2000年の日記です。


2000年12月31日(日)

 甘党娘たちが一足はやく甘党母の実家に行った。朝9時発の電車の切符がやっととれ、二人旅である。もう慣れたもので、いそいそと出かけていった。
 娘たちのいない、静かな大晦日を妻と一緒に過ごした。20世紀最後の大晦日。21世紀こそ平和で豊かな世紀になるように祈らずにはいられない。こどもたちの笑顔が戦争や環境破壊などによって奪われないように、私たちおとながしっかりしなければと、思いを新たにした。新しい世紀に、合掌。

2000年12月28日(木)

 今日も朝風呂である。この宿には露天風呂があり、街の眺めが良かった。宿をでて松山城に向かった。ふもとに車を置き、リフトで山を登った。けっこう、寒かった。松山城は加藤嘉明が築城したもので、火災や戦災にあい、その都度修復したもののようである。天守閣からの眺めはなかなか良く、城の中の展示品も立派なものが多かった。
 松山城を見た後、内子町へ向かった。内子町の八日市護国地区は、江戸末期から明治頃の街並みが残っている。そのたたずまいをのんびり歩いた。途中、木蝋資料館上芳賀邸を見学した。木蝋(和ろうそく)の製法などの資料が面白かった。また近くに和ろうそくの店もあり、おみやげに購入した。内子座などを見学し、また松山に戻った。松山では、伊予かすり会館で土産を買い、空港に向かった。
 2泊3日のはじめての四国旅行。今度は、バイクでお遍路をしたいと思った。
松山城全景 内子町の本芳賀邸 内子座の内部

2000年12月27日(水)

 朝、起きてすぐに朝風呂に入った。実に贅沢である。朝食後、車を宿に預けたまま、徒歩で金比羅さんへ向かった。参道から石段を785段登るそうである。石段の段差がけっこう大きく、のんびりゆっくりと歩いた。朝早いので、参道のお店はほとんど閉まっていた。30分ほど登って、本宮に着いた。思ったよりも小さい本宮であった。ここの境内からの眺めは素晴らしく、遠く瀬戸大橋まで見ることができた。家族みんなでお参りをして、参道を戻った。帰りに、甘党娘1号のたっての希望で、うどんを食べた。なかなかおいしかった。
 金刀比羅宮を後にして、善通寺・観音寺を見物した。善通寺はなかなか大きな寺で、立派な本堂があった。観音寺は、琴弾公園の近くにあった。琴弾公園には、銭形砂絵があり、展望台から見ることができた。観音寺は大きな寺ではなかったが、鐘楼の彫刻が立派であった。
 観音寺から松山自動車道にのり、松山・道後温泉に向かった。自動車道は、時々対面通行になるものの空いていて、快適であった。道後に着くと、石手寺へ行った。ここには、国宝の仁王門や重文の三重塔などがあった。なぜか洞窟があり、その中にも入ってみた。甘党娘2号は怖いようで、ピーピー声を上げていた。まあ、暗い中に仏像がいっぱいあると怖いだろう。夜中にうなされなければよいが。
 石手寺から宿はすぐ近くであった。この日も4時過ぎにはチェック・インした。荷物を置いてから道後温泉本館に行った。宿が送迎サービスをしてくれた。道後温泉本館は、木造三層楼の建物で、重文だそうである。ここはさすがに観光スポットで、けっこう人がいた。さっと風呂に入り、温泉街を散策した。土産物屋には、キティーちゃんのお遍路バージョンがあり、娘たちがおみやげに買っていた。
 宿に戻り夕食を食べた。けっこう品数が多く、満足した。
金刀比羅宮の石段 境内からの展望 金刀比羅宮の本宮 たぬきうどんを食す甘党娘2号
琴弾公園の銭形 石手寺の三重塔 道後温泉本館

2000年12月26日(火)

 家族旅行で四国に出かけた。飛行機やレンタカー・宿がパックになったものである。1日目の今日は、飛行機で徳島へ向かった。甘党娘たちは乗り物に弱いので少々不安そうであったが、特に揺れもせずに着陸したので、ホッとしたようであった。
 徳島からはレンタカーで鳴門へ向かった。鳴門の亀浦港からの遊覧船もパックになっているのである。カーナビがあるにもかかわらず迷いながら港に到着した。しかし、このカーナビは案内が悪い。チケットを買おうとすると、強風のため出航を見あわせているとのこと。残念ながら時間がないので、鳴門の渦潮見学は断念した。それから、屋島へ向かった。途中渋滞しているところもあり、屋島には1時30分頃到着した。ここのれいがん茶屋での昼食もパックになっているのである。少し道に迷いながら、茶屋に着き、うどん定食を食べた。寒いので、釜揚げうどんがおいしかった。うどん好きの甘党娘1号も満足そうであった。
 屋島寺を見物し、高松市内を抜けて琴平に向かった。途中、栗林公園も見たかったが、これも時間の関係で断念した。琴平に着いたのは4時頃、宿にチェック・インしてから温泉街をそぞろ歩いた。夕方頃には人も少なく、やや寂しい情景であった。宿に戻ってから風呂に入った。ややしょっぱい無色の温泉で、気持ちよかった。客が少ないようで、一人で広い湯船を独占できた。夕食にもうどんがついていて、なかなかおいしかった。明日は、金比羅さんへ行くぞ。
釜揚げうどんを食す甘党娘1号 屋島寺 夕暮れの琴平駅

2000年12月24日(日)

 クリスマス・イブである。クリスマスといえばケーキである。ケーキといえばやはり「ロッキー」でしょう。というわけで今年もロッキーのケーキにしたが、普通のデコレーション・ケーキにするのはやめた。やはりさすがのロッキーといえども、この時期は味が落ちるのである。大量生産するのでやむを得ないとはいえ、これでは満足できない。何か別のものはないかとケースを見てみると、おいしそうなものが3種類あった。ブッシュ・ド・ノエル、ノエル・ナポレオン、炭焼きノエルである。どれもおいしそうであったが、今回はノエル・ナポレオンにした。
 チョコレートケーキの中に洋梨が入ったこのケーキは、とてもおいしかった。ちょっと小ぶりであったので、みんなでさっさと食べてしまった。やはりケーキはロッキーである。

2000年12月23日(土)

 学童保育全国研学習交流会に参加した。15人ほどがレポートを持参して参加した。私もなんとかレポートを作って参加した。今回の全国研には、全児童対策の分科会や福祉政策の分科会に参加した父母が多く、その報告が充実していた。
 学習のあとは忘年会である。あり合わせのもので鍋などを作り歓談した。そのあとは、カラオケに繰り出した。同じ幸ブロックのS氏やN氏も参加し、盛り上がった。特に、S氏の歌にはみんなまいっていた。ブロック対抗歌合戦では、我々の勝利であった。

2000年12月21日(木)

 甘党娘たちのクリスマスプレゼント希望は、なんと「プレイステーション2」である。そんな高価なものをふざけていると思って、先日店を調査してみると、プレステ2は売り切れであった。あー良かったと娘たちに報告してもなかなか納得しない。しょうがないと、今日店に来てみると、なんとあるじゃないですか!まいった。やむを得ず購入した。これからは娘たちに独占使用させず、私もDVDでも見てやるぞ。

2000年12月17日(日)

 学童保育存続・充実署名の統一行動である。今回も、川崎で行った。クリスマス前ということで人出は多かったが、ビラの受け取りがいまいちなような感じがした。それでも、こどもたちが「お願いしまーす」とビラを差し出すと、たいがいの人が受け取ってくれた。こどもの力は偉大である。今回の署名活動には、サンタクロースやトナカイ・樅の木が参加してくれた。なかなか目立って良かった。署名の集約をしていると、高校生風の3人組が近寄ってきた。何か用か尋ねると「人が集まってるから、なんだろうと思って」とのことであった。署名をしている旨を話すと、喜んで協力してくれた。ありがたいものである。

2000年12月10日(日)

 ほいくのつどいに参加した。午前中の講演会の講師は朴慶南さんである。エネルギッシュでパワフルの話しに引き込まれてしまった。講演会のあと、連絡協議会のアピールを発言した。学童保育の統合問題についてである。今回は、会長や事務局長が所用で参加できないため私に白羽の矢が当たったのである。演壇に立つとあがってしまい、とても参加者の方を見る余裕はなかった。用意した原稿を読むのが精一杯であった。あー、しんどかった。
 午後は、「こどもたちの放課後を考える」シンポジウムに参加した。わくわくプラザ推進派(要するに、学童保育統合推進派)のパネラーの発言には、いちいち頭に来た。民主主義の基本がわかっていない。こんな人が、市民派のような顔をしているのだから、困ったものだ。主義・主張が違うことを前提にし、それを認めあうという民主主義の基本ルールを教えてあげたいと思った。

2000年12月9日(土)

 映画「学校W」を見た。小さな映画館であるが、思ったよりも客がいた。若い人もいた。頼もしいと思った。映画は良かった。さすが、山田洋次監督である。現在の日本の問題点をていねいに描き出していた。大ヒットにはならなくても、こんな映画が作られていくことが重要なのであろう。

2000年12月3日(日)

 こども文化センターの「こどもまつり」に顔を出した。いつものようにみつばちクラブ父母会も模擬店を出し、和気あいあいとやっていた。みつばちクラブのこどもたちも、まりつきやコマまわしなどを披露したようである。みつばちクラブ父母や父母OBに声をかけてもらい、いろいろと話し込んだ。

2000年11月28日(火)

 今日は一人旅である。大和八木から近鉄で桜井に行き、聖林寺を訪れた。ここには、国宝の十一面観音があった。長谷寺のものとはまた違うお顔をしていた。
 来た道を戻り、近鉄を乗り継いで、近鉄御所駅で降りた。ここからタクシーで九品寺に向かった。ここは別名石仏寺といわれているそうである。本堂の裏山には2000体近くの石仏があった。なかなか壮観である。なかには、南北朝時代のものもあるそうである。寺を出てタクシーを拾おうと思ったが、さっぱり走っていない。バスにしようかと思うと、バスもない。仕方がないのでしばらく歩いて、やっとバス停にたどり着いた。タクシー会社の電話をメモしておけばよかったと後悔した。しかし、たまに歩くのもなかなかよかった。
 近鉄御所駅から当麻寺駅に向かった。当麻寺は広く、見るもところも多かった。大きな金堂・本堂には、弥勒仏座像や阿弥陀如来座像などたくさんの仏像があった。三重塔は二基あり、どちらもなかなか美しい姿をしていた。奥の院までゆっくりと見物した。
 当麻寺駅のそばの中将堂本舗で中将餅を食べた。こしあんののったヨモギ餅であるが、さっぱりとした甘さでおいしかった。旅の疲れがとれるようであった。
 当麻寺駅から大阪阿部野橋へ行き、新幹線で帰宅した。のんびりゆったりまわる旅で、気持ちがリフレッシュできた。やはり、旅はいいよね。
聖林寺の門 九品寺の石仏と紅葉 当麻寺の2基の塔 甘い中将餅

2000年11月27日(月)

 天気は曇り時々晴れ、まあまあである。淀屋橋から地下鉄で難波に行き、「室生・長谷・飛鳥フリー」切符を買った。電車・バス込みで2250円とお得である。これは、事前にインターネットで調べておいた。便利になったものである。上本町でO氏にあった。十数年ぶりであったが、すぐにわかった。懐かしい笑顔に迎えられ、旅に出発した。
 上本町から近鉄・急行で室生口大野駅まで、1時間弱である。とても近い。O氏と友人たちの近況について話しているうちに、駅に着いた。バスがすぐに連絡していて、約15分で室生寺に着いた。ひなびた山奥というイメージがあったのだが、けっこう人がいてびっくりした。人が少ないだろうと平日の午前中に来たのに、少々がっかりである。仁王門をくぐり、よろい坂を上って、金堂・弥勒堂・本堂を拝観した。釈迦如来立像や弥勒菩薩像を見たが、なにぶん暗くて見づらかった。次はいよいよ五重塔である。この塔は前から「ぜひ見たい」と熱望していたものである。であるから、一昨年の台風で無惨に壊れた姿は、胸の奥をえぐるようなものであった。今年NHKのテレビ番組を見て修復されたことを知り、今度こそはと思って来たのである。塔の周りには人が多かった。同じ思いの人であろうか。五重塔は想像していたよりもこぢんまりしていた。しかし、小さいながらも優美でバランスのとれた姿であった。「美しい」、正直そう思った。しばらくボーっと眺め、いろいろな角度から写真を撮った。満足した。実に満足した。
 近くの食堂で、山菜定食を食べた。とろろ芋の粘り気が強く、おいしかった。タクシーに乗って途中の大野寺でおりた。この寺の宇陀川対岸の岸壁には、弥勒磨崖仏が彫ってある。それをまたぼんやり眺めた。
 近鉄に乗って長谷寺へ向かった。参道には商店が並び、開けている雰囲気であった。仁王門・登廊を通り、本堂の十一面観世音菩薩を見た。大きく立派な像であった。境内からは、紅葉に色づいた山並みを見ることができた。
 大和八木でO氏と夕食をとり、再会を誓って別れた。
室生寺の本堂 憧れの五重塔 長谷寺の登廊 境内から寺を望む

2000年11月26日(日)

 今日は天下御免の日曜日であるが、なぜか出勤である。まあ、しょうがない。昨日の土曜日も出勤だったので、その代休として、27・28日が休みになる。そこでかねてからの念願であった、奈良の室生寺に行くことにした。そういうことで、夜の新幹線に乗り、今日のうちに大阪に向かった。指定席をとっていたのだが、けっこう混んでいた。サラリーマン風の人が多かった。出張、または出張帰りであろうか。
 大阪・淀屋橋のビジネスホテルにチェック・インし、大学の先輩O氏に連絡をとった。O氏は京都に住んでいて、今回の旅に同行することになったのである。明日、上本町で待ち合わせをすることに決めた。

2000年11月25日(土)

 今日は太田裕美のコンサートである。私にとっては2000年最後の、いや20世紀最後の生“太田裕美”である。場所は浅草公会堂で、「たいとうネイチャーサウンドフォーラム2000」という企画の中のコンサートである。サウンドフォーラムでは、「コカリナ(木製のオカリナのようなもの)」のワークショップが開かれ、その受講者と太田裕美のジョイントという企画なのである。コンサートの一部はコカリナの発表と太田裕美のジョイント、二部は太田裕美単独のライブという構成であった。ということで変則的のコンサートであったが、私の席はなんと前から二列目!二列目といっても私は右端だったので、一列目のないところ、すなわち前はステージのみという素晴らしい席であった。これでど真ん中だったら、最高なのに・・・。とにかく手が届きそうなところで裕美さんは歌っていた。演奏曲はポピュラーなものが中心であったが、「九月の雨」はアレンジがボサノバ調からフラメンコ調にかわっていて、とても楽しめた。来年もコンサートへ参加できることを祈りながら、聞き惚れていた。

2000年11月23日(木)

 勤労感謝の日である。今日は保育関係六団体の統一宣伝署名活動が行われた。場所はいつものように川崎である。今回は保育関係者が多く集まり、150名以上での大宣伝活動となった。これだけ集まると活動も盛り上がり、短時間ではあるが、多くの署名を集めることができた。
 夜は、わたしの所属するギタースクールの発表会があった。今日は、なかなかのハードスケジュールである。昼間の宣伝活動と気持ちを切り替えて、ステージにのぞんだ。わたしの発表曲は「なごり雪」。イルカの名曲である。リハーサルではいい感じで演奏できたのであるが、やはり本番では緊張してしまう。昨年ほどではないにしろ、指の動きがかたくなってしまって・・・。自分では70点くらいのできであろうか。それでも、練習の成果が発揮できてよかった。発表会終了後、家族で夕食を食べ、家路についた。

2000年11月19日(日)

 甘党娘2号の小学校のPTAバザーが行われた。午前中の2時限が授業参観になり、その後バザーが行われるというやり方である。音楽と体育の授業を参観した。体育はドッジボールで、クラス対抗であった。4年生ともなると男女差は歴然としていて、男子中心のゲーム運びであった。女子は逃げるばかりなので、ちょっとかわいそうな感じがした。
 バザーには例年のように「みつばちクラブ」も出店していた。父母たちがたくさん集まり、コーヒーやクッキーなどを販売していた。私もちょっと顔を出してから、失礼した。

2000年11月12日(日)

 学童保育連絡協議会・幸ブロックの「学童ほいくまつり」が、南河原公園で行われた。晴天に恵まれ、楽しいまつりになった。詳しいことは、『学童保育のページ』に記載したい。

2000年11月11日(土)

 川崎のデパートで行われている「全国うまいもの会」に行った。おいしそうなケーキの店が出店しているからである。会場はたくさんの人が集まっていた。目を付けていた「京都・円町 レマン館」のシュークリームと「南葉山 マーロウ」のプリンは売り切れていた。「しまった。もっと早くくればよかった!」と後悔した。そこで第2候補の「京都・北山 マールブランシュ」のモンブランを買った。なかなかボリュームのあるケーキであった。また、「深川・深川太郎」の厚焼玉子を夕食のおかずに買った。厚焼玉子はふっくらと焼き上がっていておいしかった。デザートにはもちろんモンブランを食べた。丹波栗のクリームなどひじょうにあっさりとした甘さで、とてもおいしかった。こういう「うまいもの会」もいいね。
これがモンブランだ

2000年11月5日(日)

 高津ブロックの「学童ほいくまつり」に参加した。連協役員会のもちつきをするためである。我がみつばちクラブからも父親が2人参加してくれた。せっかくの休日なのに、実にありがたいことである。
 もちつきの方は、忘れ物をするというトラブルでつきはじめが遅くなってしまったが、多くの人が買いに来てくれて、すべて完売できた。苦労した甲斐があった。もちつきに協力してくれた父母のみなさん、ありがとうございました。

2000年11月3日(金)

 「第9回キャノン大撮影会in東京」に参加した。今年は会場が「こどもの国」なので、比較的近いところである。はじめはバイクで行こうと思っていたのだが、曇り空なので、自動車で出かけた。休日の朝なので道は空いていて、予定どおりに会場に着くことができた。
 今年も「入門モデルコース」に参加した。講師は諏訪光二カメラマンである。諏訪氏は細かく指示を出すというよりも、必要に応じてアドバイスをするというやり方であった。また、カメラをセットしてファインダーも覗かせてくれた。プロの構図を見ることができるのは貴重な機会である。構図もさることながら、ファインダーのクリアさにはまいってしまった。わたしのカメラとは雲泥の違いである。写真の腕を上げるのは大切であるが、やはりいいカメラがほしいよなと思った。
 午前・午後と4人のモデルさんの写真を撮り、終わった。満足のできる写真を撮ることは、難しいね。

2000年10月28日(土)

 今日から明日まで、全国学童保育研究集会である。今年は兵庫県が会場で、尼崎市と神戸市で行われる。みんな新横浜駅に集合し、新幹線で大阪に向かった。途中から雨が降り出すあいにくの天気になってしまったが、今年は天候が安定しないので、仕方ないだろう。全国研の詳しいレポートは、後日「学童保育のページ」に書くことにする。

2000年10月22日(日)

 甘党娘1号の中学校の文化祭があった。娘が特に関わっているものはないが、どんなものかのぞいてみた。体育館では、吹奏楽部の演奏が行われていた。学童っ子OBがたくさん入部しているので、しばらく聴いていた。仮装した教員が指揮したりと、なかなか工夫されたものであった。展示の方は時間がなかったので、見ることはできなかった。まあ、こんなものだろう。
 午後は、川崎駅頭で「学童保育の存続を求める、統一宣伝行動」に参加した。予想を超える父母・こども・指導員が集まり、盛り上がった宣伝・署名活動になった。特にこどもたちのがんばりは顕著で、「学童の署名をお願いしまーす」というかわいい声で、多くの市民の足を止め、署名に協力してもらえた。「学童保育がなくなったら困る」という思いは、こどもたちの胸に広がっているようだ。私たちも頑張らなければ。

2000年10月21日(土)

 弟のところに、出産祝いにいった。甘党娘たちは、従兄弟に会えることをとても楽しみにしていた。電車の連絡が悪く、予定したよりも遅くついてしまった。弟の家に近づいていくと、弟の長男が窓からこちらを見ていた。私たちを、というよりもおみやげをだろうか?、心待ちにしていたようである。
 生まれたばかりの赤ちゃんに対面したが、ちっちゃくてかわいかった。おそるおそるだっこするとずしりと重い。すやすやと眠る顔は、まるで天使のようだ。我が家の娘たちにもこんな時があったのだなあ。
赤ちゃんを抱く甘党娘1号

2000年10月19日(木)

 学童保育連絡協議会障害児連絡会の対市交渉があった。私も担当者として参加した。父母がいろいろな思い、つらいことなども話してくれたが、市から具体的な成果がなく、そういう意味ではきびしい交渉だった。担当者にはこの思いが伝わったようだが、そこから先が難しい。障害を持つこどもが安心して学童保育生活を送れるように、地道に活動しなくては。 

2000年10月14日(土)

 地元の区民祭に「学童保育」としてお店を出した。毎年恒例のことであるが、明日の日曜日には、2つの学童ホールが模擬店を出す予定である。今日は、こども向けのくじで客を集め、学童保育の宣伝をする。
 始まってしばらくすると子どもが集まりはじめ、その父母に統合問題パンフレットを私、署名のお願いをすると、快く書いてくれる人が多い。昨年からの宣伝が功を奏しているようである。
 おかげさまで、くじは全部なくなり、署名もけっこう集まった。

2000年10月12日(木)

 学童保育連絡協議会と市との話し合い(対市交渉)があった。今回は父母会に参加を呼びかけたが、会場にいっぱいの父母が集まってくれた。実にありがたいものである。連絡協議会の要望書への、市からの回答書をもとに話し合ったが、肝心なところには明確な回答がなく、参加した父母からも不満の声が挙がっていた。今後さらに、話し合いを重ね、父母の声を市に伝えていかなければ。

2000年10月9日(月)

 今日は体育の日である。天気はあいにくの雨。あの夏の暑さが嘘のように、肌寒い一日である。今回の3連休は、家族の予定の調整がつかず、恒例のブドウ狩りにも行けなかった。残念。まあ、次の機会を期待しよう。
 先日、弟のところに娘が生まれた。これで、一男一女である。甘党娘たちは、「名前は何かなぁ」「はやく、見に行こうよ」とにぎやかに喜んでいる。そのうち、お祝いに行かなければ。

2000年9月23日(土)

 私の大学時代の先輩である板倉哲氏が所属する「青年劇場」の芝居を、甘党母と一緒に見に行った。場所は新宿の紀伊国屋ホールである。紀伊国屋ホールに行ったのは、10年以上前に「こまつ座」を見に行って以来である。今回の演目は「島清、世に敗れたり」というものである。島清というのは、大正時代の作家「島田清次郎」のことである。この演劇は、島田清次郎の栄光と没落を描いた事実に基づいたもののようである。主演は、板倉哲氏。さすがに、出ずっぱりであった。
 演劇は、島清の栄光と没落を描いたものだが、何を訴えようとしているのか、わかりにくかった。島清は、社会の矛盾に目覚めた極貧出身の知識人ではあるが、傲岸不遜で女癖が悪い。彼を通して、大正期の社会を描こうとしているのか、破滅型の人間を描こうとしているのか・・・。
 とにかく、久しぶりに先輩の雄姿を見た一日であった。

2000年9月16日(土)

 台風17号が接近してきて、夕方からすごい雨になった。夕食後、風呂に入ろうとすると、すさまじい雷が鳴った。まるで、至近距離に落雷したかのようである。さすがに、びびった。そして、もう一発激しい雷鳴と稲妻。ドアを開けて眺めていると、その雷鳴の後停電してしまった。いやー、怖かった。1分ほどで復旧したが、風呂に入るのが恐ろしくなってしまった。この夏は雷が多かったが、今日のものはメガトン級だった。くわばら、くわばら。

2000年9月10日(日)

 甘党娘1号の体育祭があった。中学校になると、親が席取りにがんばるということはないようなので、楽になった。午前中は甘党母に任せ、午後から見に行った。午後の方が親の姿が多いという話しであった。リレーや応援合戦など、甘党娘が出場するものを見た。この日は日差しが強く、それ以外の時は、日陰に隠れていた。それでも腕などしっかり日焼けしてしまった。

2000年9月9日(土)

 Iというところが企画する撮影会に参加した。私鉄の駅から徒歩10分くらいの場所にあるスタジオで行われた。思ったより時間がかかり、開始時間ギリギリに飛び込むことになった。会場に着くと、すでに30人くらいの人がいた。人が多いので、いいポジションをとるのが難しそうだ。
 私は、川島令美さんと谷口寛子さんをメインに撮影した。なかなかかわいいモデルさんであった。ただ、二人とも窓際に立つことが多く、逆光気味で、レフ板だけでは被写体が暗くなってしまう感じであった。また人が多く、マナーの悪い人もいて、せっかくいい場所から撮ろうとしても、目の前に割り込んできたり、いちばん前でフィルム交換をしたりと、撮影のじゃまになることがあり、やや不満が残った。モデルがよいのに、これではなぁ。

2000年9月1日(金)

 待ちに待った「太田裕美白書」が発売された。さっそく購入し、パラパラとページをめくった。写真が抱負だし、レコードの解説もついているしで、大満足である。こういう本が出版されるとは、感慨深いものがある。

2000年8月29日(火)

 研修の帰りに、横浜でケーキを買った。暑いと、ケーキではなくアイスにいってしまうのだが、たまにはケーキも良いだろう。プリーズベイ・ホテルの洋梨のパイを買った。ほどよい甘さで、なかなかおいしかった。涼しくなったら、ケーキだな。


2000年8月28日(月)

 MUSIC POD SUMMER LIVE FESTIVALの招待券があたり、甘党母と参加した。このコンサートは、新聞で広告を見て、応募したものだ。ただでコンサートに行けるなんて、ラッキーである。
 この日の出演者は、因幡晃・海援隊・鈴木康博・細坪基佳・杉田二郎と、私好みの人ばかりである。因幡晃と杉田二郎はコンサートに行ったことがあるが、他の人の歌を生で聴くのは初めてである。コンサートで印象深かったのは、鈴木康博と細坪基佳のジョイントで、特に細坪基佳の歌うオフコースの「さよなら」は絶品だった。小田和正のボーカルよりも、やや甘い声で、曲に良く合っていた。久しぶりに、70年代のフォークソングを聴き、大満足であった。甘党母と、久しぶりのデートだったしネ。

2000年8月27日(日)

 Fというところが主催する撮影会に参加した。こういう形の撮影会は、はじめての参加なのでドキドキした。撮影会は、私鉄の駅から徒歩5分ほどのマンションの1室を使ったスタジオで行われた。撮影する場所には、布バックやライトが準備されていた。モデルさんは3人おり、気に入ったところで撮影するようになっていた。私は相原里奈さんを中心に朝倉遙さんも撮影した。モデルさんは慣れたもので、レンズを向けるとポーズを取り、目線をくれた。また、撮影している人の中でベテランの方がおり、その方がポーズをつけてくれたので、けっこう楽しく撮影することができた。はじめは戸惑い、ドキドキだったが、後半はリズム良く撮れたのではないか。またこういう撮影会に参加してみたいと思った。

2000年8月19日(土)

 近くの山形村唐沢地区にあるそば屋に、おいしいソバを食べに行った。この唐沢地区は、そば好きには知られたところらしい。その中の1軒「根橋屋」に行ったが、こんな山の中なのに、けっこう客がいた。さすがである。私は大ざるを食べたが、そばはコシがあっておいしかった。できれば、新そばの時期にまた来てみたいと思った。
 その後車を走らせて、崖の湯温泉に行った。道がわかりにくいところであったが、義兄に借りたポータブル・ナビに案内され、ちゃんと着くことができた。崖の湯の『薬師平ホテル』の風呂に入った。この温泉も空いていて、露天風呂を独占することができた。風呂からの眺めも良く、爽快であった。入浴後に、自家製アイスクリームを食べたが、とてもおいしかった。
これが大ざるです 甘党娘2号と山菜そば 店の前に広がるそば畑

2000年8月17日(木)

 安曇野にある甘党母の実家にお世話になっている。昼間はさすがに暑いが、家の中の風通しのいい部屋にいると、エアコン無しでも、十分過ごすことができる。朝方は寒いくらいだ。
 今日は、新しくできた温泉『シャルマンゆうすい館』に行った。昨年オープンしたばかりの新しい施設であるが、あまり宣伝せず、広く知られてはいないようだ。実際に風呂に入ったときも、しばらくして私一人きりになってしまい、露天風呂を独占することができた。風呂は新しく清潔で、ゆったりすることができた。

2000年8月12日(土)

 甘党イチオシのモデル(タレント)が所属しているグループ「CREPES」のライブ&撮影会が、逗子マリーナで開催された。ちょっと遠いなと思ったが、参加してみた。会場に着くと、すでに熱心なファンの方がスタンバイしていた。はじめにミニライブがあった。歌と踊りはまだまだ「?」な所があった。撮影会は、比較的近いポジションから写真を撮れたが、なかなかいい場所をキープできなかった。時間が短かったこともあり、フィルム1本だけ撮影した。まあ、こんなもんだろう。

2000年8月4日(金)

 いよいよ富士急ハイランドである。今日もいい天気で暑いが、都会の暑さとはひと味違う。湿度が低く、さわやかな感じがする。
 まずはじめに、ジェットコースターの「フジヤマ」に挑戦した。ギネス級の絶叫マシンとのことである。しばらく並んだ後、乗り込んだ。坂を上って行くが、さすがに高い。下界がどんどん小さく見えてくる。登り切ったところで、真っ逆さまに落ちていった。さすがに、怖い。目を開けていられない。頭から落ちていくような感覚である。「ワーワー、ギャアギャア」大騒ぎして、やっと元に戻った。とっても怖かったが、なかなかおもしろかった。こどもたちも、満足したようである。新しくできた「バードメン」にも乗ろうとしたが、これは長蛇の列なのであきらめた。その後「グレートザブーン」や「シューティングコースターZOLA」などにのった。平日であるが、けっこう人がいたので、それぞれ並ぶ時間が必要になり、思ったほど乗ることができなかったが、一日十分楽しめた。こどもたちも喜んでいたようなので、良かった。午後5時過ぎに出発して、家に帰った。
これが「フジヤマ」だ!

2000年8月3日(木)

 家族旅行に出かけた。富士急ハイランドのフリーパス券と旅館の宿泊がセットになったパック旅行である。今日は、河口湖の近辺で遊んだ。甘党母のリクエストに応えて、「久保田一竹美術館」と「河口湖ミューズ館」に行った。久保田一竹氏の名は初めて聞いたが、高名な染色家・芸術家であるとのことである。美術館には、久保田氏が染めて作った着物が多数展示してあった。着物というより、芸術作品という感じであった。その後ミューズ館に行った。ここには、人形作家与勇輝氏の作品が展示してあった。この人の名前も初めて聞いたのだが、作品には見覚えがあった。布を素材にしたこどもの人形は、とてもかわいらしいものであった。
 この後、天候が悪化したので、はやめに宿に入った。温泉で汗を流した後、夕食を食べた。夕食は、楽しみにしていた「しゃぶしゃぶの食べ放題」である。「ガンガン食べるぞ!」と張り切って望んだが、そんなに食べられなかった。肉は軟らかくておいしかったが、もう腹がついていかないようだ。残念。

2000年7月24日(月)

 私にとっての、初のロングツーリングの出発日である。目的地は「信州」。たっぷり楽しんで来るぞ!

2000年6月17日(土)

 バイクの修理がやっと終わった。というのも、タイヤ交換をしたのである。先週、バイクを降りてふと後輪を見ると、なんと約15cmもの太いネジ釘がタイヤにブッスリ刺さっているのであった。さすがに驚いた。ペンチで抜こうとしたのだが、見事に刺さっていてびくともしない。しょうがないので、翌日バイク屋に見てもらったが、パンク修理ではなくタイヤ交換とのことであった。実に痛い。
 やっと直ったので、来週からは通勤に使える。雨が降らなければいいな。

2000年6月13日(火)

 太田裕美のコンサート「弾き語りNIGHT2000」に行った。待ちに待った久しぶりのコンサートである。熱心なファンである私は、当然昨日も聴きに行った。二日間の太田裕美三昧である。コンサートに来ている人は圧倒的に男性が多く、年齢層も高い。まあ、私もその中のひとりである。
 コンサートの本編については、二日間とも同じであった。私の大好きな「振り向けばイエスタデイ」が生で聞けたのが、大きな収穫であった。聴きながら、不覚にもジーンとしてしまった。アンコールの内容は少し違っていた。外は雨だったが、至福の二日間であった。

2000年6月11日(日)

 朝から雨である。今日は『平和をきずく市民のつどい』が開かれ、学童保育連絡協議会が模擬店を出す日である。模擬店は恒例のもちつきである。雨のため売り上げ不振が心配されたが、なんとかすべて売ることができた。餅をつく方も、我がみつばちクラブの父母が手伝いに来てくれ、順調にもちつきができた。ありがたいものである。

2000年6月10日(土)

 甘党娘1号・2号のピアノ教室の発表会である。今年も私の両親が聞きに来てくれた。娘たちも発表会には慣れてきたようで、そんなに緊張したようすではない。それでも、出発前には、入念に練習していた。
 会場は、まだ新しい市民館ホールである。床や壁に木材を使い、いすもゆったりとしていて、気持ちがよい。まずは、甘党娘2号から出番である。あいさつの時は、やや緊張したようすであった。演奏はミスもあるものの、実力を出し切ったようである。ホッと安心した。甘党娘1号は、あいかわらずぶっきらぼうなあいさつである。もう少し愛嬌を見せればよいのに・・・。照れ屋なのであろう。演奏の方はまずまず。だが、もう少し練習させればよかったかなとも思った。

2000年5月24日(水)

 甘党母が泊まりがけの出張である。ということは、こどもたちの面倒は全面的に私がみることになってしまう。食事は外食すればなんとかなるが、甘党娘1号の弁当はなんともならない。そういうわけで、今日はいつもより30分早起きして弁当作りである。作るといっても、レトルトや冷凍食品が中心で、ウズラの卵やアスパラを茹でるぐらいなので、そんなに難しいものではない。なんとか形を整えて、娘たちを送り出した、どうして中学校は給食がないの!

2000年5月21日(日)

 甘党娘2号の小学校の運動会である。雨の心配もあったが、なんとかもった。小学校に着くと、すでに保護者席は満杯状態である。「困ったなあ」と周りを見回していると、学童仲間が手招きしてくれた。早くから場所取りをしたということで、いい席に相席させてもらった。感謝である。
 甘党娘2号は今年もリレーに出場したが、惜しくも1位は取れなかった。それでも、一生懸命走る姿は、美しい。この一生懸命さを忘れないでいて欲しいと思った。

2000年5月14日(日)

 スティーリー・ダンのコンサートへ行った。会場は東京国際フォーラムである。ここは鉄道の駅から非常に近いので、便利である。コンサートに来ている人の年齢は高め。ほぼ私並みの人が多い。演奏が始まっても、静かに楽しんでいる人が多い。ドナルド・フェイゲンの歌い方がイマイチだなあと感じたが、楽しめたコンサートであった。

2000年4月29日(土)

 川崎市学童保育連絡協議会の総会に参加した。今回は『学童保育の統合問題』の最中の総会なので、多くの参加者が見込まれたが、やはりたくさんの参加者で会場がいっぱいになった。時間が押し気味になってしまい、発言が十分に保障できたとはいえなくなってしまったが、「学童保育を充実・存続させたい」という意思が強く感じられる総会になった。忙しい中参加してくれたみなさん、ご苦労さまでした。

2000年4月23日(日)

 湘南女性写真研究会の「ミス湘南コンテスト・撮影会」に参加した。ミス湘南には昨年初参加し、今回で2回目である。昨年は途中から雨が降り出し、寒い雨中での撮影会と厳しい条件だったが、今年は風が強いがさわやかな晴天に恵まれた。撮影会日和である。
 午前中はミスコンテストが行われた。その後撮影会となった。今年は天気がよいせいか、参加者が多く感じられた。わたし好みのモデルさんのところをまわったが、どこもカメラマンでいっぱいで、じっくり撮影することは難しかった。また、気後れしてしまって、声を出すこともできなかった。もっと積極的にならなければと思うのだが、なかなかうまくいかない。まだまだ修行が必要である。最後にミス湘南の発表があったが、今回は私のイチオシの人も選ばれた。次回の撮影会が楽しみである。

2000年4月22日(土)

 甘党娘1号・2号の誕生会をした。田舎から祖母も来ていたので、一緒に参加してもらった。プレゼントに「プレイステーション2」をねだられていたのだが、「そんな高価なものはダメ!」と一蹴、結局衣類を自分で選んで買うことになった。バースデイ・ケーキはいつものロッキー。今回はガナッシュのものを選んだ。これもまた、ほどよい甘さとさっぱりとしたクリームで実にうまかった。祖母もとても喜んで食べてくれた。やはりロッキーのオリジナル・ケーキは最高である。これから来年まで誕生会がないので、デコレーション・ケーキを食べる機会がなくなってしまう。何か理由を作って食べなければ・・・。

ガナッシュクリームのケーキだよ


2000年4月8日(土)

 みつばちクラブの花見に参加した。夢見ヶ崎公園という花見の名所で行った。現役の父母・こどもと、OBの父母・こどもらが、多数集まった。なかなかの団結力である。桜の方はほぼ満開で、風もなく穏やかな陽気であった。私はお酒が飲めないので、十六茶を飲みながら、歓談をした。みんなが持ち寄った食べ物を食べながら、たわいのない話しやまじめな話しなどをした。学童保育を通じて知り合った仲間たちであるが、実にいい関係が取れている。このつながりを大切にしていきたい。

2000年4月1日(土)

 以前仕事で行ったことがあるホテルのディナーブュッフェに行った。私たちの誕生日&こどもたちの進学・進級祝いという名目である。料理の種類がなかなか多く、特にデザートが豊富だった。デザート全種類征服をめざしたのだが、とても食べられなかった。若き頃と比べると、めっきり食べられる量が減ってしまった。悲しいかな、年を感じてしまった。帰宅後、胃腸薬を飲んだことは、いうまでもない。

2000年3月28日(火)

 甘党娘たちが6年間お世話になった、学童保育の指導員S先生のお別れ会があった。S先生は、指導員をやめて、長野県白馬でペンションをやるのだ。もう、ペンションはスタートしていて、先日甘党娘2号が「おわかれキャンプ」でお世話になったばかりである。
 この日はあいにくの雨。それでも夕方には、卒室したこどもたちがたくさん会いに来ていた。夜は父母たちが主催し、立食形式でお別れ会をした。S先生や学童保育の想い出を語り、先生たちに仕込まれた“芸”を披露し、太鼓を演奏しとプログラムは進んでいった。クライマックスは、キャンドルサービス。S先生から、父母一人一人にローソクの火が贈られた。ローソクの火に囲まれたS先生があいさつをした。17年間の思いを語るS先生の目には、キラリと光るものがあった。ありがとう、S先生。今度は、ペンションに遊びに行くからね。

花束を受け取るS先生


2000年3月27日(月)

 2回目の「青少年プラン説明会」に参加した。プランの説明の中で「前回の質問に答える」といっていたが、肝心なことにはほとんどふれなかった。説明のあと質問に移ったが、「なぜ統合なのか?」というポイントをついた質問には、「すべてのこどもが群れて遊ぶのがよい・・・」と抽象的かつ不明確な回答をしたり、その他の質問にも答えなかったりと、前回以上に不誠実な態度であった。参加者もさすがに怒りだし、「質問に答えなさい!」と厳しい声が飛んだ。時間になると、「以上で終わります」と言い残し、担当者全員が退席してしまった。これには驚いた。参加者よりも先にいなくなるとは!こんな人たちが学童保育をなくそうとしているんだと、あらためて感じてしまった。あまりにも、ひどい。

2000年3月21日(火)

 甘党娘1号の小学校の卒業式があった。私も甘党母と連れだって出席した。カメラを携えていったのだが、「撮影はご遠慮ください」と言われてしまった。残念。
 卒業式は淡々と進んだ。本当に型どおりの「式」そのもので、計画・実行した先生方には申し訳ないが、感動も感激もなかった。小学校最後の日を、こんなふうに過ごしてしまっていいのだろうか?「楽しいことがいっぱいあって、良かったね」そんなことを確認できるものであって欲しい。

2000年3月15日(水)

 川崎市が開いた『青少年プラン説明会』に参加した。今川崎では、学童保育を新しくはじめる「全児童対策事業(小学校の空き教室を活用したもの)」に統合してしまおうとしている。この全児童対策事業では、学童保育の良い面を継承できないので、多くの関係者が「統合」に反対している。そういうこともあり、市が関係者(学童保育を利用している父母)に説明会を開くことになったのである。
 説明会は、はじめに青少年問題協議会の「意見具申書」や「青少年プラン(素案)」について説明を行った。そのご質問・意見になったのだが、多くの父母が積極的に手を挙げて質問していた。こどもの出欠の確認、職員の体制や配置、障害児の受け入れについてなど切実な質問ばかりであったが、市の回答はおざなりであったり、はぐらかしであったりと、実に情けないものであった。怒った父母からヤジが飛んだりした。見ると、我がホールのN氏も怒鳴っていた。無理もない。質問は続いていたが、「時間になったから」と一方的に閉会を宣言してしまった。あまりの不誠実さに、あきれてしまった。何人かの父母が担当者に抗議をし、再度説明会を行うことになった。その間、ほとんどの父母は会場から帰らず交渉のようすを見守っていた。この父母たちや指導員たちとともに、学童保育を守らなければいけないと、あらためて思った。

2000年3月5日(日)

 私甘党の誕生パーティーをした。ついに私も40歳である。感慨深いものがある。ケーキはもちろんロッキーのケーキ。今回のものも、抜群においしかった。プレゼントは、リクエストに応えて「皮革製の小銭入れ」であった。シブイものをもらった。娘たちはハンカチと靴下を贈ってくれた。うれしかった。

ロッキーのバースデイケーキでーす


2000年2月27日(日)

 甘党の父の田舎である、伊豆の河津に来ている。最近亡くなった叔父にお線香をあげるため、甘党家と甘党の父親・母親とともに来たのである。ついでに『河津桜祭』も見ようということもある。昨日は天城を越えてきたのだが、浄蓮の滝付近で雪が降ってきたのには驚いた。そそくさと通過してしまった。昨日のうちに、叔父の家に行き、線香をあげた。実に久しぶりに叔母にあった。さすがに年をとってはいるが、昔と変わらない印象であった。その後、父の実家に行き叔父や従兄弟にあいさつをした。そして、湯ヶ野温泉の宿に泊まった。低価格であったが、けっこうおいしい食事であった。
 この日は絶好の祭日和であった。祖父・祖母の墓参りをしてから桜を見に行ったが、会場へ向かう車の量がすごかった。私たちは、従兄弟のガソリン・スタンドに車を置かしてもらい、徒歩で桜を見に行った。河津川に沿って桜が植えてあった。そういえば、昔この川で泳いだっけなぁ。そのころはこんな桜はなかった。叔父に聞いても、こんなに人が来るようになったのは、つい最近のことだという。駅に近づくにつれ立派な桜が増えてきた。そして、多くの観光客。桜はきれいでいいのだが、この人混みはたまらない。適当に見物して元に戻ることにした。途中、叔母のやっている『中井農園』に寄った。ここは、観光ガイドブックには必ず載っている、たいへん有名なカーネーション農園である。叔父・叔母の好意で、数本カーネーションを摘ませてもらった。温室の中は、色とりどりのカーネーションでとてもきれいであった。
 その後、道が混む前にと、帰路についた。途中韮山でイチゴ狩りをしようと寄ったのだが、天候のせいであろうか「受付終了」ということで、まっすぐ帰宅した。

甘党娘と河津桜


2000年2月5日(土)

 甘党母の*回目の誕生会をした。今日のバースデイケーキも「ロッキー洋菓子店」のオリジナルケーキである。昨年のクリスマスケーキは、量産のためか味がいまいちだったが、今回はスポンジ・クリームともとてもおいしい。作り置きしないで、手間暇かけて作るものは、やはりおいしい。みんなで、ぺろりと食べてしまった。
 プレゼントはご指定の「湯飲み茶碗」である。美濃焼のシンプルなものを贈った。まあ、満足してもらえたかな。

ロッキーのオリジナルケーキ


2000年1月23日(日)

 学童保育映画のつどいが行われた。上映作品は『エルマーの冒険』である。こどもたちに人気の高い題材だからであろうか、昨年の映画のつどいを上回るこども・父母が200名以上参加してくれた。映画のあと、昨日の活動をふまえて署名・宣伝活動をする予定であったが、雨が降り出してしまい、署名活動は延期することになった。甘党娘たちも参加する予定になっていたので、実に残念である。次回に期待したい。

2000年1月22日(土)

 青少年プランの市民討議があった。私がとてもお世話になった学童保育を統合してなくしてしまおうというプランを許すわけには行かない。同じ思いの多くの父母・関係者がこの日はたくさん参加してくれた。討議が始まる前にみんなで署名・宣伝活動をした。そして、討議にのぞんだのだが、行政側の説明は通り一遍のもので、父母の質問への回答も誠意が感じられない。そうこうしているうちに、予定時間を過ぎたということで閉会の挨拶をし、幕を引いて逃げていってしまった。あまりに無様な姿に会場から失笑がこぼれた。しかし、この行政の態度は何であろうか。なぜ市民の声を真摯に聞かないのであろう。地方自治とは何か、民主主義とは何かと考えてしまった。会が終わったあとも多くの父母・関係者が残り、今後の活動を確認しあった。こどもたちのためにも、あきらめるわけにはいかない。
 夜、先日購入したルーターを導入した。マニュアルの通りに進めると、あっけなくセッティングできた。メイン・マシンからもサブ・マシンからもインターネットに接続することができた。すばらしい。こんなに簡単にできるとは思わなかった。あとは、電話代が心配である。

2000年1月16日(日)

 壁に穴を開けてLANケーブルを通し、メイン・マシンとサブ・マシンをつないだ。解説書の通りセッティングをすると、ドライブやプリンターを共有することができた。すごい!やればできるじゃないと思って進めたのだが、インターネット接続の共有がうまくいかない。サブ・マシンからどうしてもインターネットに接続できないのである。解説書の通りにやったのに!こうなったら、へそくりでルーターを買ってやる!

2000年1月8日(土)

 昨年末に注文していた新しいパソコンが届いた。DELLのマシンである。1月10日に配達と聞いていたので、予定より早まったことになる。こういうことは大歓迎である。さっそくコードをつないで、セットアップをして、SCSIカードを増設して、ソフトをインストールした。途中なにやら調子悪くなったのだが、サポートに電話をして懇切丁寧に教えてもらい、危機を回避した。たいへん助かった。あとは、メイン・マシンとサブ・マシンをLANでつなぐのである。これはまた後日行うことにした。

2000年1月7日(金)

 冬休みも終わりである。今回は温泉を満喫することができたが、今日も自宅へ帰る途中、温泉に寄ることにした。今日の目標は『若神楼』である。須玉ICから、5分ほどの所にある旅館である。
 さっそく入ったが、内湯はかなり熱い。あまり長くは入っていられない。露天風呂は広くて気持ちがよいのだが、ややぬるめ。この日は寒かったので、露天風呂だけでは、なかなか温まらなかった。もう少し、湯温が高い方が良かった。広く気持ちのいい露天風呂であるだけに、残念であった。

2000年1月5日(水)

 甘党母の実家は、とても寒いところであるが、今年は暖かい。朝晩はさすがに寒いが、身を切るような寒さが感じられなかった。やはり、地球はおかしくなっているのだろうか。
 さて、今日は浅間温泉に出かけた。娘たちも誘ったのだが、遊びに夢中で冷たく断られてしまった。仕方がないので、妻と二人で出かけた。今回の目標は『湯々庵枇杷の湯』である。1997年12月に、旅館から日帰り温泉施設にリニューアルしたものである。浅間温泉は久しぶりだが、道が細くてわかりにくい。看板や住所を頼りに、なんとかたどり着くことができた。建物は由緒のあるもので、館内にはいろいろなものが展示されていた。風呂は木が多用されていて、いい感じのものであった。この日は空いていたので、檜の露天風呂を一人で楽しむことができた。岩風呂も良いが、木の風呂もまた格別である。ほどよい温泉を、じっくり堪能することができた。

2000年1月3日(月)

 甘党母の実家へ行った。この頃になると中央自動車道も空いているので、快適である。途中で、温泉によってリフレッシュしようというプランを立てた。今回の目標は、『蔦木温泉つたの湯』である。1999年4月にオープンしたばかりという、新しい施設である。そこは、小淵沢ICをおりて10分ほどの所にある「道の駅」に併設された温泉であった。ところが、とっても混んでいるのである。広い駐車場が満杯に近い。「こりゃダメだ」とここをあきらめ、第2候補地へ向かった。そこから30分もかからないところに『ゆーとろん水神の湯』があった。ここも駐車場は満杯に近かったが、そんなに広いものではないので、大丈夫だろうと、入ることにした。
 施設はそんなに広いところではなかった。特に脱衣場が狭い。しかしながら、露天風呂は広い。湯船が4つもある。かなり湯温の低いものもあったが、気持ちよくつかることができた。頭は冷たく、体は温かい。実に気持ちよかった。湯は無味無臭で、肌触りの良いものであった。第2候補地ではあったが、いい温泉であった。

2000年1月1日(土)

 静かな正月である。甘党娘たちが田舎へ行っているので、なおさらである。2000年問題も大したことはなく、平穏である。そういうところで、妻と二人で雑煮を食べた。今年はどんな年になるのであろうか。

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