(16-2)高橋前駅長の遭難を報道した当時の新聞記事(2)  

       
 高橋前東京駅長 
  河中に墜落惨死す

 関口大滝の有名な難所にて自動車に乗った儘

二十日午後二時四十分頃、小石川区関口町七十二番地先、江戸川大洗上流四十間ほどの処で、同区台町二九に住む前の東京駅長橋善一翁(六七)と田端駅長信夫敬三両氏を乗せた軽便自動車は、運転手芝区烏森町一廣瀬藤五郎(二四)諸共約四、五間位の堤防から河中に顛落し、無惨にも橋翁は即死を遂げ、信夫(しのぶ)長と運転手は辛くも一命をとり止めた。
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  老夫人が涙の恨言

 芭蕉庵の住居を出てから十分も経たぬうちに、しかも家から三丁と距たらぬ眼の辺りでの遭難に、福子(「初子」の間違い)老夫人を初め家人等、あまりの事に唯狼狽して騒ぐばかり、漸っと救い出された信夫駅長が運ばれて来た時の如き、一同ぼんやりと額を集めるばかりであった。
 『災難とはいい條、ほんとうに思い切りにくいのです』と淋しく残された夫人は、誰を恨むともなく恨みをかこちて泣き崩れた。
 何しろ名物男として朝野の名士に知られていただけに、昨夕刻より同家には訃報に接して来る弔問客引きも切らず、大隈侯爵、井上子爵、森村男爵、藤田男爵、松本博士、近藤鉄道病院長、吉田駅長(二代目東京駅長)、花村上野駅長等数十名。世話を受けた東京駅員多数駆けつけ香をたき、狭い庵内は非常な混雑を呈した。
 尚、告別式は来る二十三日午後一時から同庵でとり行い、途中葬列を廃し、芝愛宕町の青松寺にて仏式で施行することになった。

ハッと思って翁の手を握りました
    助かった信夫氏語る

 一方芭蕉庵に一時諸手当を加えた田端駅長信夫氏は、夕刻になって余程気分も勝れたので田端の自宅に引き揚げ静養中であるが、昨夜岡本同駅助役を通じて遭難当時を語る
 『橋駅長が職を辞してから一度も挨拶に行かなかったので二十日翁を訪ねた。処が自動車にでも乗ってみないかとの話に出掛けたが、丁度あの水門のある少し手前で何故か自動車が鳥渡(ちょっと)止まり、又動き出した刹那、車体が川の方に激しく傾斜したので、自分はハットと思って同乗の橋翁の左手を握ったと思うや否や、川中に自動車もろ共墜落して了った。それから先は全く夢中であったが、頭の上に何だか棒切れの様なものが触ったのでそれを一生懸命に握っていた処がそれが救助のために差出した棒だったので辛くも一命を拾った様なものだ。橋氏は実に気の毒です。』と氏は遭難刹那非常に興奮したので心臓を害し、その他右腕、右足、左耳等に負傷をしているがいずれも軽症で幸い数日後には全癒するらしいとのことである。
  
 
  東京朝日新聞より
     (茶字は編注。句読点、改行を一部追加した)

東京朝日新聞
大正12年5月21日


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