星の森の寒月


星の森之宮
星の森之宮 星の森之宮御神体 傍示川


JR星田駅を出て右手に進み、大谷橋を左に傍示川沿いに進むと左側の住宅の間にこんもりとした森が見える。ここが星の森之宮である。

星の森は人皇52代嵯峨天皇の御代、弘仁年間西紀810年頃、高僧弘法大師が交野地方にこられた折り、普見山獅子窟寺の岩屋にて、仏眼尊の秘法を唱えらた。すると天空より、七曜の星(北斗七星)がこの森と妙見山光林寺の三ヶ所に降るのを見た。以来、この三ヶ所を星の霊場とされ、弘法大師は妙見山に七曜星を祀られ、「北辰妙見大悲菩薩」と崇め「妙見山竜降院」と称され、天下太平国家擁護の霊場と敬われたと伝えられる。

この三ヶ所の霊場がそれぞれの距離が約八丁(900m)であるところから「八丁三所」と呼ばれている。
また、これがきっかけで星田の地名が生まれたとも言われている。

しかし、この森も妙見山、光林寺と同じ七曜星を祀る霊場ではあったが、1200年の長い月日を伝説のまま放置されたままになっていた。

昭和56年に後世に永く伝えるため、聖地を整備し、聖地の中央に石塚を築き、御神体として崇めた五個の石の内、小さい石四個を塚の中に納め、大きい石を上に神の磐座として据え置き、名称を星の森之宮と称した。

この星の森之宮の前を流れる小川が傍示川である。
傍示とは、昔、国境に傍示木を建てたことからこの地名ができたが、延喜17年(917)、石清水八幡宮の荘園であった交野山(こうのさん)の山裾から、星田にかけて、大和高山庄(現在のくろんど池付近)との境界線として傍示木を立てたことに始まる。
西の境であったのであろう。


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