こぼれ話

 情報処理能力を弱める!?電子社会 ('01.5.5)

 インターネットがかなり普及しました。家庭にも職場にも学校にも。
 大学ではずいぶん前から全ての学生にIDとパスワードを発行し、メールを使ってレポートを提出するようなこともでてきました。高校、中学、小学校までインターネット環境は普及してきました。

 インターネット上には様々な情報、データが公開されています。学術論文や電子化された文献類もあります。端末の前に居ながらにして世界中のデータに瞬時にアクセスできます。研究者ならずとも大変に便利です。
 何か知りたいと思ったとき、検索サイトでキーワードを入れて検索すればいろいろなことが分かります。その道の専門家や詳しい人に質問することもできます。

 ところが、こうした状況はすでに自分で地道に資料やデータから情報を集めまとめることに慣れている人にとっては便利この上ないものでも、そうでない人たちには便利さがあだになりつつあるように感じてもいます。

 一つはインターネットに依存してしまうこと。
 何かのことについて調べようとしたときに、すぐインターネットに飛びついてしまう傾向が見受けられます。
 そのため、いざ自分の力でデータを集めなければならないときも、その方法に見当をつけられなかったり、そのデータの信頼性を見極められなかったりします。図書館などで様々な文献にあたることすら充分にできなくなってしまうのです。

 一つは他人に依存してしまうこと。
 なんでも気軽に電子メールで質問してしまい、自分で実際に調べたり文献にあたることができなくなってしまいます。
 私もある分野の専門的な情報を持つサイトを運営していますが、時期によっては質問が引きも切らないことがあります。専門の研究者のところに毎日山のように質問が投げかけられたら、たまったもんではないでしょう。
 

 最近では学校のレポートなどでも、文献にあたらず、自分の目で資料を選ぶこともせず、インターネット上のページを検索し、ページをそのままプリントアウトして提出する例も増えてきました。これでは何のためのレポートなのか分かりません。自分の手を全く動かさない分、先輩のレポート丸写しよりもさらに始末が悪いです。

 人間は、さまざまなデータを脳に蓄積し、そのデータを利用して様々な能力を発揮します。経験の蓄積こそがその人の能力を育てます。
 インターネット社会の状況は、目先の便利さを求めるあまり、人間の基本的な能力形成を無視している気がしてなりません。

 実際に手を動かすことがあなたの能力を高めるはずです。特に学生さんはなるべくインターネットに依存しすぎないことをおすすめします。
 文部科学省のお役人や政治家が「情報リテラシーになるため」などといってインターネット利用を薦めても、だまされないで下さい。その人は本質を分かっていないだけです。インターネットに限らぬあらゆる情報を自在に扱えてこそ真の「情報達人」なのです
(「リテラシー」……読み書き能力のこと。「情報リテラシー」は高度情報化社会に対応できる人材育成を掲げつくられた言葉。) 
 

 

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