予感はあった。認めたくはないが、とどのつまり、同じ穴の狢って事なんだろうと思う。
気に入らないけれど。心の底から、とにかく絶対気に入らないけれど。 【 TRAIN−TRAIN 】
ウィンリィお手製のアップルパイを食べた後、腹ごなしだと言い訳しながら宿を出た。 のぼせ上がった頭を冷やしたくて独りになったが、当てもなくぶらぶらと街中を歩いていると、却って色々な事が一度に押し寄せてきて、ドロドロとした感情の澱の始末に手を焼いた。吹っ切るように頭を振ってみても、あまり効果はない。自分でもバカみたいな事をやっていると思う。 「あんのクソ大佐。本気で殴りやがって…」 無意識に向いた足の先は、非常線と警備兵で区切られていた。その場は、未だに炭化した死体から上がる熱気が篭っているようで、エドは苦々しく顔を歪める。 肉の焦げる匂いと立ち上る陽炎の先にいたヤツは、まるで悪魔のように見えた。無表情で無機質な黒い瞳は、それこそ闇のようだった。 でも、とエドはそこで混乱する。その光景に一瞬で頭に血が上ったその時は気がつかなかったが、幾らか落ち着いた今では、その時抱いた感情が腑に落ちなかった。ヤツの事を悪魔のようだと思った。でも怖いとは感じなかった。 「……ワケ分かんねえ」 そう感じる事の何が疑問なのか、何に戸惑っているのか自分でも把握出来なくて、エドは一言ぼやいて、その場に背を向け歩き出した。とにかく一度きちんと頭を冷やしたい。考える事も、整理しなければならない感情も山ほどあった。 混乱の極みにあるエドが選んだ場所は、静かな佇まいを見せる図書館だった。書物に囲まれて安らぎを得ようと考えたのかもしれないと、大きな扉の前に立って自嘲する。薄暮を迎えたどっしりとした建物は、そっと中に入ってみると、通りの喧騒とはうって変わって静寂が支配していた。 そういやここで、弟と一緒にマルコーさんのノートの解読をしたんだっけとぼんやりと思い出す。遥か遠い昔の出来事のように感じた。その時側に居た人が、今は何処にも存在しないのだという事実に、涙を流す代わりに苦笑を漏らす。その分、胸が痛かった。 錬金術関係の本は別室にあった。迷路の装いを見せている本棚の間を、回り道をしながらゆっくり其処へと向かう。所々に熱心に本を選んでいる人が垣間見えて、少しだけ心が軽くなった気がした。 錬金術の本があるとは言っても、別に国家錬金術師専用という訳ではない。一般の書店に並んでいるような入門書や、ちょっと怪しい益体もない本が並んでいるだけだ。でも今はそれで十分だった。頭を冷やすには初心に戻るのが一番だと、適当な理由をつけて扉を開く。 予感はあった。結局、錬金術師なんて、同じような事を考えるのだろう。 そいつは、いつもと同じしかめ面をして其処に居た。人の気配に顔を上げたが、こちらの姿を見ても眉ひとつ動かさない。ほんの少し目を合わせたと思ったら、興味なさげにまた本へと視線を落とした。 あからさまに無視されても、どういう訳かあまり腹が立たなかった。いつもだったら胸倉掴んで罵声のひとつも飛ばしている所だ。どうして冷静でいられるのか、自分でも分からない。 ただ、怒りだけは依然燻っていた。ヤツに対してでもあり、自身に向けられたものでもある御しがたい感情。それは身体全体に澱んで熱を持っているのに、開いた口から出た言葉はひやりとした響きを帯びていた。 「 ─ マスタング大佐」 子供の口から漏れたとは思えない、氷のように冷たく、ナイフのように鋭い声音にも、ロイは顔色を変える事はなかった。そのままゆっくりと顔を上げ、自分を見つめている瞳に沈黙を持って応える。一切の嘘を許さないと暗に告げている真っ直ぐな視線に、心の中で苦笑したが、それを表情には表さなかった。 怒りに任せる様子ではなかった。黙りこくったまま歩み寄り、自分の前に立つ子供の姿は、東部で別れた頃よりも少しばかり大人びた色を見せている。だが、たったひとつの言葉で弾け飛びそうな危うさも、また混在していた。 「何か、オレに言う事は?」 睨みつけたまま、エドはおもむろに口を開いた。遠回しな物言いなどするつもりはない。この男に搦め手など通用しない事は知っている。 「 ─ 何も」 目の前の男は、ただ一言だけそう告げた。穏やかに微笑んでさえ見せて。その黒い瞳は、いっそ見事な位に何の感情も映さないでいた。 「何も言う事はないってのかよ」 「起こった事が全てだ。私の口から君に伝えるべき事は、何ひとつない」 平然と言いきる口調に、エドはしばし茫然とした。かろうじて押し込めていた怒りが溢れ出しそうなのを感じる。やっぱりこいつは気に食わない。とにかくただただムカつく男だ。 激昂したまま、罵ろうとした。したのだが。 そいつが突然大あくびをした事で、一瞬にして毒気を抜かれてしまった。その後首を傾げながら、顔をしかめて言い放った言葉に、さっきとは違う意味で茫然とする。 「 ─ 何だか君を見ていると眠くなるな」 「はあ?」 「ちょっと肩を貸せ。鋼の」 「 ─ って、おい! マスタング大佐!?」 さっきまでの毅然とした態度は何処へ行ったのか、眠気を懸命に堪えている表情と、ひたすらだるそうな声でそれだけ告げて、ロイは遠慮なしにどさりと身体を預けてきた。いきなり大の男の全体重を支える羽目に陥って、エドは怒るのを忘れて狼狽した声を上げる。 「ちょ、ちょっと大佐! オレあんたの事怒ってるんだぞ! すっげー怒ってるんだからな!」 「分かってる分かってる」 「あんたもヒューズ中佐の件とかで、オレに怒る事があるだろ?」 「あー、怒ってる怒ってる」 「てめえ人の話を聞いているのか!?」 「聞いているから耳元で喚くな。煩い」 勝手に寄りかかってきて、偉そうに文句を言う不機嫌そうな姿に、エドはあいた口が塞がらなかった、こいつは一体何を考えているんだ? 「でけー図体して重いんだよ! 大佐は!」 「私がでかいのではなくて、君が小さいだけだ」 「ちっさい言うなこのデブ!」 大声で喚くと、それに合わせて大きなあくびが漏れるのを耳にした。れっきとした大人の、あまりにもだらけた態度にどう反応していいのか分からなくて、ひどく途方に暮れてしまう。 ─ と、耳元で規則正しい息遣いがしているのに気がついた。それが健やかな寝息だという事に気づくには、もう少し時間がかかった。 「 ……嘘だろ…?」 自分よりも遥かに小さい肩に頭を預け、熟睡モードに入った男を抱えて、エドは茫然とするより他にするべき事を思いつけなかった。 規則正しいノックの音の後に扉が開いた。隙間から顔を覗かせた人物は、中の様子に目を見開き、それからすまなそうに微笑した。 「ホークアイ中尉。このトド何とかしてくれ」 その場には、うんざりとした表情で床に座り込んでいる鋼の錬金術師と、その膝枕で惰眠を貪っている上司の姿があった。 「えーと。……ご苦労様」 「ホントにご苦労させられてるよ」 苦笑する中尉に、ムスっとしたままエドは答えた。このトドは、さっきから一向に目を覚ます様子を見せない。こんな無防備なヤツが、どうして大佐なんて地位についているのか理解出来ないと、腹立ち紛れに呟いてみる。それを聞いていた彼女が微かに微笑んだのに、エドは気づかなかった。 「お疲れになっているのよ。色々とね」 「それは分かってる」 取り繕うような言葉に、エドはへの字に口を結んで答えた。忌々しげに膝の上の頭を見下ろし、それからチラリとホークアイ中尉の方へ視線を走らす。 「大佐がオレに何も言わない事は分かっている。 ─ だから中尉も何も言わないだろうって事も知っている」 その言葉に対し、沈黙して微笑する事で肯定する様子に、エドはひとつ息を吐いた。 「まあいいさ。オレだってこいつに言わない事なんて幾らでもあるしお互い様だ。それに ─ 」 そこで一旦言葉を切って、幸せそうな寝顔を見下ろしながらにやりと笑った。 「オレに嘘ついていやがったら、心ゆくまでボコればいいだけの話だし」 子供らしく楽しそうな笑顔を見せながらの物騒な言葉に、ホークアイ中尉は密かにため息を漏らした。 「とにかく大佐には起きて貰いましょう」 「起きるかな? さっきから微動だにしないで寝てるぞ」 「起きるわよ」 微笑みながら中尉がそう言った途端に、トドが ─ もとい、ロイがむくりと頭を上げた。見事な変わり身に、さっきから目を覚ましていたのではと疑ったが、すました中尉の表情に、それはないと確信した。軍人ってのは、良く分からない特技を持っているのかもしれない。まあ、ただ単に彼女に手綱を握られているってのが正解な気がするが。 「大佐。お迎えに上がりました」 「ああ、ありがとう」 小さなあくびをしながら応えて、そいつは間抜けな面でこちらに目を向けた。そして、これみよがしなため息を吐きつつ一言。 「鋼のはもう少し肉をつけた方がいいな。少々寝心地が悪いぞ」 「オレはてめーの枕じゃねえぞ! クソ大佐!」 ついでにふくよかな胸も欲しいものだと、何かを間違えたボケた物言いに、エドの鉄拳制裁の影に隠れて、すました表情のままで中尉の拳も飛んで来た。寝起きに浴びせられた容赦のない仕打ちにムっとしている姿は、ナリだけデカい子供のようだったが、立ち上がった時には、既に軍人の表情に戻っていた。未だ座り込みながら見上げてくる子供を一瞥し、捉え所のない表情を見せてから、黙って背を向ける。 「マスタング大佐」 先にホークアイ中尉の姿が消えたドアから、外へと足を踏み出す寸前に、背後から呼びかける声がした。振り向くと、立ち上がってじっとこちらを見詰めている子供と目が合った。いつもはバカ正直に胸の内を映す金の瞳が、その時だけは実に複雑な色を帯びていて、妙に感慨深い気分にさせられる。 と、彼の左手が糾弾するように、真っ直ぐこちらに向けられた。言葉通り後ろ指でも差したつもりなのかと思ったが、よくよく見ると、自分を指差している訳ではなかった。左手の中に見えない銃があるかのように握りしめ、その銃口を向けている。 そうと分かったロイが、あっけに取られた表情を浮かべたのを見やって、エドは口をへの字に曲げたまま、声に出さない音を発した。見えない銃から響く銃声。それと同時に、空を掴んでいた人差し指が、引き金を絞る。 「……ガキ」 「ほざいてろジジイ」 ピタリと狙いを定められて、ものの見事に撃ち抜かれた男は、あきれた表情をひっこめると、いつものいけ好かない笑みを浮かべてみせた。それに呼応して、エドもにやりと笑う。 ロイは、今度は振り返る事なく部屋を後にし、エドも黙ってそれを眺めていた。 「 ─ どっちがガキだよ」 独り残されたエドは、ほっと息をついた。自分も頑固なのには自信があるが、あの男も相当な頑固者だ。大人気ないにもほどがあると思う。 ヤツが眺めていた本を手に取ってみた。初歩も初歩、小さな子供が絵本代わりにするような入門書だ。腐っても大佐クラスの国家錬金術師が、わざわざ閲覧するようなものではない。 「…バーカ」 一言呟いて本を書棚に収めると、エドもその場を後にした。 考える事は山ほどある。整理しなければならない感情はもっとある。でもまあ ─ 。 「いざとなったら大佐をボコってすっきりさせるか」 かなり自分勝手な結論だと思いつつ、自分勝手なのもお互い様だと、エドは日が落ちた雑踏の中を、弟たちの元へと歩き出した。 了 (2004.10.17)
※ コミックスが出たので ネタばれ部分を後書きから削除しました。 汽車なんか何処にも出て来なくても、題名は『TRAIN−TRAIN』 というコトで、THE BLUE HEARTSの同名の曲を聴きながら作ったお話でした。つい最近、思い立ってベスト版を買ったものでついつい。 ネタ自体は前から漠然と持っていたのですが、この曲が妙に合うなーと思いまして、ちょっくらイメージ作りに使わせて貰いました。聴けば聴くほどエドロイっぽいっちゅーか、青春真っ只中で突っ走るって感じがエド兄を彷彿させるというかー。 せっかく題を借りたので、見えない銃を持たせてみたり。エドは大佐に本当の声を聞かせてほしいそうですよ?(ワケ分からんという方は、どこかで曲を聴いてみよう) エドを見ると眠くなって爆睡しちゃう大佐ってコトで、ロイエドというよりはエドロイ。大佐も結構煮つまっていたんですねえ。知らなかったよ(自分で書いておいてあんた…) 同じ行動を取っちゃう辺りが類友。ホント仲がいいコト。それにしても鋼な世界にトドはいるのかしらん。 しかし私、相手に気を許して寝るってパターン好きだなあ。いかにしばたが寝るのが好きかがバレバレな、微笑ましいエピソードです(微笑ましいか?) |