「ふむ」 後部座席から、ひとつ唸る声が聞こえた。その中に微かな感嘆が含まれているのが分かり、ハンドルを握ったまま視線の先を辿ってみる。 そこには子供たちの姿があった。いつものように兄弟揃って何事か話している。金の瞳の少年が見せる笑顔は、いかつい二つ名を忘れてしまいそうなほど屈託がない。自分にはそう見えたのだが。 「顔つきが変わったな」 そう呟いた時に彼の人が見せた寂しげな、それ以上に誇らしそうな笑顔が、今も心に残っている。 【 あるこう 】
てくてくと、歩く。いつも通りに無言のまま、いつもよりゆっくりとしたスピードで、ただ歩く。 「……なーんで降りろって言った張本人が歩いてるんだよ。マスタング大佐」 沈黙を破って、エドがおもむろに口を開いた。傍らの男は、問われても視線を落とそうとせず、真っ直ぐ前を見据えて歩みを進めている。 「ここの所、狭い場所にいたせいか歩きたくなった。 ─ 君こそあのまま車に乗っていれば良かったものを」 「今にもぶっ倒れそうな怪我人を一人で歩かせるワケにはいかねえだろうが。わざわざ付き合ってやってんだ。感謝しろ」 「それはそれは、お優しい事で」 投げやりに言い放ち、未だこちらに目を向けようとしない男の顔を、エドはちらりと盗み見た。 感情の窺えない仏頂面は普段と変わらなかったが、いつもより明らかに遅い歩みと時おり微かに乱れる息が、やけに気に障った。退院が出来るような身体ではないらしいと、弟が心配そうに話していたのを思い出す。 「 ─ 本当は」 「ん?」 「大嘘つきのクソオヤジに会ったら張り倒す予定だったんだけど。こうボロボロだと延期だな」 「もしかして、大嘘つきのクソオヤジとは私の事かね? 鋼の」 「もしかしなくてもあんたの事だ。マスタング大佐」 あきれた顔で、初めてこちらに目を向けた男に、エドはにっと満面の笑みをみせた。目を眇めてそれを眺めていたロイは、やれやれと肩をすくめる。 「 『 延期 』 ではなく 『 中止 』 してもらえるとありがたいがね」 「ダメだ。いたいけな子供を騙した罪は重いぜ」 「いたいけな、ねえ…」 「何か文句でもあるのか?」 「いやいや、滅相もない」 金の瞳でぎろりと睨まれ、ロイはわざとらしく全身で否定してみせる。ふざけた態度にエドはムッと顔をしかめ ─ 不意に目を逸らすと、ぼそりと呟いた。 「だから、さっさと治せよな」 怒ったような声でそう告げる、頬に微かな赤みを帯びた横顔を、ロイは思わず凝視した。実は心配されているのだろうか? 嬉しく思うべきだろうと考える反面、薄気味悪く感じるのも偽らざる心境だった。殊勝な態度に出られると、却って調子が狂う。 「そういや大佐。ハボック少尉に怒鳴られたんだって?」 「………誰から聞いた?」 「それはちょっと言えないなー」 珍しく動揺を露にして声を潜めて問い質す男に、エドは爽やかな笑みを向けた。先ほどまでの表情に乏しいさまと打って変わって、眉を顰めたしかめ面になったのを、いい気分で眺める。 「大方、泣きそうなツラして少尉に我が侭言ったんだろう。ガキじゃないんだから駄々こねて部下を困らせんなよな」 「むう」 バツが悪そうな表情で、わざとらしく視線を逸らす姿に新たな笑いを誘われながら、エドは小さな子供をたしなめるように、すました顔で口を開いた。 「あんたはお山の大将なんだからさ。もっとでんと構えていろよ。面倒くさがりのワリには何にでも顔を突っ込まねえと気が済まないんだもんな。意外に貧乏性だな」 「貧乏性……」 「あんたのそういう所は嫌いじゃねえけどさ。司令官が潰れちまったら、部下の苦労は全部水の泡になるだろうが」 したり顔でそう言って、まじまじと向けられた黒い瞳に、エドはにやりと笑ってみせた。 「あんたは上で威張ってろ。その代わり、何があろうと生き抜いて部下の働きを無駄にするな。自分の部下を信じろよ。それがあんたの仕事だろ?」 歩みを止めてその顔を凝視していたロイは、突然大きなため息を吐くと、がっくり肩を落とした。意気消沈した態度に、エドは小首を傾げる。 「オレ、ヘンな事を言ったか?」 「いや、そうではなくてね」 「だったら何だよ」 「………ガキに正論を説教されると、これほど骨身にこたえるとは知らなかったなーと…」 うなだれて深々と息をつく男を、エドはあ然として見上げた。なんつー失礼な言い草だと喚きたてるのを黙って見ていたロイは、突然目の前の金色の頭を捕まえるとてっぺんに顎を乗せ、小さな身体におぶさるように身体を預けた。 「おお、これは楽だ」 「この、てめ! 何の真似だよ!」 「少々傷口が痛んできたのでね。手助けをして貰おうかと」 「だーから大人しく車に乗ってりゃ良かったんだよ! このマヌケ!」 「まあそう云うな。怪我人はいたわりたまえよ」 のほほんとした声を上げ、背後霊のごとく取り憑いて離れない男を抱えたまま、エドは渋々歩き始めた。重い、歩きづらい、鬱陶しいと盛大に怒鳴る声を、ロイは涼しい顔で聞き流す。それから何とも奇妙な表情で小さな子供に目をやると、不意に苦笑いを浮かべた。 「……そろそろ子供扱い出来なくなるかな」 「あー?」 「何でもない。独り言だ」 「喋る元気があるなら一人で歩けよ。てめえホントに重いんだぞ。万が一背が縮んじまったらどうするんだよ」 言った途端に頭の上で吹き出して、肩を震わせ笑う男の向こう脛を、エドは思いきり蹴りつけた。 「仲がいいわね」 「ホント、仲良しさんですねえ」 のろい歩みの後を追いかけている車の中で、ホークアイ中尉とアルは、しみじみと息をついた。 ─ と、中尉がぽつりと呟く。 「………ちょっと妬けるわね」 「え?」 身を乗り出して覗き込んできた大きな鎧に、彼女は楽しそうに微笑んだ。 てくてくと、歩く。いつも通りに無言のまま、いつもよりゆっくりとしたスピードで、ただ歩く。 ─ 二人で。 了 (2005.10.23)
10月のイベントでバラまいた無料配布本SS。うっかり貰ってしまった方々、その節はありがとうございます。 11巻でのエドと大佐の再会ネタ。故郷でパパと再会したり、己の最大の傷と向き合ったりしてちょっと大人になったエドと、ハボさんに怒られちゃったりして意外な若さを垣間見せた大佐が、ただ一緒に歩く『だけ』のお話。 事件どころか萌えすらないという、ホントに地味ーな話なのですが、こーいう原作のすき間を埋める話が大好きで大好きで…っ! 隙間職人と呼んで下さい。 書くひとはとっても楽しんで書いているのですが、読むひとは肩すかし食らってガッカリしているかもなあとか思うです。萌えも少なすぎるしねえ。 でもまあ、カップリング物全盛な昨今、こーいうのはワリと稀少かもしれないと、自分を慰めたりして。 |