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 軽口をたたく。怒る。拗ねる。─ 笑う。屈託なく。何もなかったように。
「…バカだな、あれは」
「大佐。何おっしゃいましたか?」
「いいや。なにも」
 何もないって表情はしていないけれど ─ と、ホークアイ中尉は彼女の上司を盗み見た。非常に機嫌の悪そうな横顔を。



【 Life goes on 】



 「…面倒だ」
 思わず文句が口をついて出てきた。まったくもって面倒だ。こんな事までしなければならないのだろうか。業務内容から逸脱しているし、超過勤務で手当てが欲しいくらいだ。しかし ─ 。
「乗りかかった船か」
 そう呟いてため息をひとつ。あれを船に乗せたのはこちらだ。それなりのアフターフォローは必要かもしれない。
「しかし、面倒だ」
 ぶつぶつと文句を言いながら、ロイは廊下を歩いていた。


「鋼の。いるか」
 不機嫌な調子そのままで声をかけ、きちんと閉じていない仮眠室の扉をなおざりにノックしてから開く。目立つものといったら2段ベッドくらいしかないその部屋には、胴体に大きな風穴の空いた鉄の鎧が収まっていた。床の一角には元は鎧のものだった残骸が、敷かれたシーツの上にどさりと置かれている。
 誰も入っていない事を示す真っ暗な空間を見せる鎧の、その首の部分がギィと上を向いた。ホラー小説のような光景に、事情を知らない者が見たら、さぞやビックリするだろうと思う。
「兄さんなら、破片を入れる袋を探すって、上の納戸…倉庫に行きましたけど」
 いかつい鎧とは不釣合いな、可愛らしい声が辺りに響いた。いや、アレは納戸で十分だと心の中で突っ込みを入れつつ、それは表情に出さない。
「そうか。ありがとう」
 返答もまたなおざりに、ロイはその場を去ろうとした。その背後からおずおずと声がかかる。
「─ あの、マスタング大佐」
「なんだ?」
「あの、兄の事、よろしくお願いします」
 それを聞いたロイの顔に、うんざりとした色が浮かんだ。
「君は私に子守りまでさせるつもりかね」
「あの、その、…すみません…」
 不機嫌そのものの刺のある言葉に、鎧は ─ アルはすまなそうに俯いた。子供相手だったと自分の大人気なさを反省し、ロイは非を認めて謝ったが、ついつい文句が口をついて出てきた。
「しかし、君の兄のバカさ加減はなんとかならんものかね?」
「はあ…」
「あんなにバカな子供は今までに見た事がない」
 やれやれとため息をつきつつの嘆きにいたたたまれなくなって、アルの大きな身体が小さく丸められた。確かにバカなんだよな、兄さんは。
「 ─ 君は大丈夫か?」
 小さくなっている所に、不意に優しい声が降ってきた。顔を上げてみると、思いのほか優しい目をした気遣わしげな表情が目に入った。この人はこんな顔も出来たんだと少し驚いてしまう。大抵は皮肉な笑みを浮かべているか、仏頂面ばかりしているから。
「ボクには兄さんがいるから」
 相手の態度につられて、ほっとしたようにアルは答えた。それから少し考えて言葉を足す。
「でも兄さんは、ボクの分の荷物も背負うから ─ 」
 ホント、バカなんだよね。とは口に出さない。
 ボクの分の痛みも悲しみも、全て自分が肩代わりしようとする。自分の方が心も身体もよっぽど痛いのに。
 普段はただの乱暴者のくせに、そういう時だけ兄貴の顔をする。『 大丈夫だ、心配ない 』 と笑うのだ。あまりに兄貴らしい顔をされるので、ボクもつい甘えてしまう。その笑顔に重荷を預けてしまう。
「ああ、やらせておけやらせておけ」
 俯いて考え込んでいるアルに向かって、ロイがめんどくさそうに言った。
「あれが好きでやっている事だ。そのくらいさせておきなさい」
 それからやれやれと息を吐く。
「それがないと、あれはとっくに潰れている。むしろ、君がいないと生物として成り立たんな」
 人間どころか生物としてって…。兄に向けられるさりげなく酷い言葉に、アルは目を白黒させた。
「─ だから、君は生きていないといけない」
 しかし、その後の言葉にはっとなって顔を上げた。いつものような、兄が 『 いけ好かない 』 と評する笑みを浮かべたその人は、それでも優しい目をしていた。
「さて、私はこれから子守りにいかなけりゃならん」
 はあっと息をついて肩を落とす心底めんどくさそうな姿に、アルは申し訳なさそうに笑った。
「バカな兄が面倒かけてすみません」
「まったくだ」
 恐縮するアルの言葉に、ロイはしみじみと頷いた。


 実の弟と気に食わないヤツに 『 バカ 』 呼ばわりされているとは露知らず、エドはそこかしこに乱雑に積まれている箱の中を引っかき回していた。片手がないとバランスが取れないな等と思いながら、がさごそと物色する。
「…痛て…」
 ふと微かな痛みを感じて、エドは残った生身の左手で胸を抑えた。本当に僅かな、痛みとも言えないものなのに、つい口に出してしまった。そんな自分に疑問を感じたが、すぐに忘れる。
 時々、ほんの時々、胸に鉛でも飲み込んだような重苦しい感じがする。が、それもすぐになくなる。今までもそうだった。すぐに、消える。
 お目当ての物を探し出し、にんまりとした所にノックの音が響いた。誰か咎めに来たのかと、エドは慌てて後ろを振り返った。
「すいません。ちょっと探し物してたんで ─ って、げっ!」
「 『 げっ 』 とはご挨拶だな」
 振り返った瞬間の慌てた様子の可愛らしいさまからは想像もつかないような、ものすごく嫌そうな表情で、エドは入り口に立っている人物を見た。まったく可愛くないお子様だと、ロイは憮然とする。
 そしてやっぱり ─ と、ロイは心の中で嘆息する。どうしてこいつはこんなにバカなのか。
「なんでこんな所にいるんだよ、大佐」
 不機嫌さを隠そうともしないエドの問いに、ロイもやっぱり不機嫌そうに答えた。
「子守り」
「はあ?」
「ガキの子守りに来た」
「誰のだよ」
「目の前にガキは一人しかいないが?」
「あんた、オレにケンカ売ってんのか!?」
 バカにされたような物言いに、エドが噛みつかんばかりに吠えた。それを煩そうに見やりながら、ロイは苛々した様子で置いてあった椅子に座る。
「あまりギャンギャンわめくな。私に子供にケンカを売るほどのヒマはない」
「だったらオレの側に寄るな! 近づくな!」
「私だって、出来ればそうしたいんだがね」
 背もたれに肘をついて、これみよがしに頭を抱えてこちらを見やる姿に、エドの怒りはますます激しくなった。今にも噛み付いてきそうな様子に、ロイはため息を隠せない。
「お子様があまりにバカだから、子守りまでしなきゃならん」
「誰がバカなガキだよ!」
「君以外のどこにいるっていうんだ」
 あまりの言われように、エドは思わず絶句した。そりゃ口で言うほど大人だとは思わないが、それにしても子守りされるほどのガキではないつもりだ。なのにこいつときたら ─ 。
「 ─ 大佐、何が言いたいんだよ」
「言わなきゃ分からないのか?」
 怒りに任せて間近に詰め寄ってきたエドを、ロイは真っ直ぐに見つめる。視線の強さに気圧されて言葉に詰まる子供にやれやれとため息をついて、そのまま二の句を継いだ。
「君は、他人に教えてもらわないと、自分が泣きたいって事すら分からないのか?」
 だからバカな子供なんだと憮然とした様子で言うロイを、エドはぼんやりと見ていた。
 こいつの言っている事が理解出来ない。泣きたいなんて思っていない。そんな事、思って ─ いない。
「なに、バカな事…」
 努めて明るく笑い飛ばそうとしたが、次の言葉が出なかった。どうしたんだろう。胸が苦しい。痛い。
「 ─ たく」
 黙り込んで俯いてしまったエドの頭を、ロイはしょうがないと舌打ちしつつ抱き寄せた。子守りなんか、遠い昔にやって以来だ。大体自分にはまるで向いていないのに、このお子様は面倒をかけてくれる。
「…なんで」
 逃げるでもなく、されるがままになっていたエドがぼそりと呟いた。見下ろした小さな身体が微かに震えているのが分かった。
「…なんで、あんたがここに居るんだよ…」
 なんでと問われても困るのだがと、ロイは天を仰いだ。まあ、自分がここにこうやっているのは、このお子様のプライドをいたく傷つけているのは分かっているので、文句は言わない事にする。
「なんで…こんな時に限って…」
 繰り返される、悔しそうな非難めいた言葉の端々から嗚咽が漏れていた。いつの間にか制服にしがみついている。
「やっぱ…てめえ、気に食わねえ」
「はいはい」
 はっきりと泣き声だと分かる罵声に呆れながら、ロイは優しく撫でてやる。いつもの生意気なガキではなく、いたいけな子供をあやしている気分になった。面倒だが、そんなに悪いものでもないなと、知らず笑みがこぼれた。


 エドは、自分が泣いている事自体に驚いていた。何故涙が出るのか、どうしてこんなヤツの前で泣いているのか分からなくて、心のどこかで首を傾げる。
 声を上げて泣いているのが恥ずかしくて、それをこの男に見られているのが悔しくて罵声が漏れた。それと同時に思い出す。
 何ひとつ出来ない自分が悔しくて悲しかった。このまま殺されるのかと怖かった。弟を永遠に失うのではないかと不安でたまらなかった。
 ああそうか、自分は泣きたかったんだと、今頃やっと気がついた事に笑えてしまう。
 泣くってこういう感じだったっけ。すっかり忘れていた気がする。微かな胸の痛みも、身体の中心に陣取っていた固いしこりも、全て解けていくような気がして気持ちがいい。
 昔々覚えていた感覚より、ずっと良い気分だ ─ 。


「一生の不覚だ…っ!」
 エドの後悔にくれた嘆きが響いた。信じられない事に泣き疲れて、よりにもよって一番隙を見せたくない相手の膝枕から目覚めるなんて。やはりこの世に神は存在しないと、信じてもいない神様に八つ当たりする。
 その様子をロイはにやにやと眺めていた。予想した通りの反応を見せるお子様の醜態が目に心地いい。非常に爽やかな気分だ。
「ムーカーつーくーっ!」
 朝っぱらからギャンギャン吠えまくるエドをいい気分で眺めていたロイは、彼に向かっておもむろに手を出した。何かを乗せて欲しいかのように、手の平を上に向けて。
「何の真似だよ」
 喚きながらも不審に思って尋ねたエドに、ロイは含み笑いをしながら曰く。
「口止め料」
「はあ?」
「こっちはバカなお子様のために、夜明かしはさせられるし膝枕はさせられるし ─ 」
 ああ腰が痛いと、これみよがしに腰をさする。
「この苦痛を軽減させるために、昨夜の事をその辺に吹聴したい所なのだが」
 そこまで言うと、エドの顔からあからさまに血の気が引いていくのが分かった。ああ楽しい。
「ちょ、大佐。それだけは勘弁…っ!」
「だから、君の好きな等価交換だ。口止め料を払ったら昨夜の事は黙っていてやろう」
「年端も行かない子供から金取る気かよ!」
 こんな時だけ子供を盾に取り、怒鳴るエドを涼しい顔で眺めながら、ロイは二の句を継いだ。
「別に金品でなくてもかまわんよ。労働力を提供してくれれば」
「タダ働きさせる気か!?」
「さあ、どうだろうねえ」
 にやにやとやたら楽しそうな様子に、エドは自分の失敗を悔いまくっていた。ああー、だからこいつに関わるのはイヤなんだっ!
「まあ、とにかくその腕を直してからの話だ。きっちりとお代は頂かなくてはね」
 よっこらしょと椅子から立ち上がり、結構疲れたなと強張った身体を伸ばした。それをムスっと見つめる子供の視線に気がつくと、ロイはことさらにこやかに笑ってやった。エドがますますへそを曲げるのを楽しげに見やる。
「しっかり直してきたまえ」
「言われなくても、お代分は働けるようになってきます!マスタング大佐っ!」
「そう願いたいね」
 棘を隠さない憮然とした返答を鼻で笑いながら、ロイは上機嫌で部屋を出て行った。


「くそー、ムカつく…」
 一人残されたエドは、歯噛みしながら呟いた。なんであいつは、こっちがカッコ悪い場面に居合わせるのだ。機会を狙っているんじゃないだろうなとあらぬ想像に胸を悪くしながら、それでも昨日より気分のいい自分を自覚していた。疲れも取れているようだし、何だか身体まで軽い。心が軽くなったなとしみじみしていたら、偉そう大佐のいけ好かない顔が浮かんできて、エドはムッと顔をしかめた。
 あいつのお陰かと思うと腹が立つが、礼のひとつも言っておくべきだったかと嫌々ながらも考える。
「とにかく。一日も早く借りを返さないと…!」
 そう呟いたエドの顔から、今にも泣き出しそうな影が消えているのに気がついたのは、一人を除いてはアルだけだった。

了 (2004.1.28)

エド兄には、すっきりした気分で故郷に帰ってもらおう企画。普通に原作ベースの話。
すっきりしてもらうために、いっぺんがっつりと泣いてもらいました。自分が泣きたい事にすら気付かないエドと、それに気付いて不機嫌な大佐って辺りがロイエドっぽい?
しかし大佐にいい役を振りすぎたと思っています。なんか美味しい役ばかりこいつに回しているような気がー。実は大佐好きなのか? ワタシ(自覚がない)
まあ、普段オヤジ呼ばわりしまくっているから、たまには大佐にもいい目を見させてあげましょう。
しかしヤツがいい目を見る時は、エドがピンチなんだよねえ…。困ったもんだ。

『Life goes on』は、好きな曲の題名なのだけれど『(どんなことが起きようと)人生は続いていく』というような意味らしい。こんな解説ページもあり。
泣こうが喚こうが、真理を見ようが魂だけになろうが、それでも人生ってものは続いていくという感じか。
日常を普通に生きる事が一番大変で大切なんだよ…と、教訓めいた事を言って終わってみましょう。