愛想人の世界


▼▲▼ 春望 ▲▼▲

 
唐時代の詩聖・杜甫が、戦乱に疲弊し荒れ果てた都の姿を、
 
深い慨嘆をこめて、刻み込んで詠んだ、五言律詩・「春望」
 

<<<・・・ 味わうほど共感深く人を魅了する、詩聖・杜甫の名詩「春望」・・・ >>>

春望

国破山河在 

城春草木深 

感時花潅涙 

恨別鳥驚心 

烽火連三月 

家書抵萬金 

白頭掻更短 

渾欲不勝簪 

 

杜甫

 

 

国破れて山河在り 

城春にして草木深し 

時に感じては花にも涙を潅ぎ 

別れを恨んで鳥にも心を驚かす 

烽火 三月に連なり 

家書 万金に抵る 

白頭掻けば更に短く 

渾て簪に勝えざらんと欲す 

 

 

国が破れても山河の自然はもとのままだ

荒れはてた街に春が来て、草や木が深々と生い茂る

この非常の時を思えば花を見ても涙がこぼれ

離散の悲しみに鳥の声さえ心を傷ませる

戦争は長引いて

家からの手紙は万金に値する

心労に白くなった髪を掻けば、また短くなっていく

まるで簪もとまらなくなりそうだ

 

 

長安の都は戦に破壊されたが、山と河に変わるところは何もない

その都に春が巡り来て、草も木もみずみずしく生い茂っている

騒乱の時世に心が痛み、美しく咲く花を見れば涙があふれて

親しい人との死別を嘆くたび、鳥の声にも胸騒ぎを覚えてしまう

戦いののろし火は、三ヶ月を経た今も止まず

家族からの手紙は、万金に値するほど懐かしい

白くなった頭を掻くと、髪はすっかり短くなっており

役人時代に冠を留めたかんざしの留め針さえ刺せなくなろうとしている

 

 

杜甫と「春望」

杜甫(712〜770)が活躍した頃、中国は唐の玄宗皇帝と楊貴妃の時代。

宮廷では詩や芸能がもてはやされ、詩人の祖父を持つ杜甫も若くから読書と詩作に励んだとされています。

その後、官職への登竜門である進氏の試験に落ちた杜甫は、失意のまま放浪の旅へ。

その先で、後の大詩人・李白と知り合ったことが大きな発奮材料となりました。

やがて宮廷で自作の詩が認められるようになった頃、杜甫はすでに40歳過ぎ。

ようやく官位を得て、朝廷に出仕できるようになりました。

ところが755年、安禄山の乱が勃発。

侵攻を受けた玄宗皇帝は皇位を息子の粛宗に譲り、長安の都を捨てて敗走します。

このとき杜甫は新皇帝のもとに駆けつけようとし、敵陣によって捕縛。

囚われの身となった杜甫は、戦乱が続く厳しい冬がほっと緩むように春めいてきたある日、許しを得て近くの丘へと出向きます。

そこで杜甫が目にしたのは、戦いに破損した都の悲惨さと、生き生きとした春の緑に輝く山河のあまりに対照的な眺め。

後世に残る名漢文詩は、こうして創りだされました。

現世の哀惜と人の情の機微をうたった詩聖・杜甫の代表作「春望」。

遠く大らかな風にも似た郷愁が、胸にしんしんと響きます。