TOPページへ戻れるよ

【 Carpe diem 】



「最悪だ」
 考えうる中で最悪の事態ではなかろうか。
 弟とはぐれるわ、呑み込まれた先は何だかワケが分からない所だわ、出口はないと断言されるわ、目の前のホムンクルスはとんでもないデカブツになって襲って来やがるわで、これほど酷い状況に遭った事はない。うっかり絶望してしまいそうだ。
 極度の疲労と流れ出した血液の分、ずしりと重くなった身体を自覚して、ふらつく頭で無意識に考えた。さすがにもう、ダメかもしれない。
 そう思った途端、偉そう大佐のいけ好かない笑みが頭をよぎった。そういや、あのオヤジは今頃どうしているだろう。
 野郎は確かに頭が切れるし要領もいいが、何処かしらヌケ作だからな。大ポカやらかして飛んで火にいる夏の虫、なーんて事態になっているかもしれない。何といってもバカだし。
 ひどく心配になり、それからすぐに苦笑した。今の状況を考えてみろ。悠長にヤツの心配をしている余裕などないではないか。
 それにと、声に出して呟いた。たとえそうでも、あの野郎がやられっぱなしで終わるワケがない。もしもあきらめていたら、大声で笑ってやる。
 病院の廊下で弟が聞いたという言葉を思い出す。ヤツは何と言った? うろたえるな。思考を止めるな。そして ─ 。
 拳を握り締める。生身の左手と鋼の右手。両方ともまだ動く。ちゃんと立っていられる。考える事も出来れば独りでもない。
 ゆっくりと頭を上げ、目の前の巨大な塊を見据えた。そこから漏れ出る、怒号と嘲笑と哀惜の交じり合った大勢の声を聞く。 
 こんな所で果てて弟との約束を果たせないのは、何よりも、ここであきらめて偉そう大佐に嫌みったらしい面であざ笑われるのだけはごめんだ。
 そうしてエドは、にやりと笑った。
「さて、」


「最悪だな」
 考えうる中で最悪の事態ではなかろうか。
 己が半生は人外のものの掌で踊らされた茶番だと、ヒューズの死すら茶番の一環に過ぎないと思い知り、築き上げたものを根こそぎ奪われ、挙句に人質まで取られてうかつに動く事も出来ない。この部屋から出る事さえおぼつかないとは。これ以上、酷い状況を思いつけそうにない。うっかり絶望してしまいそうだ。
 絶対者の視線を感じながら、頭を上げる事が出来ずに深い息をつく。ぼんやりと床を眺めて無意識に考えた。さすがにもう、だめかもしれない。
 そう思った途端、生意気なガキの嘲るような満面の笑みが頭をよぎった。そういえば、あの子供は今頃どうしているだろう。
 年のわりにはしっかりしているが、どうも彼は肝心な所でぬけている。大失態を演じて弟とはぐれて慌てている、なんて事態に陥っているかもしれない。何といってもバカだからな。
 ひどく心配になり、それからすぐに苦笑した。今の状況をわきまえろ。悠長にひとの心配をしている余裕などないではないか。
 それにと、声を出さずに呟いた。たとえそうでも、あのガキがそのまま終わるわけがない。もしもあきらめたりなどしたら、説教のひとつもくれてやらなければ。
 自分が口にした言葉を思い出す。私は彼女に何と言った? 己が要求した事なら実践してみせろ、ロイ・マスタング。うろたえるな。思考を止めるな。そして ─ 。
 両の拳を握り締める。手も動けば立つ事も出来る。自由を奪われても考える頭はある。部下は失ったが死んだ訳ではない。彼らは自ら考え、行動する事が出来る。
 頭を上げずにうなだれたまま、唇に微かな笑みを刻んだ。今は、手足をもがれた矮小な人間で構わない。これみよがしに牙を見せる事はない。必要とあらば、幾らでも打ちひしがれた哀れな姿を演じてみせる。
 ハボックに上で待っていると告げた。一度宣言した言葉を翻すのは、何よりも、ここであきらめて生意気なガキにそれ見た事かと笑い飛ばされるのだけはごめんだ。
 そうしてロイは、小さく笑った。
「さて、」

 まだだ。最悪にはまだ、まだ遠い。
 うろたえるな 思考を止めるな 生きる事をあきらめるな

 二人の錬金術師は同じ言葉を紡いだ。のんびりと、他愛のない日常にいるように。


「さて、生きるか」



了 (2005.10.14)



ロイエド頑張れ企画とみせかけて、実はロイファンへの応援コールだったりして。
題名はラテン語で「今の瞬間をつかみとる」「今を生きる」の意だそうです。

ネタ自体は、大佐が大ポカをやらかし兄貴がうっかりグラトニーに呑まれちゃった頃からありました。何てポジティブなワタシ。
とはいえ、11月号の想像以上にえげつないブラッドレイの仕打ちに打ちひしがれる大佐を見て、さすがに立ち直れるか心配になっていたら、周りのロイファンもご心痛のようだったので、自分を励ます意味もこめて、エンヴィーに踏まれても手足をもがれても挫けないオヤジとガキを練成してみました。

エドはともかく、次号以降で大佐が本気でショボーンとしていると話が繋がらなくなるのですが、生きる事をあきらめるなとホークアイさんに説教したのですから、ぜひ自ら手本を示して欲しいものです。
まあ、厭世的になっている所をエドに罵倒されて目覚めるってーのも美味しいかもしれませんが。

しばたさんの脳内大佐はしぶとく頑張るらしいので、私も頑張りたいと思います(何を?)
ロイファンの貴方も、惚れた男を信じましょ。なんちゃってv