妙見の観桜



妙見川原
妙見川原桜並木(上) 妙見川原花見の人々 妙見川原桜並木(下)


JR星田駅を左にとり、山手方向に進むと桜並木が見えてくる。この桜並木を通り抜け、上っていくと星田妙見宮(小松神社)の鳥居が出現する。

小松神社(星田妙見宮)の参道沿い、妙見川の両岸にあり、古くは万葉集にも詠われている。
明治42年(1909)400本の桜の木が移植され、今は二世の桜が 見事なまでの花をつけるまでに大きくなっている。
春になると、近郊から花見の人たちで、屋台も出るほどの賑わいである。
最近の道路事情により10数本の桜の木が切り倒されてのはまことに残念である。

     またや見ん   交野の御野の桜狩
花の雪散る 春のあけぼの (藤原 俊成)
星田妙見宮
妙見宮の鳥居 妙見宮の本殿 妙見宮の御神体


小松神社(星田の妙見山)といい、星にまつわるさまざまな伝承を持つ神社である。
かって妙見山龍降院、 小松明神、降星社ともいったが、明治39年(1906)に星田神社の境社として小松神社となった。

ここは神道、仏教、道教が融合した霊場で、その 祭神は、神道では天之御中主大神、仏教では妙見大菩薩、陰陽道では太上神鎮宅霊符神として崇敬されている。

平安時代の弘仁年間(810〜824)に 弘法大師空海上人が私市の獅子窟寺の岩屋で仏眠仏母尊の修法をされたときに当霊山に七曜の星(北斗七星)が降臨し、大師自ら「三光清岩正身の妙見」と 称され北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳、神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山、星の霊場として祭られた。

御神体は、三つの大岩で「妙見山影向石縁起」等 神社に伝わる記録によると、当宮を一点として、当村内の光林寺星の森 高岡山星の森の三点に一辺を八丁(約900m)として降臨するをもって「八丁三所」といわれ 当村を三宅庄星田村と称された。

江戸時代中頃(享保期)に作成された「五畿内志」によると茄子作の中山観音寺の牛石に対して、この三つの御神体を 当時の土地の人々は「織女石」と呼んでいたそうである。

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