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右近研究こぼれ話 その3

久保田典彦

山右近の茶

“山右近の茶” について考える時、大事なことは、順序をまちがってはいけない、ということである。
 
右近にとって、「信仰」と「茶の湯」は、どちらが先だったのかというと、もちろん「信仰」の方である。12歳(彦五郎)の時に、洗礼を受けている。 まず「信仰」がきちんとベースにあって、その後、学んでいった「茶の湯」が、右近の中で重ねられていったのである。茶の湯に信仰を重ねていったのではない。

  わかりやすく言うと、たとえば「茶室」は、右近にとっては、お茶のために使った以上に、まずは「祈祷室」だったわけである。
 ジョアン・ロドリゲスが、右近が常々語っていたことばを伝えている。(「日本教会史」)「デウス(神)と交わるために、茶室に一つの聖像を置いて、そこに閉じこもったものだが、そこでは、デウスと交わるために、落ち着いて、静まることが出来る。」

 又、次の右近のことばも伝えている。
「この道(茶の湯の道)に身を投じて、その目的を真実に貫く者には、数寄(すき・茶の湯)の心が、(キリスト教の)徳育(神への信・望・愛の徳を深めること)と修養のために、大いに助けになる。」

  右近にとって、「信仰」が「お茶」を深め、「お茶」が「信仰」を深めていく ━━ という、しあわせな関係にあった、と言えると思います。
  そして、このことは、茶の湯の師である千利休が、これまでの茶の湯ではない、新たにスタートしていく利休の「わび茶」に、少なからず協力していくことが出来たのでした。

フロイスさん ありがとう!

ルイス・フロイス著の「日本史」を、ていねいに読了しないで、キリシタンのことを、わ かったように語るなかれ!
※(完訳:松田毅一・川崎桃太 / 中公文庫・全12巻)

ルイス・フロイス宣教師が、十数ヵ年、精魂を傾けて執筆した「日本史」(Historia de Iapam)ですが、実際、どれだけの人々に読まれ、用いられていったのでしょうか?

フロイスが書き記した原本は、上長の巡察師ヴァリニャーノから「短いものにまとめるように」と言われ、ローマのイエズス会総長宛には送られないまま、マカオのイエズス会学院内の書庫で埋もれたままになってしまいます。
フロイスは、1597年に長崎で召天しますが、18世紀(1720年頃)になって、ポルトガル 政府の方針で、海外の同国関係文書が謄写されまとめられていった時に、写本が作られますが、原本そのものは、1835年の学院の火災で、他の文書と共に、地上から姿を消してしまったのです。
何とか残された写本も、分割されて、いくつかの場所に分散され、20世紀になって、別々に発見されていきました。

ということは、せっかくのフロイスの労作・大作ですが、ほぼ、誰にも読まれず、用いられるということもなかったようなのです。
現代ではどうなのでしょうか。「日本史」のほとんど大部分は、ポルトガル語によってすら、活字化されてはいません。ということは、読まれてはいません。

唯一、この名著・大著が読まれているのは、現代の日本においてです。それは、松田毅一・川崎桃太の両氏が、精魂こめて、訳注付で、完訳してくださったおかげです。
ただ、これほど恵まれている現代の日本なのですが、山右近やキリシタン達に関心がある人たちであっても、さてさて、どれだけの人たちが、読了しているのでしょうか?
もったいな〜〜い!!

フロイスさん、そして松田毅一さん・川崎桃太さん、ありがとうございます!!!

細川ガラシア? 細川ガラシャ?

細川玉のキリシタンネーム(洗礼名・霊名)は、ポルトガル語では[ガラサ](Graca)、ラテン語では[グラーティア](Gratia)。(神の "恵み・恩寵"の意味)
山右近の霊名の[ジュスト](Justo)はポルトガル語ですから、玉も[ガラサ]の方だったと思われます。
私は、これまで[ガラシャ]よりも[ガラシア]の方が、ことばのひびきもやさしいので、「細川ガラシア」の呼び方で記していたのですが・・・・・
京都国立博物館で開催されている「細川家の至宝」━ 珠玉の永青文庫コレクション ━ 展に行ってきました。(2011.10.12と11.4の2回)
前後期とも「細川ガラシャ消息」として、彼女の自筆の手紙が展示されていましたが、後期の(細川忠興宛)のものを見て、やったー! と思いました。
現在、自筆の消息(手紙)は15通ほど残されていますが、それらの署名は実名の「たま」を略した「た」と記されています。しかし、後期展示の、東京国立博物館・蔵のものには「からしや」と署名されており、キリシタン名で自筆された唯一のものなのです。
今回の展覧会における、私の最大の収穫でした。これからは「細川ガラシア」ではなく、「細川ガラシャ」と記していくことにしたいと思います。

       

右近さん自身、「ユスト」とは言ってなかった!?


 “山ジュスト右近” なのか?  “山ユスト右近” なのか?

 山彦五郎が12歳の時に、大和・沢城でイルマン・ロレンソから洗礼を受けた時、授けられた“霊名”(キリシタン・ネーム)は、「ジュスト」なのでしょうか。「ユスト」なのでしょうか。

 ● ジュスト Justo  ポルトガル語で “正義”の意。
 ● ユスト  Justo / Iusto  ラテン語
但し、“正義”の意味のラテン語は、Justus / Iustus (ユーストゥス)で、「ユスト」ではありません。 Justus の省略形(奪格)が、Justo

 「ジュスト」(ポルトガル語)なのか、「ユスト」(ラテン語の省略形)なのか。

 要は、右近さん自身が、自分のことを何と呼んでおられたのか―― ということに尽きるはずですよネ。

 右近さん自身、自分のことを「ユスト」とは言っておられません。

 高槻城主時代に署名された、自筆の花押はすべて「ジュスト」です。(「重出」「寿須」「寿子」の文字を当てておられます。)

 金沢時代に、ローマのイエズス会総長にあてて書かれた手紙の署名も、ポルトガル語の「ジュスト」です。

 右近さん自身、自分のことを、「ジュスト」と言っておられたのです!
 (名前を、違って呼ぶのは、失礼なことですよネ。)

〈山右近〉 信仰ゆえに日本を追われ マニラへ

 行ってきました! 「山右近の足跡を訪ねるマニラの旅」

 山右近は、400年前、信仰ゆえに日本を追われ、信仰ゆえにマニラで大歓迎を受けましたが、厳しい追放の旅の中で、肉体的には限界に来ていたようです。マニラに到着後、40日ほどで、ひどい熱病にかかり、2週間後の1615年2月3日、静かに天に召されていきました。63歳。12歳で洗礼を受けて50年の生涯でした。

 これまで、1998年と2006年の2回、“山右近・マニラツアー”に参加しましたが、いずれも団体ツアーでしたから、自分が思うようには、時間をとってはもらえませんでした。

 今回は、初めての妻を案内するべく、夫婦二人での「山右近・マニラの旅」を計画しました。
 何しろ、単独での海外旅行は初めてのことでしたから、空港でまずどこに行って何をするのか ―ということからして、よくわかりません。旅行社「コムユニテイ」の皆さんや、何冊かのガイドブックのお世話になりました。ありがとうございます。
 十分、準備して出かけていったつもりですが、それでもいろいろハプニングがありました。でも、その都度、いろんな方々に助けていただいて、すばらしい旅となりました。

 今回の旅では、山右近さんのマニラでの歩みを、じっくりと、時間をかけてたどっていきたいと思いましたので、マニラのホテル(Palm Plaza Hotel)に、3連泊しました。
  
  ・ 一日目(4月12日)  [マニラ着]  ホテル周辺、マニラ湾海岸 散策
  ・ 二日目(13日)    イントラムロス / サンチャゴ要塞
        パッシグ川上陸地点 、マニラ大聖堂(大司教座聖堂)
        総督官邸(パラシオ・レアル/王宮)、ポスティゴ門(パラシオ裏門)
        王宮通り(レアル・デル・パラシオ通り)
        サン・オーガスチン教会及び修道院(アウグスチノ会)
        サン・ホセ学院及び聖アンナ教会 (イエズス会)
        サン・ミゲルの家 (Casa San Miguel/右近の居住地)
        内藤ジュリア・女子修道院跡
  ・ 三日目(14日)   ディラオ広場(比日友好公園)・山右近像
        ケソン市 ノバリチェス 「聖心修練院」墓所 / クリプト(crypt)
  ・ 四日目(15日)  ホテル周辺(教会やマーケット)、マニラ湾海岸 散策

 他の観光地には、どこにも出かけていませんが、マニラでの右近さんを覚えながら、それぞれの場所で、じっくり時間をとって、すごすことができました。

 このような機会を実現するためにサポートしてくださった「コムユニテイ」の皆さんに、そして旅行中いろいろ助けていただいた、すべての方々に心から感謝します。ありがとうございました。
 神の祝福が豊かにありますように。

       灼熱の 右近歩みし 道を行く    (マニラ)
       炎昼の 親しき民や 右近像 
       隔て成す イントラムロスの 灼くる壁 
       夏シャツの 「山右近」 妻の筆
       ノバリチェス 笛に答えて 風涼し  (ケソン)   

  ※ ホームページ 「山右近研究室・久保田へようこそ!」 も、ご覧ください。

 

 

【山右近・マニラツアー】日程表


● 4月12日(月)

  ※ PR 407 関空発 9:55  マニラ着 13:10 (フィリピン航空)
  
  ※ 「 Palm Plaza Hotel 」
(住所 526 Pedro Gil cor M.Adriatico St., Malate , Manila)

  ※ ホテル周辺、マニラ湾海岸 散策       [宿泊・3連泊]


● 4月13日(火)

  ※ 全行程、山右近さんのマニラでの歩みを、じっくりと
   時間をかけてたどっていく。
  (一つの個所に時間をとる。シートを広げて座ったり、リコーダーを吹いたり・・)

  ※ 10時ホテル発  午前  イントラムロス / サンチャゴ要塞   [昼食]
                 (Intramuros) (Fort Santiago)

  ※ 午後  パッシグ川上陸地点 、マニラ大聖堂(大司教座聖堂)
        総督官邸(パラシオ・レアル/王宮)、ポスティゴ門(パラシオ裏門)
        王宮通り(レアル・デル・パラシオ通り)
        サン・オーガスチン教会及び修道院(アウグスチノ会)
        サン・ホセ学院及び聖アンナ教会 (イエズス会)
        サン・ミゲルの家 (Casa San Miguel/右近の居住地)、レアル門(王門)
        内藤ジュリア・女子修道院跡

        時間があれば(フランシスコ会 教会及び修道院跡)
              (ドミニコ会   教会及び修道院跡) [夕食・宿泊]


● 4月14日(水)

  ※ 10時ホテル発  午前  ディラオ広場(比日友好公園)・山右近像
                 パコ教会 、パコ・マーケット     [昼食]

  ※ 午後  ケソン市 ノバリチェス 「聖心修練院」墓所 / クリプト(crypt)
[夕食・宿泊]


● 4月15日(木)

  ※ ホテル発 ( )時

  ※ PR 408 マニラ発 14:25  関空着 19:20


                     久保田 典彦&忠子
                     
                     MR KUBOTA / NORIHIKO
                     MS KUBOTA / TADAKO

 

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