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遊びと人間 (講談社学術文庫)

ロジェ・カイヨワ 著、多田道太郎・塚崎幹夫 訳


裏表紙 説明文

なぜ人間は遊ぶのか。人は夢、詩、神話とともに、遊びによって超現実の世界を創る。
現代フランスの代表的知識人といわれるカイヨワは、遊びの独自の価値を理性の光に
照らすことで、より豊かになると考え、非合理を最も合理的に語ってみせる。彼は、
遊びのすべてに通じる不変の性質として競争・運・模擬・眩暈(めまい)を提示し、
これを基点に文化の発達を考察した。遊びの純粋な像を描き出した遊戯論の名著。


日本版への序文

 本書は1958年に出版された。これはシラーの預言者的直観とJ・ホイジンガのみごとな
分析『ホモ・ルーデンス』のあとを受けつぐものである。これは、遊びの体系的な分類の試み
である。遊びの研究が明らかにしたその四つの基本的範疇、いいかえればその根本的動機
(競争、運に身をまかせること、模擬あるいは表現、眩暈と失神)が文明にどのような
痕跡を残しているかを確証しようとつとめたのが本書である。さらに、遊びの影響の明白な
スポーツや演劇のような分野においてのみでなく、社会生活全体の動機づけともろもろの
野心を規定し、特徴づけ、表現している諸制度の中にまで立ちいって、文化の発達それ自体を
解明しようとしたものである。共同社会がそれぞれ固有の様式を獲得するのは、その慣習
あるいは規則によってであるが、本書は遊びをこれらの慣習あるいは規則の理想的な像、
すなわち夾雑物から切り離された、純粋な、完全な像として描き出したものである。

 本書のあとにも、遊びについて多くの書物が出版されている。あるものは遊びの哲学を論じ、
他のものは個々の特定の遊びの研究にささげられている。しかし、私が『遊びと人間』において
主張した根本的命題について、その弱点を攻撃した人はいない。むしろ事情は逆である。
今日では、遊びをくだらない、あるいは取るにたらない活動と考える者はいないであろう。
遊びがすべての文明において重要な役割を果たしていることを、遊びの提供しているものが
文明の見やすく、わかりやすい雛型であることを、あえて否定しようとする者はいないであろう。
さらに明確にいえば、遊びは文明の根源をなすものであり、芸術と修辞学、祭式、政治と戦争の
規則(聖なるものの統治の規則、は別としても)、これらはいずれも遊びの精神の性質をうけた
ものである。人間の行動は、人がそれを本能と混乱と野蛮な暴力とから解き放とうとするとき、
はじめて人間の行動となるが、そのことを判定するたしかな基準とは、ほかならぬ遊びの精神
(明るい興奮、誰しもが持たねばならぬ創意、任意の規則の自由意志にもとづく尊重、これら
三つの要素のいり混じったもの)が存在しているかどうか、であるとさえいえる。

 その後、私はより広範囲の調査研究、すなわちプレイヤード百科辞典中の一冊である
『遊びとスポーツ』(1967年)という分厚い書物を、監修する機会に恵まれた。専門家たちが
そこに持ち寄った圧倒的に豊富な資料は、地球上の全地域から集められたものであるが、
私が大胆に列挙しておいた遊びのすべてに通ずる不変の性質を、具体的に例示している。
遊びの種類は無限である。しかし、不毛か生産的か、危険か健全かは問わず、遊びを支配
する原則は、すべての風土においてつねに同一である。本書の目標は、いわば遊びの
普遍的な文法、恒常的なシンタックスを示すことであった。これはすでに数ヵ国の言葉に翻訳
される光栄に浴し、たしかに私の書物の中で最も多く引用され、論議されているものである。

 私はとくに、この日本語訳によって、日本の一般読者に近づけるようになったことをうれしく
思っている。花を活ける芸術によって、茶の儀式によって、また伝統的な短詩の厳密な形式に
よって、凧あげによって、贈りものの交換によって、能と歌舞伎の約束ごとによって、武士道の
道徳によって、弓を射る洗練された作法によって、禅問答の意味深いやりとりによって、
日本文化は、その歴史の全体を通じて、遊戯精神との明白な血縁関係を、いわば誇示している
ように思われる。それゆえ私は、この書物が、日本において、この書物の説を快く受け入れて
くださる読者に、きっと出会うだろうと確信している。

 この書物の説は、日本からは遠い異国の例に根拠をおいているのだが、格別教養の高く
感覚の鋭い日本の読者たちは、これらの例を他の身近な、より雄弁で同時により説得的な
例に、たえず置きかえてくださるだろう。私はそう思っている。私の願いと望みは、以下の
議論がきっかけになり、その主張するところの命題のためにまさにうってつけという気が
する社会において遊びについての多くの研究が生まれ、これらの命題が試されることである。
これらの命題の弱点をつき、あるいは訂正するためのものであれ、それらをより豊かにし、
完全にし、より正確に厳密にするためのものであれ、結構である。もしこうした願いがかなえ
られるならば、私の喜びは言葉につくせまい。このような種類の書物にとって、それ以上の
幸運に恵まれることはありえないからである。
 1970年5月12日  ロジェ・カイヨワ


目次
日本版への序文

序論

第一部
一.定義
二.分類
  (イ) 基本的範疇
  (ロ) 喧噪から規則へ
三.遊びの社会性
四.遊びの堕落
五.遊びを出発点とする社会学のために

第二部
六.遊びの拡大理論
  (イ) あり得ない組合わせ
  (ロ) 偶発的な組合わせ
  (ハ) 根源的な組合わせ
七.模擬と眩暈
  (イ) 遊びと文化との相互依存
  (ロ) 仮面と失神
八.競争と偶然
  (イ) 変遷
  (ロ) 能力と運
  (ハ) 代理
九.現代社会への再湧出
  仮面と制服
  縁日
  サーカス
  空中サーカス
  人真似し茶化す神々

補論
一.偶然の遊びの重要性
二.教育学から数学まで
  1 教育心理学的分析
  2 数学的分析
三.遊びと聖なるもの

参考資料
訳者解説 ホイジンガからカイヨワへ
遊びを考えるための文献リスト
訳者後記
遊びの索引