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【 水の底の紅い石 】




「くっだらねえ。時間の無駄だ。やってらんねえ」
 腹の底に、重石をぎゅうぎゅうに詰めているような感覚にムカムカする。
 いやまあ、大して腹が減っているわけでもないのに飲み食いしたせいもあるのだが、それ以上に、今現在、隣を歩いている男のとりすました表情に、この胸糞悪さが起因していると断言出来た。黙ったままのいけ好かない面が胃にもたれて仕方がない。ああ、ムカつく。
 自分でも不思議に思うほど苛立ち、そのまま言葉にして吐き捨てた。野郎が気にした風もせず、黙ったまま隣で歩を合わせているのがまた癪に障った。不機嫌さをそのまま吐き出している己をあざ笑われている気がする。きっとあれだ。年寄りは感受性が鈍いんだな。そういう事にしておこう。
「なあーにが 『 鋼の錬金術師くんは小さいのに偉いねえ 』 だ。あのタコ親父。何かっていえば金だー家柄だって、壊れたレコードかっつーの」
「まあ、そう言うな鋼の」
 やれやれといわんばかりにため息をつきながら、ヤツが苦笑を漏らしたのが目に入った。小さいと言われたのは気の毒だがと、いつもの皮肉めいた顔で続けたので、遠慮せずに鋼の左足で足の甲を踏みつけてやった。痛いとか何とかほざいていたが、力の限り踏みしめて、ぐりぐり踵で抉られなかっただけ幸運だったと思ってもらおう。眉を寄せた仏頂面に、少し胸がすっとした。
「なんでオレが、あんなくっだらねー茶飲み会に行かなきゃならなかったんだよ、大佐」
 文句を言うのを諦めたらしい男の傍らを歩きながら、腹の虫が治まらないまま、糾弾するごとく声を張り上げた。棘を隠さない言葉を、涼しい顔で受け流されてムッとする。
「仕方あるまい。主催者が君をご指名だったのだから。これも仕事の内だと割りきりたまえ」
「割りきれっか。ばかばかしい」
「だったら有名税だと思えばいい。いやー、オレって人気者だなーとか、前向きに考えればいいだろう」
「ますますやってられるか!」
 ふざけた口調で揶揄する様に、一気に頭に血が上った。今度は骨にひびを入れるつもりで踏んでやろうかと、物騒な考えが頭をよぎる。めいっぱいの憎悪を込めて睨みつけたつもりなのに、あっさりとかわされるのが、これまた腹が立った。
「大体、あれだけ飲み食いしておいて文句を言うのもどうかと思うぞ?」
「それくらいしか楽しみがなかったんだからしょうがねえだろ」
 痛い所をつかれてギクリとなった。が。
 本当につまらなかったのだ。やたら着飾った大勢の人の前で、タコ親父に小さい錬金術師くん呼ばわりで妙に馴れ馴れしくされて、心の底からうんざりした。
 とはいえ、不機嫌さを表立って表すほど子供でもなかったので、精一杯の愛想を振りまいたつもりだ。笑顔の大盤振る舞いをやりすぎて、未だに頬が引きつっている気がする。
 それに、その場にいたおばさんたちが、入れ替わり立ち代わりやってきて、これが美味しい、これは珍しい物だと山ほど食い物を持ってくるものだから、断りきれずに勧められるまま食べるはめに陥った。興味津々といった視線を注がれて、動物園のサルになった心地がしたのは、こいつには秘密だ。思い出すだけで胃が重くなる。
「てめえの顔を潰さない程度の振舞いはしたつもりだ。少しは感謝しろよ」
「もちろん、心の底から感謝しているよ。鋼の」
 苦行の時間を思い出して、げんなりした気分で見上げた顔は、その時に見たままだった。帰り道の間ずっとそうだ。タコ親父以下、昼日中に暇を持て余しておっさんたちに囲まれて、おべっかの嵐の中で見せていた、如才ない、人当たりのいい表情。
 途端にずんと胃袋が重くなった。腹の底の石が2,3個増えた気がして、足取りまで重くなる。意味もなくムシャクシャして、知らず言葉を吐き出していた。
「あのおっさんたちは何様だ? 内乱が拡大せずに済んだのは軍の力だとか、あれのお陰で国民の安全な生活が守られたとか、本気で言ってんのか?」
「まあ、本気だろうな」
「それこそ壊れたレコードみてえに同じ台詞を繰り返しやがってさ。そんなに戦争がありがたいのよ」
「それはありがたいのだろうね」
 平坦な声でそう言って、表情を変えずに、それどころか小さく微笑んでさえ見せて、野郎は二の句を告いだ。
「彼らは先の内乱の特需で今の地位を築いたからな。戦争さまさまだろう。こちらも彼らが調達した武器や物資がなければ立ち行かなかったから、まあ、持ちつ持たれつといった所だ」
 すぐ横で話しているはずなのに、妙に遠くから響いているような気がした。見上げた顔がひどく霞んで見える。透明な何かが立ちふさがっているような感覚が、とても気持ち悪かった。
 同じ事を、あのくだらない、会議とは名ばかりの席で、周りからイシュヴァールの英雄として、褒めはやされ持ち上げられていたこいつを目にした時も感じた。
 相手に合わせて談笑する姿は、気味が悪いくらいに平静で穏やかで、何の感情の波も窺えない様が、柔らかい透明な水面のようにさえ思われた。覗き込めば底まで透けて見えるようなのに、手をつっこむと、ほんの少し指先を潜らせたところで、やんわりと拒否される。目の前で沈んでいる何かを掴もうと足掻いても、触るどころか届きもしない。悔しくて歯がゆくて、また懸命に手を伸ばし ─ 。
「……ばっかみてえ」
 妄想じみた想像に、本気で胸が悪くなっている己に嫌気がさして、振り切るために、わざと言葉に出して呟くと大きく頭を振った。怪訝そうに見下ろしてくる視線を無視して歩いている内に、自分でも分からない衝動に突き動かされた。唐突に顔を上げ、微かに目を丸くした男に向かって口を開く。
「マスタング大佐」
「何だ?」
「 『 イシュヴァールの英雄 』 って言われてどんな気分?」
「国民の生命と未来のために戦う事が出来るのは軍人として本望だ。その成果として、過分な名称だが光栄に思う」
「…って、本気で思っているのか?」
 不躾な問いを聞いても顔色を変えず、息ひとつの間も空けずに滑らかに言葉を紡ぎ出す男を見上げた。じっと見返す黒い瞳を、ただ黙って見つめる。と、ヤツは不意に目を反らすと、前方に目を向けた。馴染み深い皮肉めいた笑みが唇に刻まれる。
「……反吐が出るな」
 不意に鋼の掌が温かくなった気がした。さきほどの妄想が、目の前に鮮やかに広がる。
 冷たい水の中にすっと腕が入り、底に沈んでいた燃えるような紅い石を、やっとの思いで手中にした錯覚が起きた。伝説の賢者の石にも似た、掌に隠れるほどの小さな石が、とても愛しいものに思えて苦笑する。感覚の無い手で、幻の石のぬくもりを覚えるなんて。まったくバカげた妄想だ。
「何か食ってくか。大佐」
「さっきあれほど飲み食いしたのにまだ足りないのかね?」
「あんなトコじゃ食べた気しねえんだよ。オレがおごってやるから」
 我ながら浮かれた声の唐突な提案に、気味悪そうに目を細めながら、それなら ─ と、バカ高い値段の店を挙げ始めた遠慮のない野郎の機先を制して、その辺の露店でと、大急ぎで付け足した。途端に不服そうな顔をしやがるのにため息が漏れる。どうしてこう大人気ないんだ、こいつは。
 それでも。
「何だ? ニヤけた顔をして」
 頬が緩むのを抑えられなかった。あんなに重かった胃袋もすっかり軽くなっている。今なら空にも飛んでいけそうだ。バタークリームのケーキもホールで食えそうだな。
 バンバンと音を立ててヤツの背中を叩き、勢いに圧されて咳をする情けない姿に大きな笑い声を上げた。
 たとえ仏頂面でも、仮面のような作り笑いよりずっとマシだ。あんな気味の悪い顔を見るくらいなら、いけ好かない偉そう大佐でいた方がまだいい。 ─ 程度問題だけどな。
 手に入れた紅い石を失くさないよう、ぎゅっと拳を握って空を仰いだ。



了 (2006.12.17)



コミックス15巻記念ってーワケではないですが。
ちょいと思う所があって書いてみた、かなり突発なSS。書いたのは突発ですが、ネタ自体は結構前からあったものです。
他人の前で大人の対応を見せる大佐が何だか気持ち悪いエドと、子供の真摯な問いに、つい大人の仮面を脱いじゃう大佐って感じでしょうか。
ショートマンガ向きの話だと思いつつ、無いもの強請りをしても仕方がないので文字で練成。前後をきちんと書けば、それなりのシリアス小説になりそうな気もしましたが、そんな気力も文章力もないのだった。
とことん一発ネタしか出来ない私です。とほほ。
それはサテオキ、バターケーキのホール食いはやめとけよ、エド。