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【 New Year New Year 】




 天鵞絨のような闇の中の、キンと澄んだ音を立てそうに冷えきった大気は、それゆえに濃密な肌触りを醸し出す。まとわりつく冷気を和らげるのは、家々にぽつぽつ灯る暖かな光に、ほのかに周囲を照らす街灯。そして人のぬくもり。
 それらに包まれている人々の密やかなざわめきが徐々に大きくなってきた。楽しげな、期待に満ちた、華やかな気配が広がっていく。
 そんな屋外の様相とは打って変わって、東方司令部の一室は静まり返っていた。ペンを走らすせわしない音に、時折り紙を繰る音だけが混じる。
「終わった、終わったぞ! コンチクショー!!」
 ガリガリと紙を削るようなペンの音が止まると、突如投げやりな怒声が響きわたった。時同じくして、書類の山に埋もれていた男が大きな息を吐いて天を仰ぐ。
「一時はどうなる事かと思ったが…。何とか年を越さずに済んだな」
「人使い荒すぎるぞマスタング大佐。か弱い子供を年末ギリギリまで働かせやがって」
 ほっとした表情で肩を叩いている年寄りじみた様子の男に、エドは眉間に深く皺を刻んだ不機嫌な顔を向けた。お陰で予定が丸潰れだ等と、口を尖らせ不平を訴える。
「報告書をためていたのは君の方ではないか」
「書くヒマもない位こき使ってくださったのは、何処のどなたさんでしたでしょうかねー」
「ガキの手も借りたいほど忙しかったのだから仕方なかろう」
 これみよがしな嫌味を涼しい顔で受け流すロイに、エドはムスッと顔をしかめる。
「いい加減にしないと児童虐待で訴えるぞ」
「残念ながら、狗には人権がないのだよ。鋼の」
「うっわ、てめえサイテー!」
 酷い言葉をさらりと言ってのける男に、エドがあきれた声を上げた ─ 瞬間、鐘の音が鳴り響き、外で歓声が湧き起こった。
「あーあ。とうとう年が明けちまったか」
 うんざりした様子で唸ると、エドはうかない足取りで窓辺へと歩み寄った。白く煙ったガラスを乱暴に拭い、へばりついて賑やかな外の様子を眺める。新しい年の訪れを祝う声が、往来のそこかしこにこだましていた。道の真中で酒盛りを始める者達の乾杯のコール、遠くから聞こえる爆竹の音。肩を寄せ合い笑う人々の姿は、本当に楽しそうだ。ああそれなのに。
「よりにもよって偉そう大佐と一緒なんざ、幸先が悪すぎだ」
 幸せそうな人々とは裏腹の、なかなかに惨めな今の自分を省みて、エドは大きなため息をついた。故郷を遠く離れた場所で、仕事にケツを叩かれながら新年を迎える事自体はまだ我慢出来る。だがしかし、どうしてこいつと年を越さねばならないのだ!?
「うーむ。…これは困った」
「ああ?」
 窓の外を睨みつけながらブツブツと愚痴っていたエドは、傍らに立つ男にやっと気づいて顔を上げた。眉根を寄せた妙に神妙な面持ちで、ヤツも同じように外を眺めている。
 と、不意にこちらに顔を向けた。
「仕方ない。この際妥協するか」
「 ─ はい?」
 言葉と同時に肩をがっしりと掴まれる。何事かと思う間もなく急激に接近してくる黒い瞳をまじまじと凝視した。慌てているせいで回転の鈍った頭では、起きつつある事態を飲み込めずにいたが、危険信号だけは派手に鳴り響いた。エドは迷わず鋼の拳を、間近に迫った顔の中心めがけて撃ち出した。


「……少しばかり酷くないかね? 鋼の」
 風を切って頬を掠めていった機会鎧の拳を、ロイは目を眇めて見やった。肩を捕えていた指が緩んだ途端、ゆうに5メートルは飛びのいて、歯を剥き出して威嚇する子供をあきれて眺める。まともに食らっていたら、気絶どころか、そのままあの世行きな事態が容易に想像出来た。せめて生身の腕を使ってくれればいいものを。どうも彼は、思いやりとか気遣いの精神に欠けている。
「てめーがヘンな事をするからだ。このクソ大佐」
「しょうがないだろう。君しか居ないのだから」
 肩を怒らせて文句をつけるエドに、ロイはさも心外だというような顔をしてみせた。悪びれない態度に毒気を抜かれ、口をあんぐりと開けたまま言葉を失った子供に向かって、すました顔で二の句を継ぐ。
「新年には傍に居る人物とキスを交わすのが常識だろう」
 ああー、やっぱりそのつもりだったのか。もしかしたらとは思ったがー。
 ずうずうしくも『常識』を振りかざす男を、エドはあきれ返って眺めた。前々から分かってはいたが、改めて理解した気がする。やっぱりバカだ、こいつ。
「ああいう行事は験かつぎのようなものだからな。やらないでおくのはどうも気分が悪い」
「科学者のはしくれが縁起をかついでどうするんだよ…」
「軍人は運に左右される職業でね。根拠の無い戯言を信じてみたい時もあるのだよ」
 したり顔でそう言って、ロイはエドに目をやると、やれやれとこれみよがしなため息をついた。
「私だって見目麗しい美女が相手の方がいいのだけれどねえ。無いもの強請りをする訳にもいかないし、時には妥協も必要だろう」
「なんだとこら!」
 肩をすくめてボヤくさまに、エドは一気に頭に血を上らせた。キス云々はともかく、女の代わりに妥協するとの言い草が無性に癇に障る。続けざまに怒鳴ろうと口を開いた時、唐突に扉が開いて浮かれた明るい声が響いた。
「マスタング大佐、新年おめでとうございまーっす。シャンパン持って来ましたよー」
 顔を覗かせたのは、ハボック少尉以下いつもの面々。既に酒が入っているらしく、調子っぱずれな声で口々におめでとうと笑っている。それを目にした瞬間、エドはにやりと不気味な笑みを覗かせた。
「ハボック少尉」
「お、大将。ニューイヤーイブまで仕事とは大変だったな。それはともかくおめでとうー」
「おう。新年おめでとう、少尉」
 可愛らしく微笑んで、エドは全開の笑顔を見せるハボック少尉の襟首を掴むと力任せに引き寄せた。
「 ─ へ?」
 間の抜けた声が急に途切れた。高い背を低く屈まされたハボック少尉の唇にエドのそれが重なる。その場は一瞬で沈黙に包まれた。
「新年だからな。特別サービスだ」
「……こりゃどうも…」
 触れただけの唇をゆっくりと開放して、エドは大きく見開かれた青い瞳に愛くるしい笑顔を向けた。そして襟首を掴んだままロイに目をやると、にたりと笑った。
「むう」
 ムッとした様子の不機嫌さを隠さない男の表情に、溜飲が下がってにんまりする。晴れやかな気分で勝利の手応えをしみじみと味わった。
 しかし、歓喜は一瞬にして消え去った。突然ずんずんと歩みを進めて近づいて来たロイに、未だ捕まえていたハボック少尉を奪い取られる。不穏な空気に圧されて、エドは知らず後ずさった。
「……マスタング…大佐…?」
 相手が変わっただけで、相変わらず襟首を掴まれたままでいたハボック少尉は、座りまくった目をした上官に恐る恐る呼びかけた。ただならぬ雰囲気に、情けないと思いつつ声が震えてしまう。
「大佐。目を覚ましてください。何かが間違ってるっすよ?」
 またもやグイと引き寄せられ、先ほどよりはマシとはいえ腰が軋んだ。顔色ひとつ変えない仏頂面を、今ほど怖いと思った事はない。
「許してください。勘弁してください。もうサボったりしませんからーっ!!」
 ハボック少尉の絶叫虚しく、叫びごとその唇が塞がれた。もがく頭を押さえつけられ、硬直した後にピクピクとマヒする身体を、その場の全員が声もなく見守った。部屋の温度が一気に下がった気分に悪寒が走る。
「……うーむ」
 深く重ねていた唇をゆっくりと外すと、ロイはひとつ舌なめずりをして息をついた。
「怒りのあまり、つい本気を出してしまったではないか」
 半泣きのまま目を回し、手を離した途端にくたくたと崩れ落ちたハボック少尉に目をやって痛ましげに呟く。そうして茫然と自分を見ている小さな子供に、ロイはにやりと笑ってみせた。
「マジかよ…」
 にこやかに迫ってきた男を、エドはなす術もなく見守った。ヤバい、これはヤバいぞ。
「ブレダ少尉ーっ!」
「寄るな大将ー!」
 いきなり振り向き、冷や汗かきつつ爽やかな笑顔を見せるエドに気づくと、ハボック少尉を介抱していたブレダ少尉は、薄情にもその身体を床に投げ出して、引けた腰で逃げようと試みた。が、バチが当たったのか、小さな子供にまとわりつかれてしまう。
「新年おめでとーっ!」
「めでたくないっ!!」
 重なり合った唇の柔らかさを堪能する気になどなれなかった。ああ、これで自分もあの怪物の餌食だ。この世の終わりだ。
 そそくさと逃げ出したエドの様子に振り向くと、これまた爽やかな笑みを浮かべた上官が目に入った。近来稀にみる上機嫌な顔に見える。それがとてつもなく恐ろしい。
「正気に戻ってください! 目標はあっちですって! ─ おかあちゃーんっ!!」
 遠のく意識の中で、なるほどこれなら女も落ちるよなと、我が身を持って実感した。もうお婿に行けない…。


「うわー。ホント、マジかよ…」
 死屍累々とは正にこの事だと、自分のしでかした事だという事実を棚に上げ、エドはあ然として呟いた。
 ハボック少尉に続いてブレダ少尉も毒牙に斃れた今、己の身を守るためにはなりふり構っていられなかった。騒ぎの隙に、こそこそと逃げ出そうとしていたファルマン准尉を慌てて捕まえ素早くキスをし、ケダモノ…もとい、偉そう大佐がそっちに襲いかかっている内に、足が竦んで動けないらしいフュリー曹長に、申し訳ないと思いつつも新年の挨拶をした。心が痛むので頬に。後は野郎が手加減してくれる事を祈るだけだ。
「あらエドワードくん。新年おめでとう。お腹が空いたろうと思ってケーキを持ってきたわよ」
「おめでとう兄さん!…って、さっきまですごく賑やかだったのに今は随分静かだね?」
 必死の形相で部屋から飛び出したエドは、ホークアイ中尉と鉢合わせした。横には不思議そうに首を傾げる弟も居て、ほっと息をついた ─ 刹那、背後から不気味に上機嫌な声が響いた。
「待たせたな。はーがーねーのー」
 楽しそうな声音なのに、地獄の底から響いて来るような気がした。ぞわぞわと総毛を逆立てながら、エドは途方に暮れてホークアイ中尉を見上げ ─ 。確かな希望の光に目を輝かせた。
「中尉! 新年おめでとう!」
 努めて明るく叫んで、背伸びをしてその唇にキスをする。そうしておずおずと切れ長の目を覗き込むと、彼女はにっこり微笑んだ。
「ありがとう。今年は良い年になるといいわね」
 温かな笑顔に応えてエドも光り輝く天使の笑顔を見せた。そしてくるりと振り返り、背後に迫ったロイには悪魔の笑顔を向ける。
「ここを越えて来るなら相手してやるぜ、マスタング大佐」
「うっ」
 蛇に睨まれた蛙のように脂汗を流して固まった男に、ホークアイ中尉とアルは不思議そうに目を向けた。苦渋に満ちた表情をあっけにとられて眺めていたアルは、不意に腕を引っ張られたのに気づいた。目を向けると、晴れやかな笑顔の兄がこちらを見上げていた。満足そうに喉を鳴らすさまに、ねこのようだとふと思う。
 背伸びをしてアルの首に手をかけ引き寄せると、エドは鎧の頬の辺りに唇を押しつけた。鉄の塊は冬の空気そのものに冷たかったが、もの哀しさよりも、むしろ力強い爽やかさを感じる。ゆっくりと唇を離すと、戸惑う様子の弟に、エドはにっと笑った。
「今年こそ元の身体に戻るぞ。アル」
 強い意志を滲ませた金の瞳と自信たっぷりに言いきる声は、力強く温かだった。小さな身体の大きな兄に向かって、アルは大きく頷いた。
「うん! 兄さん!」


 心温まる兄弟愛の横で、頭の周りに疑問符を飛ばしているホークアイ中尉と、固まったまま動かないロイとの睨めっこが続いていた。それを楽しそうに眺めながら、エドは爽やかな笑顔を残してスキップしながらその場を去っていった。ケーキは残しておいてくれよと言い置いて。

 東方司令部は、二人の錬金術師のお陰で今年も何かと賑やかなようである。



了 (2006.1.6)



新年早々のバカ話。大佐とエドの狗も喰わない痴話ゲンカ。この要約で間違っていないよな。
色々あって書き逃した去年のネタを、本年めでたく披露する事が出来ました。……お蔵入りさせたままの方が良かったかも orz
新年らしくはっちゃけてみたら、何だかとんでもないコトにー。ホークアイさんが部屋に入った時、一体どんな光景が広がっていたのでしょうか。心配デスネ☆(にっこりと爽やかに)
エドとのキスの先を越されたからって、部下相手に全力を出す大佐ってステキ…なワケねーって。大人気ないにもほどがあります。困ったもんだー。

皆様の2006年が、いつにもまして素晴らしい年になる事を祈っております。