どこまででも走ってしまうので、途中で降りて9Wを北上して町を探すがない・・・。途中で西へ曲がって南下して家の近くのClosterのモールによる。ここも韓国系の店が繁盛している。韓国マーケット(期限切れのものがあるのが危険)に韓国ビデオ屋。
2000/8/19(Sat) 快晴
昼過ぎまでofficeで、日本から依頼のソフトを作って簡単なデバッグをして日本に送る。時間は14時を過ぎている。家族迎えの練習のためにJFKに行ってみるつもりだったがもう間に合わない。
携帯電話の契約をした。先週mitsuwa(旧ヤオハン)の中の代理店から申請書を貰っていたので記入してから行った。
applicationだしてdepositがいくらになるかと思ってたが、$800でした。先月はクレジットヒストリがないから$800
ということだったので今回は日本で使っていたクレジットカード番号を書いていったが、今回は「在米日数は?」「1月ちょっと」で引っかかったようだ。結局、払わないといけないのね。。契約は最低1年なのでそれ未満の場合はペナルティが発生する。
半年継続すれば$10、1年継続で全額返還されるものである。駐在者のように米国のヒストリがない人間の場合は仕方ないもらしい。
帰国者の電話を引き継ぐ場合はdeposit不要であるが、機種が古いものになってしまう。まだ、こちらの携帯は大きいけどやはり一世代変われば小さくなりますしね。
どうしようか悩んで一旦店を後にして、食材を購入。ステーキ肉3枚で$2.4は安いよなぁ。贅沢にカレー用肉とする。腸づめウィンナも購入するがこれは切ってないものをチョイスしてしまったので焼く時にフライパンの上で蛇を焼いているようでいまいちである。切って焼かないといけないんだろうな。さて、携帯は結局
$800のdepositを払うことに決める。早く契約したほうが6月が早くすぎるというものである。
で契約手続きを開始したところで問題発生。私のSocial Security Numberが登録されていないといことだ。日本人の場合、時々登録までに数ヶ月がかかることがあるらしい。ソーシャルセキキュリティオフィスのせいらしいがクレームつけても仕方ないらしい。結局、SS#カードと運転免許証をFAXして24時間後から携帯使えるようになるそうだ。免許証は持っているがSS#は持ち歩くものでないのでいつもはコピーを持っているのだが、今日はたまたま持ってなかった。そのため一旦家に帰ってカード持って出直しである。往復1時間の無駄である。しかし夕方のJFKブルバードから眺めるマンハッタンは夕日が落ちはじめておりきれいである。
夜は現地駐在員と一緒に、居酒屋”まこと”(看板はないので見つけるのは難しい・・)で飲む。完全に日本の居酒屋で、イカの塩辛もあいてある。
日本に電話してPC梱包について話すつもりが寝てしまった。最近、午後から首筋から頭にかけて鈍い痛みを感じるようになってしまった。ストレスなのかな、最近ぐっすり朝までねるということが少ないからな。
2000/8/14(Mon) 曇一時雨 インスタントラーメン
食事は朝、昼、夜は会社の食堂でとることができる。寮から歩いて5分なので朝もここでOKである。夜は昼間に注文してパック詰めされたものを持ち帰るのだが、その量が凄い。家族のディナーのためのものだからか。外に食べに行くにしても外食は高いので毎日$10食べるわけにもいかず、昼食も量が多いので夜は控えめにしようと思っている。さもないと帰国の時は別人ということになり兼ねない。そこで、簡単に食べられるものを用意したのだが、ヤオハン(現ミツワ)に行けば日本食品はたいがい手に入るが、ちょっと高めらしい。そのちょっと南のモールの食料品店も日本食をおいてある。そこで買ってきたのが写真のインスタントラーメンである。焼肉やシュリンプ(海老)など日本ではお目にかからない種類のものがある。米国仕様なわけね。買い物するので朝食もパンにハムとチーズをはさんでトーストで焼いて、牛乳にサラダを寮で食べるようにした。これで昼飯を除いて1週間$20以下の買い物なので一日$3の朝夜に昼飯$5で、一日の食費約$10平均か。日本より安いのだろうか??。店の食料を見ると、肉類は確かに安いが果物野菜は安いようには感じない気がする。量が多くて単価が同じぐらいのせいかな
2000/8/12(Sat) 曇一時雨 アメリカらしさ(電話と車検)
子供の声を聞こうとコーリングカードで電話する。しかし、つながっても声が聞こえない。しかしチャージはされているのはたまらんな。4回やって全部だめ。一言も話せないまま$4ぐらいとられてしまった。アメリカだからなぁ。こんなものでしょう。
仕方ないので会社へ行ってからかけ直す。その間に子供は寝てしまった・・・。
昨日だめだったInspectionに行く。チケットを取って列があれば並ぶが並んでないので、そのまま検査場へ。担当官に免許証、車の登録証、保険証を提示したら、「降りて向こうへ行っとけ」とのころ。彼が検査すべてをやった。ライト、ワイパー、スピードメータ、サイドスリップ、排気ガスといったところが検査内容みたい。スピードではエンジンの回転を上げるので、扇風機で風をエンジンにあてている点は配慮が細かい。
そんな様子を10分も見てなかったと思うが、こいというのでいくとこれがチェック結果と用紙を渡される。ウインドウをみるとステッカを貼ってくれている。これで2年はOKだ。料金はフリー。ただである。日本のばかみたいに高い車検代と時間のかかる申請用紙などなにそれという感じだ。日本のお役所仕事は無駄が多いのだろうな。
2000/8/7(Sun) 雨 今日からブラジル
朝から荷物の準備をする。要領が悪くリモを19:30に呼んでるのに終わったのは19:10過ぎ。
外にでてみたらすでにきて待ってる。会社Pのリース車の鍵を確認して戻ってJFK空港へ出発。NJ Turn Pike経由でJoege Washington Brigthに向かうが途中から大渋滞。本来45分でつくところが2時間かかりる。リモはメルセデスベンツでずいぶんと豪華である。カーナビ(Alpine製)もついてた。こちらのルート案内は道路事情に合わせてます。「Keep Right」と出口車線のあるところを走らせるようになってる。一般道だとどうなのかな?
職場の人のメンバーカードでラウンジで時間をすごす。旅行代理店がくれたアップグレードチケットでアップグレード可能かと尋ねるが人が多いので無理でしょうとの答え。まぁ、日本人にはエコノミーでも問題ないわな。席に座ってみると隣は20歳ぐらいのラテン系の女性である。Hiと挨拶して座ろうとすると、「○×△ぽちょぎす Portuguese(ポルトガル語)?」と話し掛けてきた。ブラジルの公用語はポルトガル語なので彼女は「ポルトガル語話せる?」と聞いてきたと思われる。しかし、私の知識は2日前の職場の人から教えてもらった以下の単語だけある。しかもカタカナである。
おはよう ボンジーヤ
こんにちは ボワタルジ
ありがとう オブリガード
さよなら チャオ or アテローゴ
oooooo ティアモ
Hi oooo ムリュエール
ooooo ベジャモス
一緒に飲もう バーモス ベベール
一緒に仕事しよう Vamos trabalhar conosco
彼女の方も英語はほとんど話せないようである。従って、彼女がサンパウロで降りるまでに交わされた会話は最初の挨拶(英語)、ヘッドホン拾ってあげた時(英語)、それに最後のチャオの3つだけであった。う〜ん、ポルトガル語も勉強せねばと思った瞬間でした(笑)。言葉って大事ですね。
実際のところは、夜行便(11出発の8時到着)なのでほとんど寝てる時間なので話す暇はあまりないものです。
2000/8/7(Mon) 雨
ブラジル、リデオデジャネイロである。
機中では入国用書類を配ってくれたが、ポルトガル語で書かれているので何かけばいいのか分からない。搭乗員に英語で説明してもらい記入。しかし、入国チェックの時用紙が一枚ないことが判明。ブラジル人と思われたのか入国申請用紙を貰ってなかったのだな。これはその場でかてOK。税関では段ボールの中身は何かと聞かれてManualと答えても分かってもらえずBooKで通じた。
ブラジルの現地通貨はREALです。出国までに換金してなかったのでどこかで現地通貨を手配しないといけない。銀行を探してターミナルを大移動。ようやくBancoを発見。Mr.Tはクレジットカードのキャッシングを利用していたが、PINコードを設定していない私は使えない。空港内の銀行は混みまくっていたのでホテルで換金するというMr.Oの意見に従うことにする。ホテルでの換金率はUS$1 = R$1.792でした。大体この率で物価が一致してる感じでした。MacのハンバーガセットがR$4と数字は日本米国だいたい同じですから。
タクシーでホテルへ移動。リオデジャネイロのインターナショナル空港は郊外にあるので30分ぐらいかかる。町の外の家々はレンガ作りそのままのなんとなく低所得層の家といった感じがする。ハイウェイの分離帯の照明ポールにまで貼り看板がついているところはなんともすごいものを感じる。市内に入るとビルが立ち並び、発展しつつあるのだろう。しかし、車の運転はかなり荒い・・あちこちでクラクションが鳴っているし人もたむろしている。全車の4%が盗難にあうという統計があるぐらいの国です。気をつけないといけない。さて、ホテルは観光地Copacabanaビーチの前です。季節は冬なのでさすがに泳いでいる人はいないが日光浴している人はいます。冬でも気温は昼間は25℃以上になるので寒くはない。半袖でもOKです。町いく女性のファッションもかなり凄い。金太郎スタイルもずいぶん見かけた。”ブラジルは美人が多い、しかもリオは特に多い”といわれているが確かにその通りと感じた。リオはアメリカと違い、女性はたいていスタイルがよかった。ファッションも結構すごい。つい目が・・・。多くが巨大化していくアメリカとの違いは、やはり食事の量の違いでしょうね。リオもMacのハンバーガは日本程度でした。 物足りないと思い始めてる自分が危ない。。。。また、日系の人も多いようです。ラテン系は親しみが持ちやすいような気がします。行きの飛行機の中で入国申請書を乗務員がくれなかったのもブラジル人と思われたからかもしれない。
明日からのセミナの講師を頼んでいる会社のSteveと合流。現地主催会社に移動。そこでセミナ中の通訳をしてもらうKlausと会う。身長180cm以上はありそうな長身。巻き煙草を愛するコンサルタントである。Klaus,Steve,私で明日からのセミナの内容を話すのが筋だろうか世間話で終始する(^^。まぁ、なるようになるわな。
夜はSteve夫婦(週末をリオで過ごすために夫婦でやってきている)と弊社3人で食事。ホテルの前のイタリアンレストランでR$141の食事をする。肉の選択は失敗だった。米も日本人好みではなかったな。素直にイタリア料理にすべきでした。

夜はメール整理などするつもりだったが疲れてたので気づいたら寝てました。
写真はホテルの前のCopacapa Beachを南に眺めた風景です。弓形の砂浜沿いにホテルが連なってます。その一つ奥のストリートが繁華街です。バスが凄いスピードでひっきりなしに走ってるので町の若さを感じます。
2000/8/8(Tue) 晴
セミナ参加者はポルトガル語なので、英語<-->ポルトガル語の通訳を入れて行っている。
参加者から直接質問されるとポルトガル語なので会話にならない。英語に通訳してくれるととてもうれしくなってしまうのは変なものです。まだ英語もそれほど親しんでるわけではないのにね。セミナ終了後、いろいろと質問を要求を言ってくる現地エンジニアに困惑しながらもうれしさを感じる
初日終了後、夜はリオのダウンタウンへ主催会社の人と一緒にかなりにぎやかなClubへつれていってもらう。寿司もあったりする。
あまりにうるさいので1時間ほどで海辺のレストラン"SOL e MAR"へ移動する。Sun and Seaという意味。日本人もいたりするあたり有名なのかもしれない。
ここで白身魚のCuntry風というやつとCaipirinha(カイピリニンニャ)なる酒を飲む。中身はレモンと砂糖の入った酒であるがこのレモンと酒のことをcachaca(カシャサ)と呼ぶそうな。
けっこうきついが、まぜると飲みやすくなる。Mr.Oは4杯飲んで翌日は少し二日酔いだったそうな。
2000/8/9(Wed) 晴
セミナ2日目。無事終わる。今日も現地エンジニアと話ができた。彼らの活気は元気つけられるな

夜は他の2人は現地幹部との話し合いのため一人で町を散策する。食事する店を探すつもりでうろうろする。18時すぎにホテルをでて海岸沿いの道を南下するが店がない。500mほど歩いてから1本奥に入るとメインストリートのようで、店が両脇に並んでいる。バスもひっきりなしに通っている。一番多く目についたのが、米国のNewsStandみたいな歩道にあるお店。ブラジルも性が開放されているようでその手の本もある。面白いのが日本の美少女系アニメを表紙にしたHentai(*1)雑誌もあった。ぱらぱら表紙だけ眺めて(ビニールに入ってる)から、通りの店を探検に移る。カメラ屋には8mm映写機(中古だろう)を並べている店もあるし、リオのカーニバルで女性が着るようなすごい衣装の店もある。女性服はブティック風の店でもR$20程度(=\1300)からなので物価は安いんでしょう。但し電気製品は輸入品なので米国並みのようです。食事の店を探すがめぼしいのが見つからず結局MacDnaldにしてしまう。カウンタの女の子は多分高校生ぐらい。注文したら「英語でこれ何ていうの?」と同僚に聞いたりとまだバイトはじめたばかりのようである。言葉がMixされた文化という日本では考えられない世界を実感した。
お店は分割払いの値段を表示してあることが多い。写真のお人形は高さ60cmぐらいのかなり大きめのものだが、R$33.95×4である。単価R#130ぐらいなので\8500ぐらいになる。これを分割表示する意味は所得水準と関係あるんでしょう。
(*1)Internetでは日本の美少女系アニメをこう呼んでいるらしいのでここからきたのでしょう。
2000/8/10(Thu) 曇一時雨
昼前にスコールのような雨が降る。セミナも最終日。Tipをいくつか紹介してそれらしいところを見せて終わりとする。まぁそれなりのできだったかもしれないが、日本だといいできではないと評価されるだろうな。言葉の壁が一番問題だしね。もっと事前準備したかったものだ。次回からはなんとかせねばね。
午後から主催会社のCEOに面会。次回セミナの打ち合わせ。これでは毎月になってしまう。9月にペルー、10月にサンパウロと毎月南米旅行がきまりつつある・・・。
米国の生活基盤さえできてないというのに。こまったものである。
リオデジャネイロ空港でのチェックイン。空港使用料US$36というのは日本式発送だな。
荷物に関してインタビューがある。荷物は自分でパッキングしたか?誰も触ってないか?割れ物はあるか?などなど。。カウンタでは行きはだめだったアップグレードを頼んでみる。リオからは無理だが、途中によるサンパウロからできるかもしれない。Waitingリストに載せてもらう。こんな会話の中、現地語でありがとうを言っておくと笑顔が見えたりでスムーズに進むと思う。
チェックイン後、ブラジル航空のラウンジで時間をつぶす。食べ物が立派である。
サンパウロに到着後、搭乗員にアップグレードのwaiting中なので可能ならして欲しい旨を伝える。搭乗がある程度すまないと決定できないそうで、暫く自分の席で待つ。するとアップグレードできましたのでこちらへどうぞと案内される。ビジネスクラスの最前列シートの窓際である。食事も陶器の器入り。シートも広い。現地人がアップグレードに執念を燃やす理由もわからないではない。PC用の電源も用意されているが専用アダプタが必要である。今回は隣は40代の米国人ビジネスマンなので会話もなくさっさと寝る(^^。
しかし、ヘッドホン端子の穴は2穴式なのでヘッドホンは一穴であり、奥まで入らず右チャンネルの音がでない。テーブルの高さが低く肘掛にあたってまっすぐ使えない(無理やり押さえこんだらなんとかなる)と問題のあるシートではあったが、おおむね快適であった。
2000/8/11(Fry) 曇一時雨
JFK到着は霧の中であった。入国ゲートに並ぶこと30分弱。この点でも飛行機の出口に近いビジネスクラスの価値はある。米国国籍だとゲートが違うのでもっと早いけど。
頼んでおいたリモを待ってそれで帰る。今回も同じ会社のリモだが、運転者は旦那の方である。たいした渋滞もなくNJへ帰りつける。
他の2人は直接家に帰るが、日本が明日(時差の関係でこの時点でもうあと数時間で勤務日が終わる)から夏休みなので連絡とったり、手配が遅れているものの確認のため出社する。9時にはこれてしまうのが夜行便のすごいところだな。
AT&Tから”携帯電話の申し込みに関する回答書”が届いていた。要するにクレジットヒストリがないのでデポジット$800か利用制限をかけるとのこと。いいよキャンセルしたんだから。
しかし、きついので16時に帰って車のInspection(車検)に行くが16:25についたら「今日はもう終わりだ。明日は6:30からだ」と返される。土曜日もやってるんだ。
モールにて食料を簡単に購入。コーリングカードも買っておく。
2000/7/31(Sun) 曇一時雨
会社の寮に入ってるのだが、いろいろな人がやってきてはでていく。
最長記録の方は昨年の暮れからということなので8ヶ月という方。短い方は短期出張で数泊という方もいる。そんなわけである日突然知らない人が頭の上に住んでるということがあるわけだ。今回はそんな人について。。
今日は、日本から出張者がマンハッタンに行きたいというので一緒にフェリーで渡って地下鉄などを使って移動。1ドル硬貨を見たことがない人が多いと思うが、私は前回はポートオーソリティのバスターミナルのお釣りで、今日は地下鉄のトークンのお釣りで1ドル硬貨がでてきました。米国記念にという方はこんなところで手にいれて見られてはどうでしょう。夕食を最長記録の方の退寮記念に一緒にということで18時ごろに間にあうように帰ってきたのだが、部屋に入ろうとしたら頭に水が落ちてきた??
ドアの上から水漏れしてるんで上の階に行ったらさらに上からぼたぼら落ちてきて床一面水びたし。じゅうたんなので「ぐじゅ」という感じ。
部屋の販売実習生(今年からNYマンハッタンの電気屋:パパママショップではない)に話を聞くと朝から落ちてきてたそうな。
「どうしたらいいでしょう?」とまで言いだす始末。
業者の連絡先は部屋に貼ってるのにね。
業者を先輩たちと呼んてくるのを待ってる時も、
「これから食事いくんですが部屋あけてていいですか?」
だと。。。こういう状態ででていくの? という会話もしたんだけど出て行きました。
この水が下の階までいってスーツが濡れたら責任問題になること
まで考えが回らないらしい。濡れたと言いがかりつけたみた方が
彼の将来のためだったかなぁ(^^
最近の若者の判断力を疑う瞬間でした。
他に人に話しても、最近はそんなものらしい。
日本のこの先あぶないかもしれない。
それにくらべて、ブラジルの青年たちは
元気あってよかったなぁ。ハッカー的要素を感じてました。
自分たちの学生時代ののりを思い出した。
2000/08/02(Wed)[雨曇] 飛行機のディレイ
この時期が雨が多い。毎日のようにサンダーストームの予報がでている。
ワシントンへの飛行機はUnitedAirlineとContinentalがNewarkからでている。前者はプロペラ機、後者はジェット機である。出張経費節減と到着空港が相手先会社に近いのでUAを使うことが多いのだが、天候に弱いプロペラ機だと遅延キャンセルが多い。7月の最初の出張でキャンセル食らったので、前回もContinentalのジェットにした。
定刻とおりにボーディングしたのだが、なかなか飛ばない。前回も1時間待ったしなと思ったが1時間経った時点で、「ゲートに戻ります」のアナウンスが。「地上系コンピュータ不調」とかいうことらしい。結局2時間30分待機した後とんだのだが、そのときは出発を待つ飛行機の列ができてました。遅れが何時間かをこえると”ごめんなさい”のコーリングカードとチケットの割引券に機内飲み物サービス券を配るように今回ももらえた。
アメリカ人はこういうのになれているのか誰一人文句をいう人がいなかったのは日本人的感覚からだと不思議だ。
西海岸からのフライトが4時間おくれて深夜0時回って帰ってきた人の話だが、出発が遅れてアメリカ人が乗務員に尋ねたときの会話も面白い。
乗務員「会社はケチだから、お客さん全員のホテル代を払うより私たちの残業代を払うはずだから飛びますよ。」
客「納得」
そんなものか(^^。一方で、出発遅延した後「降りたい人は降りていいよ、その後飛びます」と一旦ゲートに戻った後、パイロットが降りていなくなってしまった話(UAのブラジルでのこと)も聞きます。何が起こっても不思議ではない国です。
(*)乗務員の勤務時間と飛行機の遅延が悪く重なると、”勤務時間外だから”と乗務員が帰ってしまい飛行機がキャンセルになる場合が多いそうだ。
で、次の写真は帰りの飛行機の中から。

2000/07/22(Sat)[快晴]
9時まで寝ていた。やっぱり疲れているのかな??昨晩の画面スクロールするデバッグデータを眺めていたのが効いた。
午後までかけてTOUGHBOOK(Let'sNoteの米国モデル)の設定をあれこれやる。ビデオ/サウンド/内蔵モデムを正しく認識できない。手持ちのWin98SEよりハードの方が新しいのでドライバがない。
子供の日本語の補修校の登録申請用紙を記入する。幼稚園にあたるので書く内容が、”名前を読んだら振り向いた年齢”や”生まれた時の体重、身長”などいっぱい書く内容がある。ここまで私は憶えてないぞ。みぃやんに回そう。しかし、NannはWaitingListのNo2だが、YunnはWaitingListのNo19ということだ。これは入れないかもね。困ったものだ。Yunnの年って子供多いのかな?日本の保育園もYunnの年だけ多いしな。他の学校もあたってみようかな。
夕方から職場の人の家でバーベキューに誘われてるが、道迷うといけないので1時間余裕を見て早めにでる。3号→17号→80号と行き、途中渋滞してたのでハイウェイを降りて郡道を走る。森の中の高級住宅の並ぶ地域に迷いこみ「あるところにはあるんだ」と感じる。後で聞くところによると、ハリウッドが栄える前に東海岸で映画を撮っていた時代に映画俳優たちが住んでいた町ということだ。つまりこのあたりはずいぶん古い(半世紀以上)ということになる。古いゆえにいろいろ家の設備にも問題がでてくるわけだ。しかしこれで家賃$2.5Kが相場というのは景気がいい証拠なんでしょうね。
色々とためになる話を聞けたが、あまり憶えていない。困ったものだ(^^。うまいウィンナの肉屋と、日本のお土産に最適(一箱数ドル)のチョコレート屋を後で教えてもらうのを忘れないようにここに書いておこう。
車の運転に関しても色々聞いたが頭に残ってるのは、「消火栓近くの駐車と、停車中のスクールバスの追い越しは絶対だめ!」ぐらいだ。後者をやると人間ではないらしい。ちなみにNJでは免許取得2年間は見習期間のようなもので違反点数4点で免許停止です。2年違反なければそれ以降は12点で免停となります。なお、点数はMoving違反(車を運転している間の違反)に対してのみつき、停止している間の違反(駐車違反)にはつきません。<--アメリカらしい。日本よりPOLICEはよく走り回っている。ネズミとりばかりして日本の警察と違い、そこらをいつも走り回っているのは事件を未然に防ぐ意味でのいいよに思う。帰るときだけでも、POLICEパトカーは5台見たし、1台は車停車させて調べてたしもう一台は左折レーンを直進した車を停車させてました。左折/右折専用レーンは気をつけようと思いました。飲酒運転当たり前の国だが法規上は血液中0.1%以上のアルコール濃度で゛酔っている゛となり違反であるし、呼吸テスト(Breath Test)を拒否した場合も6か月間免許停止となる。
帰り道も高速使おうかとも思ったが、マンハッタンの夜景眺めていこうと9Wをひたすら南下する。途中道なりに山に登っていきなにか方向が違う気がしつつ、知ってる通りの看板が見えてきてUターンして来た道戻ってることに気づきました。自分の方向感覚を信じてもう一度トライ。無事JFKBlvdEASTに出てくることができました。一番南までいくと路肩にも駐車するスペースがでてきます。北の方は住民がとめるのでなかなか空いていません。南向走行車線側に(集合)住宅が建ってるので、こちら側より北向き車線の方が止めやすいです。住宅街の中の小さな道はできれば通らない方がいいようです。Uターンしようと仕方なく入ったのですが、両側の駐車はもちろん2重駐車も当然ですし車の中に人が数人乗ったままだったりするので怖いかも。

これまで写真まったく載せてなくて文章だけなので、本当に米国にいるのと思った方います?この写真は本日撮ってきた写真です。今回も月が見えてます。
2000/07/04(Tue)
曇り
ついに米国へきてしまった。家を
6時にでて6:30に福岡空港到着。会社関係、友人関係の見送りを受けて成田へ移動。成田でも友人2人と義父さんの見送りをうけてJFKへ12時間のフライト。ミッションツーマーズとデジモンの映画をみる。
当初
Limoを呼んでたのだが前任者がキャンセルして迎えにきていた。びっくり。ホテルまで送ってもらう。他の駐在者たちはゴルフだったそうで夜の飲み会に誘われて参加する。
夜は独立記念日の花火があがってるのを
TVでみて、時差ぼけの頭で寝る。
2000/07/05(Wed)
晴
銀行で
Saving account(普通預金口座)とChecking account(チェック用口座)を作る。Saving accountは預金額$6000以上なら半年で金利5%とのことだが、そんなに持っていない。それ以下でも3%以上なので日本に比べれば遥かに大きいぞ。
Social Security Office
でSocial Security Numberの申請をする。20分ほどですんでよかった。 ホテルは一泊$120超えるのでCompany House(寮)に移る。 寮という感覚だと一月数万円だがここは一桁違う。その分、設備もしっかりしている。冷蔵庫、台所、風呂トイレと共同だがキチンとあるし、リビングには立派なソファーやTVビデオもおいてある。
2000/07/06(Thu)
晴
2000/07/07(Fry)
晴
2000/07/09(Sat)
晴
自動車教習を11:00〜13:15まで2日間うける。教官はDrive AnzenのMr.Suzuki。日本を離れて27年ということだ。その間、ヨーロッパ放浪もしてきたそうだ。左ハンドルは慣れないと感覚がおかしい。つい右側によって走っているらしいし、ブレーキ・ハンドル操作も荒いとの評価。15年ぶりに教習もいいね。
ハイウェー
(有料でない道もある)が日常生活で使う道路なので当たり前のように走ることになる。マイル表示とキロの両方がメータには記載されているので、スピード感覚は分かるものも高速道路自体、日本ではあまり乗らないのでこのスピード(60〜70m/h=96〜112
Km/h)
は怖いね。市街地教習は右折、左折のハンドルを切るタイミングが主だ。右折の時は路肩によっていきフロントガラス右下が道の曲がり角の位置にきたらハンドルをいっぱいに切ったらきれいに曲がれる。左折の時は、車の先端が道路の真中にきたらハンドルを左にきるときれいに曲がれる。縦列駐車の時、前の車の後輪タイヤがボンネットの上に見えるだけ間隔をあけていればハンドルを一回きるだけで出ることができる。NJでは路肩に寄せて駐車する場合路肩との間隔は15cm以内でないといけないので、ボンネットの左右の真中の位置に路肩のラインが見えればちょうどいい。但し斜めになってないことを後ろの窓でも同じように確認すること。SecaucusのモールまでMr.Suzukiに送ってもらい買い物して歩いて帰る。
夕食は寮に8ケ月住んでいるという方に、
Fortleeの安い韓国料理屋(いつも満員)につれていってもらう。$12程度でお腹いっぱいになる。ご飯もおいしい。駐車場もいっぱいなので近くのモールのPに止めて歩くとよい。
NetMeeting
で日本の家族と話す。ビデオで映像付だが、いまいち画質がよろしくないな。電話もコーリングカードなら$20で180分話せる(*1)ので、こちらで十分かもね。
(*1)
¢90/分の計算だが、$1とかの単位で何分と区切られているため短い通話をしていくとあっという間になくなってします。例えば¢50で4分なら1分通話でも¢50かかるので、1分通話だけやってると$20のカードも40回40分しか話せないわけだ。
ちなみに、通話方法は次の通り。
- コーリングカードの裏に書いてある
Toll free dial(フリーダイヤル)に電話する。
案内に従って、PINコード(カードに記載の登録番号:一枚ごとに違う)を入れる。最後に#が必要なことが多い。
案内に従って、通話先番号を入れる。日本の場合は、011(国際通話指定)+81(国番号)+市外局番から最初の0を省いたもの+電話番号
2000/07/09(Sun)
晴
教習2日目。免許試験を受ける
DMV(Department of Motor Vehicle:陸運局)までいくが帰ったらもう道を覚えていない。東海岸の道は曲がっているので東に走ってたのが北になってることも多く、曲がり角も直角でなく緩やかに曲がっている(ハイウェイだから当然)ので道を覚えにくい。自分の行きたい道路の番号の案内看板を見逃さずに走るしかない。
時差ぼけなのか、昼寝をしてしまう。
2000/07/10(Mon)
雨のち晴
早速、仕事の付き合いの深い会社へ出張である。会社からは直線距離で
300Kmぐらいなのでいつもは飛行機である。これを毎週やればマイレージもたまるわな・・。体もつかな・
朝の雨のせいか、乗るはずだった
Newark→ Washingnton Dulles(ワシントンD.C.近く)行きの飛行機がキャンセル(飛行中止)。前の便もDelayed。乗れないのは確実なのでレンタカーで250マイルを走っていくことになる。7:20に走り初めて12時到着。近年のワシントンDC郊外の発展はすごく、建設ラッシュである。働く人が増えれば住宅も増えるし、車の渋滞も増えるし、ホテルも高くなる。安宿のイメージだったHoliday Innですら、一泊$142(税込)で困ったものである。
2000/07/11(Tue)
晴
帰路についたのが
17時回っていたので帰りついたら日が変わっていた。途中、GasなくなりそうでGas stand探しまわったりもしてました。東海岸はいいが西の方では、残量に関係なく店があったら次はいつあるかわからないので満タンにしとけということですが、知らない町では探しまわるのは大変なので早めの給油が必要ですね。
帰りはずっと
200マイル(320Km)以上ハイウェイですが、払った料金は$10程度です。安いですね。途中、私も運転しました。車はオートクルーズ付で始めて使ってみました。快適ですね。こちらはこの機能は必需ですね。
東海岸の道は曲がっているので東に走ってたのが北になってることも多く、曲がり角も直角でなく緩やかに曲がっている
(ハイウェイだから当然)ので道を覚えにくい。自分の行きたい道路の番号の案内看板を見逃さずに走るしかない。分岐点には「どっちかな?」と悩んで停車している車がいるので注意が必要である。中にはバックして戻ってくるのもいる。
自分のいく道以外の案内看板は読まない。読んでいたら通りすぎてしまい、間に合わない。自分の道の看板のレーンだけを走る。