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【 遠い空の下 】



「……うーむ」
 ひとつ、唸る。
 どうにも自分の柄ではない。誰も居ない墓前に立って、土の下で眠る、物言わぬ者を偲ぶなど。
 大体、柄にもない事をやっているのは、物語の途中でのほほんとリタイアしたこいつの方だ。
 成長した娘に反抗されては泣きついて、そんな娘に疎まれつつも慕われて。結婚式の前日には、こちらをムリヤリやけ酒に付き合わせて泣き喚き、その内孫の自慢でうんざりさせにやってくる。そうして自慢の孫たちに囲まれて、日当たりのいい庭で眠るようにこの世を去る方が、よほどお似合いだ。今のこいつはミスマッチ過ぎて、笑う気にもなれない。
 そう思うと、何だか腹が立って来た。さっさと起きろと墓石を蹴りたい衝動に駆られる。地位と年相応の体面を考えて、行動に移す事は控えたが。
「うっかりしていたな」
 迂闊にも忘れていた。人間は、ある日突然、簡単に消えるものだという事を。あれだけ身に染みていたはずだったのだが。
 その時、ふわりと暖かい感触がした。瞬間吹き抜けた風が、それまでの凍気を含んだものとは違い、どうした訳か微かな熱を帯びていたらしい。

─ あんた、突っ立ったまま泣いてたから ─

 不意に、勝手な夢を見て勝手に抱きつき、勝手に喚いていた子供の体温を思い出した。あの時は鬱陶しいと思ったものだが、今は随分と懐かしく感じられる。
 結局未だに、久しぶりの己の涙をこの目で見たのに、自分がどんな表情をして涙を流すのか分からずにいる。多分、彼の失礼な夢の通り、仏頂面で泣くのだろう。

─ お前さんはリアリストな顔をした情熱家だからなあ ─

 今度は静かになったはずの、懐かしい男の声が響いた。さっさと舞台から降りたわりには、おせっかいで口煩いのは相変わらずのようだ。ありもしない声が届くとは、自分も年を取ったものだと自嘲する。
 彼の死を知った時、子供たちは泣くのだろうか。自分たちの責だと苦しむ事になるのだろうか。
「まったく」
 暮れかけた、それでもまだ蒼の濃い空を仰ぐ。
 神様とやらが本当にいるのなら、小さな子供なのではあるまいか。この世はあまりにも不条理で満ちている。まるで幼い子供の描く極彩色の落書きのようだ。無邪気で正直で開けっぴろげで、それゆえに残酷で汚い。
『神ってヤツが目の前に現れたら、オレならまず最初に蹴り入れるな』
 真面目な顔でそう言って、不遜な言動をたしなめる弟を逆にけしかけていた子供の姿に、随分と粗暴なものだとあきれたが、今なら大いに同意出来そうだった。蹴りのひとつもくれてやらないと気が収まらない。
 それでも神と呼ばれるものは、お粗末なユーモアのセンスはあるらしい。ただ単に、茶番が好きなだけかもしれないが。
 死以外の生業の全てが喜劇だと、何処かの誰かが言っていたがとんでもない。死ですら喜劇だ。生き残るべき者が死に逝くのは、笑えない喜劇としか言い様がないではないか。
「 ─ お互い難儀だな。鋼の」
 この空の下にいるはずの、同じく喜劇を生きる子供の事を想う。
 まったくこの世界には ─

 ここには 喜劇ばかりがある


了 (2005.02.09)



………はみだし軍人旅情編(大佐は旅してないから) 
ヘンな話の続きはやっぱりヘンになりました。エセとはいえシリアスなので、余韻をぶち壊しにするような後書きはやめておきます。やはり私にはシリアスは向いとらん… orz

最後の一文はオリジナルではありません。いやまあ、オリジナルと言えない事もないのですが。
元は夏目漱石の『虞美人草』から…ではなく、向田邦子原作のNHKドラマ『阿修羅のごとく』から取った…つもりで、頭の中で誤変換してしまったものです。
『此所では喜劇ばかり流行る』が正しいようなのですが、幼い頃にドラマを観た時に間違って覚えてしまって、すっかり凝り固まってしまったです。
これまでにも何度か記憶の矯正を試みてきたのですが、すぐに元に戻ってしまうもの覚えの悪さよ。今回も引用しようと思って調べたら、また間違っているのに気がついた体たらく。
正しい方にしようかと思ったのですが、この話だと間違って覚えた方が合っている気がしたのでそちらで。半パクりというか、良く言えばインスピレーションを得たというかー。昔から、こーいう感じの根暗い言葉が好きでした。イヤなガキだよな。
しかしまさか、この言葉を大佐に言わせる日が来るとは思わなかったわ。

ヒューズの墓前でエドに想いを馳せる大佐ってコトで、ヒューロイの方々にケンカを売ってしまったような気がしなくもないですが、他意はないんです。ごめんなさいごめんなさい。