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 やっぱりマスタング大佐ってバカだったんだなと大声で笑っていたら、弟に 『 せめて鬼の霍乱くらいに留めておこうよ 』 と、小さな声でたしなめられた。
 でも夏に風邪ひくなんてーのは、バカがやるコトだよな。




【 手当て 】




 いけ好かないヤツだが仮にも病人だった。ざまあみろとばかりに笑ってしまったのはマズかったかもしれない。一応反省はしてみたものの釈然としないまま、偉そう大佐が生息している官舎の前に立った。
 両手いっぱいの荷物が重い。パンやら果物やら薬(何故か酒も)にくわえ、 『 温めれば食べられるように 』 と、シチューが入った鍋まで持たされたのだ。よくぞ途中で放り出さなかったと、辛抱強い自分を褒め称えたくなる。
 大体、どうして一人で来る羽目になってしまったのだろうか。ホークアイ中尉が 『 私が行くとあらぬ誤解を生むから 』 と言うのはまだ分かる。ヤツの女好きは病気の域に達しているからな。噂が立つだけならまだしも、熱で朦朧としていたら、相手が中尉でも襲いかからないとは限らない。
 まあ実際にそうなっても、ケガをするのはヤツの方だろうが。それよりも、脳天ぶち抜かれて翌朝冷たくなって発見って方がありえそうだ。
 それは納得出来たのだが、どうしてハボック・ブレダ両少尉他の面々まで、口を揃えて 『 あらぬ誤解 』 を言い訳に使うんだ? はっきり 『 病人面した大佐に、あれこれこき使われるのが嫌だから 』 と言えばいいのに。大人って汚い。
 とは言っても、上官の急なリタイアで予期せぬ仕事もあるだろうから、そっちには目をつむるとしてだ。
 何といっても冷たいのは実の弟だ。 『 大勢で行っても病気の人に負担をかけるだけでしょう? 』 って、何で一人増えたくらいで大勢になるんだよ。腹の中にさっき拾ったねこを隠しているのは兄ちゃんお見通しだ。今頃これ幸いと、楽しく戯れているに決まっている。大体アルは、あのオヤジがどんなに危険かが、まるで分かっちゃいないんだ。
 頭の中でぶつぶつ愚痴を言いまくっていたが、荷物を抱えた左手が痺れてきたので、一旦文句を終了させて呼び鈴を見上げた。……見上げる位置にあるってーのが気に食わない。
 食料が大半の荷物を地面に置くのは気が引けて、抱えたまま背伸びをし (これもまた気に食わない) 、肘を使ってやっとの事でベルを押してみたものの、いくら待っても応答はなかった。静まり返った家の中で、ベルの音が虚しく鳴り響いているのが分かる。
 腹立ち紛れに扉を蹴破ってやろうかと思ったが、後から嫌味を言われたらたまったもんじゃないと、寸での所で足を止めた。さてどうしたものかと首を傾げる。 ─ このまま帰っちまおうかな。
 扉の内からコトリとも音がしないのにため息をつきながら、仕方なく荷物を降ろして両手を合わせた。後で文句を言われたら、出てこない方が悪いと逆ギレする事にしよう。中尉お手製のシチューを無駄にするワケにもいかないし。
 ……決して、決して中で倒れているんじゃないかと心配しているワケじゃないからな!

 辺りに人気がない事を確認し、ちょちょいと扉を練成して大急ぎで中に飛び込んだ。やはり大急ぎで証拠を隠滅して、ほっと息をつく。
 何だか泥棒にでもなったみたいだ。錬金術ってヤバい技能だよなあと、妙に後ろめたい気分になった。これじゃ何か事件が起こったら、真っ先に疑われても文句は言えないな。
 閉めきられた、相変わらず殺風景な室内には、カーテン越しの日光で温まったぬるい空気が澱んでいた。湿気とともに身体に纏わりつくそれが気持ち悪くて、何でオレがこんな事をと文句を言いながら、乱暴にカーテンを引き、大きく窓を開け放つ。
 その辺でぶっ倒れているかもしれないと思ったが、とりあえずリビングの床には転がっていないようだ。念のためトイレや風呂を覗き、人影がないのを確認した。…別に、力尽きてベッドまで辿り着けなかったんじゃないだろうかと心配しているワケじゃない。一応、見てみただけだ。
 荷物を置こうと入ったキッチンは、綺麗に片付けられていた。というよりも、乾いた流しに、うっすら埃が積もっているテーブルと、最近使っていないのが丸分かりだ。普段どんな生活を送っているのだろう?
 指でなぞると跡が残るようなテーブルに、わざわざ持ってきてやった食料を置く気にはなれず、見なかった振りをしてリビングへと戻った。……何となく苛つくのは、食事はおろか水分も取っていないだろう事に腹を立てているからでは決してない。野郎のだらしなさが目に余るからだ。
 むしゃくしゃした気分で足音も荒く階段を上ったが、一応相手は病人なのだという事を思い出し、途中からは必要以上に足音を潜めた。痛いほどの沈黙の中に居ると、時間の流れからこの家だけが切り離されているようで、唐突に不安感が湧き上がった。何かに急かされるように足を速める。
 息せき切って寝室の前まで走り、恐る恐る扉を開けて中を覗いた。カーテンが閉めきられた薄暗い室内に、とにもかくにもベッドの中で倒れている人影を認めて大きな息を吐く。……安堵のため息じゃねえぞ。
 自分自身に言い訳しているのは分かっていたが、そうせずにはいられなかった。じゃないと、いたたまれない気分に陥って、今すぐ逃げ出したくなる。
 何でオレがと同じ台詞を呪文のように呟いて、下の階以上に熱を帯びて濁った空気を追い出す事にした。ベッドの脇をそっと通り抜け、なるべく音がしないようにカーテンを開け放し窓を開く。
 途端に吹き込んでくる、外の活気をはらんだ風と昼の陽光に、凍りついていた時が一気に動き出したようで、今度は自分を誤魔化す事なしに安堵の息をついた。日の光の元で改めて部屋の中を見ると、制服は脱ぎっぱなしで床に落ちているわ、一応机らしい物体の上は本や書類で満載だわで、こいつのだらしなさが良く分かってうんざりする。せっかく一軒家を与えられているのに勿体無い、こんなヤツは1Kのボロアパートに住まわせておけと、税金の無駄使いを憂えた。しかし、この部屋にだけは人が生活しているぬくもりがある事に、何故だか安心もした。
 そんな事を考えながら、机の陰から椅子を引き出して、ずるずるとベッドサイドまで運んだ。どっかとそれに腰を降ろし、眩しいほどの陽光が差し込んでいるというのに、目を覚ます気配のない男の顔をしげしげと眺める。
 こいつの情けない様をあざ笑って、さっさと帰るつもりだったけれど。長期戦に持ち込むつもりはさらさらないのだが。……仕方ないよな。ムリヤリ起こす訳にはいかないし。
 起きている時もそうだが、寝ているとますます間抜けな面に見えるなと、しみじみ思った。それなのに、いつもの黒い瞳が堅く閉じられているのを見ると胸が痛んだ。そう感じてしまう自分に、どうしてだろうと首を傾げる。
 毛布の上に両腕を投げ出し、微かに荒い息をつきながら、それでも一向に目覚めない様子が不思議だった。部屋の中に他人が入り込んでいるというのに、何で起きないのだろう?
 だらしのないヤツだが、こんなに警戒心がない男ではないはずだ。こいつが軍人として有能なのは、ムカつくが認めない訳にはいかなかった。
 気配に気づかないほど具合が悪いのだろうかと、急に心配になってきた。椅子から腰を浮かせてヤツの顔を間近で覗き込む。上気した顔と、かなり汗をかいている所から察するに、結構熱が上がっているのかもしれない。反射的に額へと手が伸びた。
 目の中に鋼の指が飛び込んできて初めて、差し出したのが機械鎧の右手だった事に気がついた。体温など感じないと分かっているのに、間抜けな事をしたと苦笑する。未だ瞳を閉じている偉そう大佐がやけに小さく華奢に見えて、冷たい機械の指では傷つけてしまいそうだ。
 そう感じた途端、情けないような悲しいような把握しがたい感情に襲われた。目頭が熱くなるのを堪えるために、無意識に奥歯を噛み締める。
 と、眼前の男がゆっくりと目を開けた。
 突然の事に気が動転して、右手をヤツの額近くにかざして顔を覗き込んだ姿勢のまま、身体が固まってしまった。熱に潤んだ黒い瞳が、躊躇なくこちらを見据えているのが分かる。
「………何で君がここにいるんだ?」
 当然の問いだったのだが、どう答えていいのか分からなくなってしまった。身体が固まったまま、止まった思考を懸命に回転させて、ようやっと当たり障りのない返事を思いつく。
「見舞いに来た…んだ…けど…」
 答えながら、 『 どうやって入ったのか 』 と訊かれたら、殴ってもう一度眠らせようと決心した。しかしヤツは、眉根を寄せて思案する素振りを見せ、そうかと一言呟いただけだった。そしてやっと気がついたらしい、自分の目の前にかざされたままの、鋼の手に目を向ける。
 瞬間、無骨な機械の手を晒しているのが酷く恥ずかしくなり、慌ててそれを引っ込めた ─ つもりだったが、その前にがっしりと掴まれる。
「いい所に来てくれたな」
 そう言ってにっこり笑うと、ヤツは当然のように確保した鋼の掌を自分の額に乗せた。
「マスタング大佐?」
「いやー、とにかく頭痛と熱がひどくてな。これだと冷えて助かる」
 冷たくていい気持ちだとしみじみと息をつき、満足そうな笑みを浮かべる男を、目を見開いて、ただ眺めた。さっきまで身体中を支配していた重苦しい感情が、きれいさっぱり吹き飛ばされた気がする。窓を開け放って濁った空気を追い出した時の清々しさを、不意に思い出した。
「……何かヘンな気分だ」
「ん?」
「血の通わない機械鎧が、こんな風に役に立つとは思わなかった」
「ふむ」
 少々悔しく気恥ずかしかったが、思ったままを口にした。自分の柄じゃないと顔が赤くなるのが分かる。
「今の私には、他の何よりも君の冷たい手の方がありがたいがね」
 大きな息とともに漏らされた言葉が、やけに心に染みて声を失った。目を丸くした間抜け面を晒しているだろう自分を見やって、ヤツは不意に、にやりと笑ってみせた。
「それに冷たいとは限らないぞ」
「 ─ はい?」
「自分で触って確かめてみろ」
 からかうような笑みを気に食わないと思ったのに、何故だか素直に従う気になった。ヤツの額から手を離して、生身の左手でそっと触ってみる。初めてそれに触った時のように、緊張して胸が高鳴った。
「……あったかい…」
「だろう?」
 指先に触れた硬く冷たいはずの掌は、確かな熱を帯びていた。温かなぬくもり。生きている証のように、身体全体に熱が広がる。
「分かったら返せ」
「 ─ って、これオレの手だぞ」
「困った時はお互い様だろう? 鋼の」
 心から感動していたのに、こいつときたら、焦れたようにひとの右手を鷲掴みにすると、さっきと同じく額の上に乗せた。思わず文句が口をついたが、しれっとした顔で受け流される。
「仕方ないな。特別にタオル濡らして持ってきてやるよ」
「後で構わん。このままでいろ」
「何でだよ?」
「今はこれで足りている」
「もう冷たくないだろう?」
「 『 手当て 』 という言葉があるではないか。ひとの掌の方が効く場合もあるんだ」
 言い放って、野郎は聞く耳持たないといった素振りで目を閉じた。眠るまではこのままでいるようにと、命令口調で偉そうに言い残して。
 多分、こいつにとっては考える事のない、何の気なしの言葉だったのだろう。それでも 。
 とても、嬉しかった。鋼の右手もオレなのだと告げられてようで、泣けるほどに嬉しかった。でも 悔しいから、絶対ヤツには言ってやらない。
 この野郎の、こういう所が気に食わない。自分勝手で偉そうで、オレの側に居る訳でもないのに、いつの間にか心の内に入り込んでやがる。悔しくて、腹が立ってたまらない。
「……てめえなんかくたばっちまえ」
 半ば本気でそう言って、それでも額に右手を乗せたままでいた。病人のワガママくらいきいてやる。でも治ったら、借りは倍にして返してもらうからな。

 何も感じる事のない鋼の手が、確かなぬくもりを伝えていた。
 今だけは、そう信じる事が出来た。


了 (2005.7.10)


ワリと突発なロイエドもの。大佐風邪を引くの巻。
鋼の右手で大佐の頭を冷やしているエドの図ってーのが、ふと頭に浮かんだのでつらつらと書いてみました。
機械鎧の手足に無意識に引け目を感じてしまうエドと、意識的にか天然なのかは分からねど、生身でも機械でもどっちでもいいと思っているらしい大佐ってのは、わりと好きなモチーフです。機械鎧に熱が伝わって温かくなるってーのも好き。無自覚でエドに気を許して眠ったまま起きない大佐の図も好きなんですよねえ…って、萌えポイントの詰め合わせ?
エドに華奢だと言わせる大佐なんて、私にしては珍しいモン書いちゃったなあ。まあ、具合が悪い時くらいは可愛いトコロを見せてもいいんじゃないでしょうかね。傷つけてしまいそうなくらいに小さくて華奢な大佐か…。ぶわははっ! 自分で書いておいてなんですが、笑わずにはいられません!
シチューの行方とか酒の行方とか、ハボさんたちが大佐の家に行くと立つ『あらぬ噂』とか、大佐がどーいう風に危険なのかなど、色々気になる部分はありますが、ここはちょっといい話で収めておくコトにします。
下手につっこむと墓穴掘るしなー。

自分に言い訳をしながらも大佐を心配しているエドと、何だかんだと言いつつエドを助けている大佐ってコトで、ラブラブな展開だと言ってよいかと思うのですが、皆様の判定や如何に?