97年2月にベトナムに行ったときのレポートです。
ベトナム戦争に関係の深いところを中心に書いてみました。
1975年4月30日、解放軍の戦車がこの門に突入。
10年以上続いたベトナム戦争は終結した。
現在は、統一会堂という名前に変更され公開されている。
英語の話せる公務員(アオザイという衣装を着た女性)が無料で案内してくれる。
ベトナム戦争を一言で説明するのは難しい。また、人によってこれほど判断の別れる戦争も珍しいだろう。私の私見は「ベトナムへの道」に書いたが、あくまでも私見なので参考程度にして欲しい。
ベトナム戦争中に建築され、強固な要塞と言われたアメリカ大使館。
テト攻勢と呼ばれる北ベトナム軍反撃のときに攻撃され占拠された。現在も、荒れ果てた当時の姿のまま放置されており、内部には入れない。意図的にさらしものにされているようでもある。
ベトナム戦争の象徴とも言える軍用ヘリコプターの残骸。
主としてジャングルでの戦闘に使用された。
戦争終結時は、アメリカ大使館から海上の艦船へ脱出する南側の人々を運ぶために使用され、最後には空母の上に留め置く場所もなくなり海上に投棄された。まさに消費されんがために投入された兵器のようだ。
戦争当時、戦闘は南北ベトナムの境界線上でのみ行われたわけではなく、南ベトナム領内に潜む北側ゲリラが幾度となくサイゴンに攻撃をかけた。アメリカ大使館が爆破されたこともあり、2番目の写真のアメリカ大使館は爆破後に作られたものである。そのような北側ゲリラが潜んでいたトンネルのひとつがこれ。
内部は、私(身長171センチ)がやっと通れるくらいの狭さで、米兵の多くは通れなかったと思われる。私も実際何百メートルもあるトンネルを座った姿勢で歩いたが腰が何日も痛かった。閉所恐怖症の人はおそらく入れまい。彼らはずっとこのトンネルに潜んでいたわけではなく、敵がやって来たときだけ、このようなトンネルを使って防御や攻撃を行った。トンネルの入口には部屋があり、そこが生活の場になっていた。全体は蟻の巣のような構造になっている。
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