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JEMさんより
●赦しと謝罪について
赦すとは…被害者が受けた苦痛に対する怨恨を乗り越え、
怨念を払拭して、その暗闇から(思いこみの冤罪も含めて)
抜け出し開放されること。 又それは、相手(加害者)の
謝罪、贖罪の有るなしに関わらず,被害者の一方的な意思で
可能なことである。故に絶対的な行為である。
謝罪とは…直接の加害者あるいは、或いはその縁故有る者
も含めて、その被害者(その後継者も含めて)から受け入
れられて成立する、相対的な行為である。
以上の様に定義できると思いますが、
聖書からは、サタンに束縛された怨念、怨嗟は,自らを無に
して、全てを主に委ねるとき闇から開放され、平安を得ると
教えられます。併しながら、その絶対的権威、主なる神を知
らず、受け入れず、従わない者より受ける謝罪要求、贖罪は
どの様に報いるべきでしょうか? 相手が受容れてくれな
ければ七度の七十倍?永遠に謝罪し続けるべきでしょうか?
腹を切って死ね!と要求されれば,そうするべきでしょうか?
ひたすら、“全ての営みには時がある”とのみことばに従い、
《御心ならば、怨念(冤罪の場合は、妄想)に囚わ
れた被害者の頑な心を打ち毀し、主に経ち帰り、
和解と平安を、お与え下さい。 しかし、わたしの
願うようにではなく、あなたの御心のままになさって
ください。Amen ! 》 と祈り、ひたすら 待ち望む のみ
でしょうか。??
愛する兄弟姉妹!どうぞ下僕の信仰の成長と励ましにご加祷
ください。 GOD Bless You ! 主に在りて JEM
Luke
お返事遅れて申し訳在りません。
非常に難しい問題なので私も悩んでいます。
確かに神の赦しは一方的で絶対ですね。しかし人間同士が和解する
ことを神は望んでおられます。
「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟
に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇
の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りを
しなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」
マタイ5:23、24
しかし人はそう簡単に人を赦せないものです。ですから
謝罪や復讐を要求するのでしょう。
まず、私たちと神様との間で考えると、神様は真に悔い改めた
者を赦されるお方ですから、何よりもイエスキリストがその罪
の刑罰をすでに受けて下さったのですから、神様は信仰以外は
要求しません。それで私たちは神との間の平安は持っているの
です。
それでは人が私たちを赦してくれないときはどうすべきか、ですね。
その人が赦してくれるまで誠意を持って接することしかないのでは
ないでしょうか。それでもその気持ちが伝わらなければ、それはもう
その人自身の問題です。人を赦さないのも罪です。その人が神様に
問われることになります。その線をどこで引きかはケースバイケース
でしょう。その人のために祈りましょう。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦して
くださいます。
しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦
しになりません。」
マタイ6:14、15
「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して
罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょう
か。」
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を
七十倍するまでと言います。」
マタイ18:21、22