>主の御名を賛美いたします。
「燃える炭火」という言葉は、さばきを連想させます。旧約でもいくつかの個所で 実際、さばきやきよめをあらわすために使われています。
そこで、敵に善を行うことは、彼に、言い訳できない罪の宣告を言い渡すことと解釈され、 神のさばきの火が頭上に積み上げられている、と解説されています。 もうひとつは、炭火がつぼの中の金属を溶かすように、愛の行為が彼のこころを 溶かし、悔い改めに導く、という解釈です。 エジプトでは、悔い改めの印に頭に炭火を載せる儀式があるとも、聖書ガイドブックに 書かれています。
前者の解釈では、敵がさばかれるために善を行うというようなことになり、「敵を愛せ」 という教えを、偽善的なものにしてしまいます。
私としては、悔い改めることを願いつつ、敵に善を行うという方が真実であり、それこそ 悪に打ち勝つ手段であるという、後者の解釈の方がより良いと思います。
Luke
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