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【 天使の分け前 】



 退屈だ。とにもかくにも退屈だ。
「退屈だー」
 思わず口に出してじたばたと、己の元気さを主張してみるが、隣のベッドのフュリー曹長にたしなめられ、白衣の天使にはクスリと忍び笑いを漏らされた。
「指が飛ばなかっただけマシだったんですよ、ハボック少尉」
 側に居て煽りを食らった曹長に、噛んで含めるように諭される。それもそうだと気を取り直し、鬼の居ぬ間の命の洗濯だと、前向きに捉えてみる事にする。
 ふとした拍子に、銃が暴発した時の、ちっこいのがこちらに向けた目を思い出す事がある。
 そうなるとは思わなかったと訴える無防備な驚きと、全てを納得し、それでも澱を呑み込んだ苦渋を覗かせた、子供なんだか大人なんだか分からない色をしていた。あちらの方がよっぽど痛そうだったと、今でも思う。
 子供には子供の言い分があるし、大人には大人の都合がある。両者が近づく事はあっても、決して相容れる事はない。
 ………だめだ。シリアスを演じてみようと思ったけれども、もう息切れだ。
 退屈だなどと喚いていたせいだろうか、神様にバチを当てられたらしい。不意に扉が開かれて、覗いた姿に息を飲む。
「元気そうで何よりだな」
「マスタング大佐。帰っていらしてたんですか」
 フュリー曹長が驚いた声を上げる背後で、げっ…と言いかけたのを抑え込んだ。扉の前の相手は、このての反応を見逃す事はない。ことさら爽やかに、自分に笑顔が向けられる。
「戻ったその足で見舞いに来たのだが、約一名迷惑だったのがいるようだな」
 いつも通りの皮肉げな笑みを乗せて、嫌味ったらしくマスタング大佐の棘だらけの言葉が飛んでくる。こちらは人間なのだから、ちょっとは手加減して欲しいと願いつつ、慌てて首をぶんぶんと振り回して否定してみせた。
 後ろから、これまたにやにやとブレダ少尉とファルマン准尉、それにため息をついているホークアイ中尉が控えているのが見えた。成り行きを面白そうに見つめている約二名には、少しはこっちの身になって欲しいものだと切に思う。
 おっとそういや今回は、この人に借しを作った事を思い出したぞ。
「大佐、聞きましたよー。役に立ったそうっすね、アレ」
「何の事だ?」
「またまたトボけちゃって」
 本気で首を傾げている怪物…じゃなかった大佐に、ここぞとばかりにたたみかける。この機を逃したら、強気に出られる日なんてもう来ないかもしれない。
「ほら、オレから取り上げ…、もとい、オレが大佐に差し上げたマッチ。あれがお役に立ったと聞いておりますが?」
「……あー」
 薄情者はようやっと思い出したのか、はるか遠い記憶をたぐり寄せているように眉間を顰め、それからひとつ唸った。
「上官を思う部下の愛ですよ、『 愛 』 健気な話だと思いませんか?」
「健気…」
 うんざりとした表情の大佐に呆れた顔の面々。多少白けた空気が流れているが、そんなものに構うつもりはない。
「こんな健気で可愛い部下にはお礼をしたいと思いませんか?」
「…可愛い…部下…?」
 ますますうんざりとした色を見せる相手に反論の隙を与えずに、今一番の要求をつきつけてみた。この場じゃマズいのだが、非常事態って事で許してもらおう。
「タバコが吸いたいなー、なーんて思ってるんスがー」
 病院だったのだ。片手が利かないのだ。故に誰かの手を借りないとタバコが吸えないのだ。
 ヘビースモーカーなつもりはないが、好きな時に好きな場所で吸えないのはちょっとつらい。第一、タバコとマッチは取り上げられたままだし。
「…なるほど」
 その時大佐が、一瞬目を輝かせたのに気がつかなかったのは迂闊だった。こちらの要求を黙って聞いていたと思ったら、急に愛想良い笑顔を見せる。そしてこちらに近づいて、胸ポケットから大事な愛煙セットを取り出した。
「これの事だな?」
「…大佐、まさか戻ってくるまで着替えてないってオチはないですよね?」
「お前と一緒にするな!」
 ポケットに入れっぱなしにしていたのではと、ついつい素直な疑問が口をついてしまったおかげで、大佐と共に何故かホークアイ中尉の拳まで貰う羽目になった。二方向からこづかれて頭をさする。
 大佐はこれみよがしにタバコの箱を振り回すと、中から一本抜き出して、マッチではなく己の焔で火をつけた。咥えさせてくれるのかとワクワクして待っていたら、このお優しい上官がそんな事をするわけがなく、病室の中に病人がいるというのに、自分が咥えて美味そうに煙を吐いてみせた。無情な態度に思わず叫び声が上がる。
「鬼! 悪魔!」
「いやいや、天使と言ってもらいたいね」
 臆面もなく言ってのけて、にやりと笑った顔に寒気がした。この人がこんな笑みを見せる時は、決まってロクでもない事が起きると相場が決まっている。
「天使の分け前だ」
 その言葉が終わるか終わらないかの内に、喚いていた顎を掴まれ ─ 。
 ああ、その後の事は語りたくない。思ったより大佐の唇は柔らかかっただの、これじゃ女が陥ちるのもムリはないと実感してしまっただの、やっぱり他人の吸った煙はまずかったなんてーっ!
 それから後は良く覚えていない。
 優しくも慈悲深い上官は、茫然とした自分の口に件のタバコを咥えさせてくれたらしいが、それはポトリと落ちて、フュリー曹長がてんやわんやで始末したそうだ。
 覚えているのは、大佐の腹の底から響く楽しそうな高笑いと、頭を抱えている中尉の姿。そして。
「えーと。……事故に遭ったと思えばいいかと…」
「飼い主に手を咬まれたと思って忘れろ、な」
「どんな心の傷も時が癒してくれますよ」
 身に染みる、同僚の無責任な心遣いだった。
 あれは夢だ。夢だったんだ。………そう思わないでやってられっかーっ!
 病院所属の本物の天使に慰めてもらえれば救われると、根拠もないがそう思う事で、何とか自制心を取り戻した。

 頼みの白衣の天使であるが、彼女は悪魔の尻尾を生やした自称天使にかっ攫われる運命にある事を、その場の全員が知っていた。 ─ ハボック少尉以外は。



了 (2004.09.18)

当サイトはハボック総受けサイトです。
…と、そろそろ宣伝してもいいんじゃないかと思われる今日この頃。相も変わらずハボックさんは可哀想な役回りです。何故だー? 彼に関しては、一人称の方がやりやすいのも謎。
たまにはアニメネタで愛のマッチ編。世界の中心でエドへの愛を叫ぶアニメの大佐も、私が書けばオヤジ一直線です。この後、大総統の下に出頭したり、部下たちの前で熱く胸の内を語ったりするのかと思うと大笑い。
しかし、エドに奪われ大佐に奪われで、ハボックさんは大変ですな。次はアル?
題名は、初めは『受動喫煙2』という捻りも何もないものでしたが、頭の中の大佐が、自分は天使だと言い出したので急遽今の題へ。ずうずうしいにもほどがあるのう。しばたの脳内大佐は。
ハボックさんがセントラルに帰ってしまわなければ、兄弟の前でこれをやってみせて、エドに『えげつねーオヤジ』と言わせたかったです。残念無念。