鉄道写真、撮りまくり日記3
ひょんなことから DE10
(このページは友人O氏が作成した物を管理人が修正htm化した物です)
チャイム音は、キハ185系です。
1、BVEで再会
DE10は入れ替えや支線区間の客貨車牽引のため開発されたディーゼル機関車であり、軸重
および急曲線での横圧低減のため、A・A・A−B型軸配置で動軸5軸という珍しい機関車である。
DD13のように進行方向に対して平行な運転台配置ではなく、10度程度、進行方向に向いた
運転台を持っている。さらにセミセンターキャブは1位側、3位側、いずれが先頭になっても絵
になり、中学生のころは両方向ともドキドキしながらビシバシ写真を撮ったものである。
この機関車はDD13以上の仕事ができるように計画された結果、1250ps機関
(DML61ZA)を搭載しSG(蒸気発生装置)、重連総括制御付きである。
また液体変速機には低、高速段の歯車装置を持ち、入れ替えや客貨車牽引時の効率をUPする
よう工夫されている。DD51同様、液体変速機へのオイル充排により最も効率の良い変速機を
選択して走行する。DE10は軸重の軽さから日本全国津々浦々に波及し、SGを搭載しない500番台、
機関の出力アップ(1350ps)をはかった1000番台。はては派生型として入替専用のDE11
冬季はラッセル車として使用するDE15など多くのグループを形成し、どこでも見かけられた
「おらが村」の機関車であった。
四国の無煙化は早く、昭和40年代前半には蒸気機関車は消え、このDE10が全国に先駆けて
松山気動車区に配属された。しばらくの間、高松−松山間は四カマ(高松運転所)のDF50、
松山−宇和島間は軌条の強度上、四マツ(松山気動車区)DE10が担当していた。
かつてDE10が牽引する夕方の八幡浜行き旧型客車の後ろには、北伊予駅旧3番線に朝から
留置していた客車を取に行くためDF50がぶら下がっていたのは子供心に不思議な光景だった
のを覚えている。
しかし、我が愛する日本国有鉄道からJRへと時代は進み、貨物列車や客車列車の削減に合い、
全国で休車扱いや廃車になった多くのディーゼル機関車が色あせた車体を留置されていることは
真に辛い出来事であり、現在生き残りは比較的車齢の若い1000番台になってしまった。
2、思いをはせて
先ほども言ったが四国の無煙化は早く、私は鉄道ファンでありながら蒸気機関車への関心はない。
気動車王国と言われた四国で育った私は気動車やディーゼル機関車への思いは強く伊予市まで電化
した今日でも、やっぱ気動車、ディーゼル機関車ファンなのだ。
従って私の写真には気動車>電車であり、圧倒的に松山以南が多い。
なんてったって、あの加速の悪さ(2000系ごめんなさい)、吹き上がる紫煙、車内のにおい、
まさに生き物のような気動車が大好きだ。かつて鉄道雑誌を毎月購入していたころ"レールウェー
ライター"と称して活躍されていた種○さん、あなたは車両の構造や車齢、地域性を全く無視して
気動車をこけおろしておられたが、それは平等ではない。物には歴史があり、今日まで電化が進ん
でいなかったころには全国津々浦々まで張り巡らされていた気動車、ディーゼル機牽引の客車が
庶民の足となっていたではないか!庶民の足であったからこそ電化が促進し、乗り心地のいい、
きれいな電車が走る結果となったのではないか!加速が悪いのは性能上当たり前である。
山手線のように数分間隔ではローカル線は運転できないのだ。分かったか!
ハハハハハ、ちょっち酒が入り私情にもつれ込んだ8月11日の私。
が、しかし、我が作戦司令部では来る8月13日に向け、冷静に綿密なる計画が着々と進んでいた。
例によってダイヤグラムを引く作業は基本中の基本であることは、言うまでもない。
3、戦術検討
8121レ激写のための取材地はもちろん松山以北。
遠くへ出かけるより以前フリーゲージトレインで実績のある松山〜三津浜間を選定する。
ここは大きなカーブがあり多くのファンの撮影地のメッカだ。
8121レ松山着は0745時であるのでそれ以前に橋頭堡を築かなくてはならない。
朝早いなーと思いながらチラッと松山以南のスジが目に入った。
「おっ、北伊予駅で2000系どうしの離合があるじゃん!しかも下りはアンパンマン!」
離合は0651時、1052D「宇和海2号」と1051D「宇和海1号」だ。
かつて、181系特急「しおかぜ」のころは北伊予駅での特急どうしの離合があり、
ヨダレをたらして写真を撮っていたものである。なつかしいのう、の一言。
当然移動には充分時間があるため、北伊予駅で出掛けの一発ならぬ、一激写を決め込んだ。
ここ北伊予駅はホームベースでもあり、ほとんどの角度から撮影していたが同じ位置では面白く
ないため一番線側で宇和島方面に移動しJAの影から狙う戦術に決定した。
この位置だとカーブにかかり、傾斜させて走り去るアンパンマンと運転停車の1052Dとの
ツーショットが狙えそう。ただし、初めての位置のため翌日、現地を下見したことは言うまでもない。

肝心の8121レ激写の後は、同じ松山〜三津浜間でカーブに身をゆだねる2000系1001D
「いしづち1号」、アンパンマン10D「しおかぜ10号」を対象とし撮影後、三津浜以北の新しい
撮影ポイントを散策し意気揚々、友人R氏に見せびらかすと言うことで基本戦術は決定した。
「明朝、DE10索敵激写のため0645時、出撃す!」と、友人R氏に暗号に変換した
メールを送ったのは言うまでもない。が、作戦発動日には思わぬどんでん返しがあった。
4、作戦発動!
8月13日0600時、ポリポリと背中をかきながらではなく、"シャキーン"とサイ
ボーグの
如く目を覚まし発動準備にかかる。朝食もそこそこに装備を確認し、いざ出撃。
車で5分ほどのマイホームベース北伊予駅。
昨日確認しておいたJAの裏手に回り北伊予駅を一望すれば心はウキウキ。
今日は曇り空だが影響はないと判断し1052Dに備えて橋頭堡を築く。
上図のポイントとほぼ同じ位置で宇和島方面を望み「距離は山、ストロボ切、・・・」
と、
ぶつぶつ、いや、イーグルパイロットの如くチェックリストを読み上げるように一つ一つ確認する。
これぞ一撃必殺の鉄道ファンだジョー。1052Dは運転停車のため2番線に先着する・・・はず。
ここはカーブポイントで制限45km/hだから連写は必要ない。撮影ポイントを確認し、耳の穴かっぽ
じって北伊予駅南方の踏切が鳴り出すのを待つばかりだ。
いつもながらこの瞬間だけはドキドキと心臓の鼓動が体全体に伝わる。
旧日本海軍パイロットたちがガダルカナル上空に突入する直前の武者震いに似たものを感じ取るのは
私だけなのだろうか?
時刻はまさに、0651時。来た!踏み切りの音と同時に
「まもなく2番線に列車が到着します。・・・」のいつの間にか治った案内放送が聞こえる。
心臓はまさに最大圧力でカメラを持つ手まで鼓動を伝える。
リリーフぶっ飛びそう!煌々と照らしたライトを誇らしげに1052Dは姿を現し、JAの
ブロック塀が入らぬように身を乗り出して激写!すかさずモニターで確認。

1052D 北伊予駅2番線到着
OKー!最後部1号車からは国鉄時代なら運転担当専務車掌であろう方が姿を現し対向の
1051Dを待ち受ける。
1番線下り出発信号に目をやればすでに青々と輝いていつでも通過ができる状態となっている。
と、同時に北伊予駅南側の踏切が鳴り出した。
「距離は山、ストロボ切、連写・・・」チャックリストを読み上げモニターを切りファインダーを
覗き込む。来た!ライトを点灯させ"バイキンマン"が近づいてくる。
「カッシャ、カッシャ、カッシャ・・・」心地よい音とともに連写を完了する。
モニターで出来栄えを確認し安堵する。この瞬間に幸せを感じるのは私だけかいな?

1051D 通過 車掌があいさつを交わす
5、いざ、8121レ
幸先の良い出来栄え(あくまでも自己満足デス)に気分を良くして我が愛車は一路松山市内に向け
すっ飛んで行く。もちろん交通法規を遵守し、安全運転であることは言うまでもない。北伊予から
松山に向けてはお上の認めた1級河川"重信川"を越えなければならない。この周辺は橋の数が少なく
朝夕のラッシュ時は、狭い道路に長蛇の列ができる大渋滞路線だ。あと10分遅ければ大変なことに
なるがこの時間では30分もあれば撮影ポイントに行けることを私は知っている。なぜなら某国家的
極秘プロジェクトに参加している私は、三津浜の少し北側にある高浜沖合いに浮かぶ興居島に仕事で
よくこの時間帯に移動していたからだ。
途中コンビニで麦茶を買い込み渋滞にも巻き込まれず0730時、無事現地到着。
しかし、その場は・・・目が点になった。フリーゲージトレインを撮影した時は充分見渡せた位置には
なんと笹が生い茂りレールが見えないではないか。あわててその先に移動すれど、見上げる位置に
なりとてもじゃないが撮影できない。

この位置で撮影したかったのだが・・・2003.06.01 3M
今は夏。草木も伸びるからしょうがない。あきらめて少し東よりの踏み切りで待つことにする。
ここはかつて「リバイバルしおかぜ」をバカチョンカメラで撮ったところだがカーブの内側には
架線柱がありヒットが難しく、望遠があれば上の写真の位置で撮れるのだがない物はしょうがない。
踏み切りの南側に橋頭堡を築くことにして回りを見渡せば隣接する伊予鉄道の西衣山駅へ向かう
通勤客の姿がチラリホラリ・・・。ここでのんびりカメラを構える私は不謹慎に見える
だろうが休みは休み。素知らぬ顔をしてと言うより堂々と三脚を取り出してセットを始める。
この三脚はキヤ191系を撮りに行ったとき早朝の雨で"手ブレ注意"が出たことを教訓に最近特価
890円で購入したバッタ物?(定価表示は7,700円)のデビューなのだ。このバッタ物?の情報源は
友人R氏によるものである。本来ここでの三脚ははっきり言って必要ではない。でもせっかく買っ
たのだから使いたかった。今まで連写以外はモニターを睨みながらの撮影であり、構える手が微妙に
動くのを辛抱するのは大変だった。三脚なら大丈夫と踏んで確認をしたかった。
特にイベント列車ではないので同輩は居ないだろうとタカを括っていたが、そこに一人のじぃ様が
一眼レフを持って現れた。こちらに来るな、と我が陣地からガンを飛ばしながら観察していると踏切の
北側に橋頭堡を築き始めた。まずは一安心だが気を抜くことはしない。高齢者だろうがガキだろうが
いつ寝込みを襲われるとも限らない、ここは我々鉄道ファンにとって戦場なのだ。
カメラの方向、高さ、ズームを充分確認しあとは8121レが来るのを待つばかり。余裕をかまし
て一服する。いざ、撮る練習をすると楽ー!たばこ片手にその瞬間シャッターが押せるではないか!
ブルブル震えそうな手を必死でこらえる必要はなさそう。
これは儲け物と感心した。そしてその瞬間が訪れた。連写で撮らなかったのは残念だが
バッチしその勇姿を捉えることができた。久々のDE10とのご対面ー。

8121レ DE10+12系「ムーンライト松山」
6、続いて激写!
ほーんと今日は気分がいい。
次のターゲットは1001D「いしづち1号」2000系特有の振り子をバンバン効かせた写真を
撮りたいのだが望遠がないのはロンリー。踏み切りの北側では架線柱と、じぃ様に邪魔され、無理
して撮っても小さくしか写らん。んー、しゃーないとばかりに踏み切り南側で狙うことにして構図を
決める。ま、出たとこ勝負といった感が強いが・・・。
0754時そのときは来た。踏切が鳴り出す。
例によってチェックリストを読み上げるのは言うまでもない。
「カッシャ、カッシャ・・・」連写完了。なかなかエーじゃないのと自己満足共和国。

1001D 「いしづち1号」
続いて10D。その前に進行方向が変わるので撮影ポイントを捜し歩く。モニターを見ながらズーム
したり戻したり、その途中綺麗なお姉ちゃんが視界に入った。おっ、と思ったが神聖なる列車撮影中
お姉ちゃんは撮らないと心に誓っていた私は変質者に見られないようレールのほうにカメラを向け
素知らぬ顔で通り過ぎた。何かと周囲に気を使う私って偉い!
上り列車にとっては右カーブになるポイントを決め今度こそ傾いた車両を撮るぞ!と橋頭堡を前進
させる。続けざまに現れる1001D、10Dにうれしくなりながら時計を確認しそのときを待つ。
ここではポイントが遠いためデジタルズームを使用することにした。画面いっぱい傾斜した2000系を
想像しながら・・・。しかーし、モニターを切ったあとチェックをするために再度モニターを点灯
させればデジタルズームは切れているではないか!何度やっても同じ。そんなことは知らなんだ!
今更どうにもならないので臨機応変、優柔不断の私は諦めて光学ズームいっぱいで撮ることにした。
ちょっちガックリしたが松山方面に気配を感じながらその瞬間を待つ。
やがて踏み切りの音が10Dの近づくことを教えてくれる。
来た!遠くのS字に身を任せながら近づいてくる。
「カッシャ、カッシャ、カッシャ・・・」連写限界まで引っ張り、振り向きざまに"ドキンチャン"を
ヒットする。やった!上出来!とばかりにモニターを確認すれば、私のクセなのか?どうも下が切れ
加減だ??次から気をつけることにして撮影任務終了!

10D 「しおかぜ10号」

10D 「しおかぜ10号(ドキンチャン)」
7、どどど、どして?
予定の撮影を終了して新たな候補地を探すべく抜錨し、伊予和気方面に針路を向ける。
私の記憶の中には和気を発車した列車は、三津浜第2閉塞あたりで土手に登り大きな右カーブ、
続いて山の中をS字に身をくねらせながら三津浜まで走りぬける。今日はこのあたりを中心に散策だ。
三津の街中を抜け52番札所太山寺を通り過ぎ、途中からレール方角に面舵15度変針。やがて踏切に
出くわし土手へとレールに平行な道に入る。ちょっと狭い道を見た瞬間、私の頭脳はぐるぐる回転し
「行ってはいけない!」と、告げたのだが「いいポイントを探さなくては!」と、進んでしまった。
第六感は当たるものだ。300mほど進むと、やがてその道は直角に曲がり、その先は軽四でしか
通れない"あぜ道"へと変貌してしまった。車を降りて先を確認するも無理、トホホ、元来た道を
バックで帰る。むなしー。ここで脱輪したら本隊に帰隊している友人R氏に連絡して来てもらわな
ければと考えながらヘタな操舵で微速後進を続け、やっとの思いで和気のマカッサルを脱したので
あった。もう狭い道はコリゴリと先を行く2tonダンプに水先案内をさせ土手方向へと進む。
が、予想に反して土手は高く下からは狙えない。では上からはと踏み切りに行くが架線柱と夏草に
邪魔されNG!すんなり諦めた私は松山東部環状線(とは名ばかりのせっまーいクネクネ道)に乗り、
山へと入った。道路横には予讃線が付き添い、ひっじょーにいいところだ。駐車スペースを探しながら
進んでいくと、あっという間に山を通り抜け三津の変電所まで出てしまった。
残念ながらバイクでない限りここでの撮影は不可能と判断。交通の邪魔にならず、
他人の敷地に入らず、もちろん列車の進行を妨げずが私のポリシー。
あっけなく諦め友人R氏の本隊に向け針路を取った。
友人R氏に今日の成果を見せびらかせ失敗談を話していると、R氏もDE10を見せるではないか。

「どどど、どして?どしたん、これ?」
「今朝撮ったんよ。」
「えっ、寝よる言うたんじゃ・・・」
あっけにとられてしまったが何のことはない、R氏も私に刺激され、ただ単に撮りたいだけやった。
R氏ホームページトップには、やっぱり自分の写真を出していた。
ほんなら、任務はR氏に任せて私はゆっくり安眠をむさぼりたかった・・・
思わぬどんでん返しがあった一日やった・・・。
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