「わたしに何をしてほしいのか。」

2001.10.22 By Luke
彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋
ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」
と言った。
イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直
したのです。」と言われると、彼はたちどころに目が見えるよう
になり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民
はみな神を賛美した。 (新改訳 ルカ 18:41−43)

  私たちは様々なことを神に願います。幸福、健康、平安.. 自分の
  ことばかりでなく、友人や知人のために熱心に祈ることもあるでしょ
  う。でもあるときには、自分の本当の願いを押し殺して祈っているこ
  ともあります。そんなとき、友人、知人のために祈っていても、何か
  むなしざを感じるのです。

  「わたしに何をしてほしいのか。」とイエスはこの盲目の人に語りか
  けました。そんなこと言わなくたってわかるだろ!、なんて彼は言い
  ません。「主よ。目が見えるようになることです。」と彼に切実な願
  いを、イエス以外には誰にも願うことのできない願いを、彼はイエス
  に正直に告白したのです。「あなたの信仰があなたを直した」と言わ
  れるような信仰が、彼にはあったのです。

  このルカの福音書18章全体が「祈り」について教えています。

      ”子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに
   入ることはできません。”(17節)

  子どもは正直なものです。要求をストレートにぶつけてきますね。反対に
  大人の言うことも素直に受け取ります。そんなストレートな関係が神と
  私達の間にも必要なのです。

  対象的に18節から登場する青年は、”何をしたら永遠の命をもらえるのか”
  とイエスに問いました。”ただより怖いものはない”とか”そんなうまい話
  はあるもんか”と、大人になるとかんぐってしまうのですね。
  何をしたら、という条件がもし必要なら、それは律法を完全に守ることだ
  とイエスは答えました。実はそんな完全な人は誰もいないということを
  イエスは教えたかったのです。

  ”私の正直な願いはなんだろうか。本当は神に何をして欲しいのだろ
  うか?”このように自問自答してみることも大切ではないでしょうか。
  なぜそのことを神に願わないのでしょうか。信仰が無いからでしょう
  か。かっこつけたり、体裁を整えた祈りよりも、正直な祈りを神は待
  っておられます。

  「わたしに何をしてほしいのか。」とイエスはあなたに問いかけてお
  られます!

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