陶芸の町益子

明治・大正に入っても、瓶などの日用台所用品の陶器を生産していましたが、昭和5年に益子に移り住み、作陶を始めた濱田庄司氏によって、民芸品としての益子焼が作られるようになりました。また、土瓶などの、絵付けに才能を発揮した皆川マス女も、大きな貢献をしています。
昭和20年代には濱田氏らの民芸運動が注目を集め始め、昭和30年代には益子焼全体の性格が日用品から民芸陶器へと大きく変わっていきました。
これにともない、益子焼を作るために町内に移住してくる陶芸家もふえてきました。
その後も、益子が開放的な土地柄であること、材料や技術、情報の入手が容易であること、東京に近いため観光客も多く、当然販売店も多く、生活が成り立ちやすいということから、日本全国、外国からも志望者が集まりました。現在益子には、350軒、近郊を含めるとおよそ400軒の窯元があり、一大窯業地となつています。
濱田庄司氏に直接影響を受け、益子で作陶をした世代に、佐久間藤太郎氏、村田元氏、木村一郎氏、島岡達三氏らがいます。戦後派の代表格には早世した加守田章二氏らがいます。
益子焼窯元共販センター

益子町に伝統を残す窯元を中心に、100軒以上もの大小窯元や作陶家たちの作品が一堂に会した、益子町最大の展示即売所です。

つかもと

益子最大の窯元 陶芸教室もあります。益子で有名な陶芸家の大半はここの出身。陶芸家お薦めの窯元です。

真岡鉄道

真岡鉄道で益子まで行ってはいかがでしょうか。詳しくはリンクをご覧ください。


非常に珍しい蒸気機関車c12です。