インマヌエル 神はあなたと共に 1998.12.22 Luke


神さまが男(アダム)を造られたとき、「人がひとりでいるのは良くない。」
「ふさわしい助け手を造ろう」と言って、
女性(エバ)が造られた。そして、神の創造が完成し、「非常に良かった。」と言われた。

神さまは、男と女をお互いに助け合い、支え合って生きていくパートナーとして
夫婦というものを定められた。

また聖書において、イエスキリストと私たちの関係は夫婦にたとえられている。
そのような親密な交わりが私たちとイエスさまとの交わりである。

クリスマスの喜びは、救い主が生まれたということ、そして「インマヌエル」、
神さまが私たちと共に生き、共に歩んで下さる、ということにある。

今日はこのインマヌエルを中心にして、ヨセフとマリヤの姿と、イエスさまと私たちの
関係を重ね合わせて見ていきたい。



1 マリヤと共に生きる決心をしたヨセフ

マタイ1:18ー25
	 18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻
	 と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身
	 重になったことがわかった。
	 19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、
	 内密に去らせようと決めた。
	 20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。
	 「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿
	 っているものは聖霊によるのです。
	 21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、
	 ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
	 22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためで
	 あった。
	 23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌ
	 エルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
	 24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
	 25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名を
	 イエスとつけた。


今日の聖書の箇所は、唯一ヨセフという人物がどうゆう人であったかを記している。
後にイエスさまが「大工の息子」と言われていることからヨセフは大工であったこと
がわかる。
おそらくイエスが成人する前に亡くなったのではないか。

18節
ユダヤでは、1年間の婚約期間があり、その間、一緒に暮らしてはいなかったが、
法律的には夫婦とみなされていた。
したがって、その間に他の男性と関係を持つようなことがあれば、石打ちの刑で死刑
になることもあった。

ヨセフはさぞ悩んだことだろう。マリヤは御使いに告げられたことをヨセフには話して
なかったのかもしれない。あるいは聞いてはいたが受け入れられなかったのかも。
19節
ヨセフは「正しい人」であった。罪をいいかげんにしておくことのできない人であった。
自分が訴えればマリヤは裁判にかけられる。いや、いずれ他の人にもわかってしまう。
しかし、「マリヤをさらし者にはしたくなかった。」ので内密に離婚しようと決めた。
「正しい人であって」正しさとは、哀れみの心も含まれている。

20節
決めたにもかかわらず、やはり納得しきれず、ヨセフは思いめぐらし、夜も眠れなかった
ようだ。離婚したらマリヤはどうなるのだろうか。やはり人目を避けて暮らさねばなら
ないのか。そんなことを考えていたかもしれない。

20ー24
しかし御使いから夢で教えられたヨセフは、はっきり決断してマリヤと迎えた。
マリヤの妊娠という事実は、回りの人びとに誤解され、また中傷され、白い目で見られた
ことだろう。しかしヨセフはたとえ人の非難を受けても、白い目でみられても、それを甘
んじて受け入れ、マリヤと共に生きていこう。神の子救い主イエスの両親として、神から
与えられたこの使命を全うしていこうと決断した。


このヨセフの姿は、イエス様の生涯を暗示しているように思える。
神から見て、私たちは罪に汚れたものであって、裁かれて当然のものである。
正しい神は、その罪を見逃しにはできない。しかし、また私たちが滅びることを望まない。
ちょうどヨセフの悩みと同じである。
そして、イエスさまは私たちの罪を代わりに背負って十字架に着いてくださった。
イエスさまが、私たちの罪をいっさい引き受けて下さり、罪深い、汚れた私たちと共に
生きて下さる。そのために人間としてこの世に生まれて下さった。
神は罪に汚れた私たちを見捨てず、救いの手を差し伸べて下さった。

インマヌエル、「神がわたしたちと共におられる」
神さまが私とともに生きて下さる。私とともに歩んで下さる。
イエスさまのご生涯は、そのことをはっきりと私たちに示してくれる。
これこそが、ほんとうのクリスマスの喜びではないだろうか。


2 インマヌエル

さて、22節で、このイエスさまの誕生は預言されていたことだった、というのだが、
これは旧約聖書のイザヤ書7:14(P1042)に書かれている。これは紀元前730
年頃のことで、すなわちイエスさまの生まれる730年前に預言されていた。
これはどのような背景で預言されたのだろうか。

イザヤ7:1ー16
	1 ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時のこと、アラムの王レツィンと、
	イスラエルの王レマルヤの子ペカが、エルサレムに上って来てこれを攻めたが、戦
	いに勝てなかった。
	2 ところが、「エフライムにアラムがとどまった。」という報告がダビデの家に告
	げられた。すると、王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した。
	3 そこで主はイザヤに仰せられた。「あなたとあなたの子シェアル・ヤシュブとは
	出かけて行って、布さらしの野への大路のそばにある上の池の水道の端でアハズに会い、
	4 そこで彼に言え。気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。あな
	たは、これら二つの木切れの煙る燃えさし、レツィンすなわちアラムとレマルヤの子
	との燃える怒りに、心を弱らせてはなりません。
	10 主は再び、アハズに告げてこう仰せられた。
	11 「あなたの神、主から、しるしを求めよ。よみの深み、あるいは、上の高いとこ
	ろから。」
	12 するとアハズは言った。「私は求めません。主を試みません。」
	13 そこでイザヤは言った。「さあ、聞け。ダビデの家よ。あなたがたは、人々を
	煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。
	14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女
	みごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
	15 この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。
	16 それは、まだその子が、悪を退け、善を選ぶことも知らないうちに、あなたが
	恐れているふたりの王の土地は、捨てられるからだ。

7:1、2
当時イスラエルの国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれていた。そして、北イスラエ
ルとアラムという国が手を組んで南ユダを攻めてきた。そしてユダの人々は「林の木々が
・・・動揺した。」
7:3、4
そこで神はイザヤを通して、「恐れるな、わたしを信頼せよ。」と語りかける。
7:11
「しるしを求めよ」とは、神に信頼せよ。ということ。
7:12
アハズは、「主を求めない。期待しない。」と答えた。
この答えは(しるしを求めない。試みない。)は一見信仰的にも思える。
しかしこれは不信仰から出ている。神に期待しないから、何も求めない。
神さまとの関係が冷めている。
人間関係でも期待していない人には、何も求めない。
期待しているからこそ、求める。

しかし、アハズ王は、神に頼らず、アッシリヤという国の王に贈り物をたくさん送って
助けを求める。
7:14ー16
そして神の方から、しるしを与えたのが、このインマヌエル預言である。
神が私たちとともにおられる、だから動揺するな、あの二人の王はまもなく滅びる。
という約束であった。
そしてこれは同時にキリスト(救い主)の預言でもあった。

神は「わたしは、あなたと共にいる。だから恐れるな。わたしを信じよ。」と常に
語り続けた。
イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ダビデに。
そして彼らはみな、このことばに励まされてきた。

イザヤ41:10
  「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
   わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

イザヤ43:1ー5
	1 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。
	あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
	わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
	2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あ
	なたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
	3 わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。
	わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
	4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは
	人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
	5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来さ
	せ、西から、あなたを集める。

どんな状況の中にあっても「神が共にいて下さる。」
それは、
  わたしのものだから
  わたしが形造ったから
  わたしがあなたの神だから
  わたしがあなたの救い主だから
  あなたは高価で尊いから
  あなたを愛しているから

このみことばによって、どれほど多くの人々が勇気を与えられたか。
人生を変えられたことか。
また、多くのこどもたちが、感動するみことばでもある。
「おまえはだめだ。だめだ。どうしてそうなんだ。どうしてそんな成績が悪いんだ」
と言われて自信を無くしているこどもたちが、「あなたは高価で尊い」と言われると
ストレートに魂に響くようだ。



3 私たちと共に生きるイエス様

イエスさまのご生涯は「神が私たちと共におられる」ということを
旧約の時代よりも、もっとはっきりと、完全な形を見せて下さった。

ピリピ2:6、7
  「キリストはご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた。」

私たちと同じ弱さを持った人間として生まれ、生き、そして私たちと同じ悩みと苦しみを
経験された。
そればかりか、私たちの罪をすべてご自身で背負われて十字架にかかって下さった。
十字架の上で「彼らの罪をお許し下さい。」と祈られた。

マタイ28:20
  「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

復活されたイエスさまは、今も、いつも私たちと共にいて下さる。