瀬川洋&Travelin' Ocean Bluebirds  Member Profile



瀬川 洋

瀬川洋は1947年4月14日生まれ。東京都杉並区出身。1966年1月、同じ中学の出身者らで“ザ・モンスターズ”というバンドを結成、府中、厚木、立川などの米軍キャンプのクラブを中心に活動をはじめた。当初、瀬川はギターも担当していたのだが、やがてヴォーカルのみに専念するようになった。リヴァプール・サウンド、R&B、さらにはラヴィンスプーンフルなどのナンバーまでレパートリーとするこのバンドは、キャンプの中でも有数の人気グループとなった。やがて、日本のポップ音楽界に嵐のようなグループ・サウンズ・ブームが到来するや、彼らも或る芸能プロダクションにスカウトされ、 “ザ・ダイナマイツ” と改名してビクターからレコード・デビューすることが決定したのだった。67年11月のデビュー曲「トンネル天国」は、 チャートの73位 (オリコン) に入るまあまあのヒットとなった。結局、ビクターでは計5枚のシングルと1枚のLP( 『ヤング・サウンドR&Bはこれだ!』)を発表したわけだが、セールス的に成功したものは殆どなかった。彼らは一部のマニアだけが知る通好みのGSとして、都内のジャズ喫茶やディスコで地道な活動を続けていくだけだった。

 1969年半ば、瀬川は活動を休止しヨーロッパへ旅立った。北欧を中心に約3ヶ月ほど放浪、向こうの音楽シーンをつぶさに見てまわったのだった。帰国後、再びダイナマイツに参加したものの、(彼の旅行中、ダイナマイツは瀬川抜きの4人で活動していた)、 相変わらずディスコ中心の仕事に限界を感じ、結局、69年の暮れに解散したのであった。

  70年に入ってから瀬川は野村光朗(元ダイナマイツ)、北順(元サマーズ)らと“ニューダイナマイツ”を結成。ザ・バンド、ポコ、CCRなどカントリー・ロック、サザン ・ ロック色の濃いナンバーをレパートリーとしていたが、活動の場はここでもディスコであった。

  71年6月、瀬川は山内テツの呼びかけにより元ビーバーズの成田賢と二人でヴォーカルを担当したセッション・アルバム『フレンズ』をマリオン・レーベルから発表。そして、72年10月に コロンビア/プロペラ からリリースしたのがこの待望のソロ・アルバム『ピエロ』だったのだ。フラワー・トラヴェリン・バンド の石間ヒデキ、上月ジュン、サムライの原田祐臣、テツ、PYGの大野克夫、さらに野村光朗など昔からの仲間のバッキング・サポートを受け、当時流行の“自然に帰ろう”をモチーフとした詞を、瀬川好みの南部ロック、カントリー・ロックを志向するバンドが殆どなかった当時の我が国のニューロック界に於いて、彼の存在はユニークなものだった。このアルバムからは、同時発売で『ピエロ』 c/w「それで良いはずありゃしない」(英題/TOKYO’72)がシングル・カットされている。73年8月には、新録音(A面のみ)のシングル 「君が居た白い部屋」 (英題/WHITE ROOM WHERE WE LIVED)c/w「こんな気持」(英題/SUCH FEELING)もリリースされた。なお、本CDに収録されている 「夢の汽車ポッポ」は当時レコーディングされたまま未発表となっていた曲で、CD化に際してボーナス・トラックとして加えたものである。

 その後、瀬川は70年代半ば頃まで「瀬川洋グループ」としてライブ活動を行っていた。’79年 1月 にはキティからリリースされたサウンド・トラック・アルバム 『限りなく透明に近いブルー』に瀬川の歌う ラヴィン・スプーンフルの 「 You didn't Have To Be So Nice 」 が収録。当時ソロ・アルバム用のデモ・テープも録ったというが、間もなく瀬川はシーンから姿を消す。

 80年代のネオGSブームや 90年代の物 DJシーンの隆盛などで、何度もダイナマイツや瀬川へのラブコールはあったが、本人はたまに友人とセッションしたり、フールズ(瀬川の弟分的存在で東京アンダーグラウンド・ ロックを代表するバンド)のライブに飛び入りする程度であった。

 しかし、アルバム『ピエロ』から25年、ダイナマイツのデビューからちょうど30年が経った97年12月。突如「トラベリン・オーシャン・ブルーバーズ」というバンドを率いて瀬川は音楽活動を再開。瀬川のヴォーカルとギターを中心に、 ブランクを感じさせることのない骨太なロックンロール・サウンドは、和製ヴァン・モリソンの名にふさわしいものだ。サニディ・サービス、フラワーカンパニーズといった若手アーティストとも共演し、98年以降もマイペースかつ堅実なライブ活動を続けている。

黒沢進&サミー前田
以上、瀬川洋/ピエロ P-VINE RECORDS(PCD-1580) 98.3.25発売 より、引用。


SHIGE ’シゲ’

1979年日本で恐らく最初にレゲェのリズムを取り入れたニューウエーブバンド、バナナリアンズに参加。現在、瀬川洋 & トラヴェリン・オーシャン・ブルーバーズでベース担当。


森園勝敏’モリ’

東京生まれ。1971 伝説的ロックバンド’四人囃子’を結成(Gu&Vo)。1975 日本初のCROSS OVER GROUP"PRISM"参加。1978 ソロ活動へ。HARD DRIVIN'BLUES FEATURING 金子マリ、TRICK BACK (永井隆バンド)、その他、数多くのセッションで活躍。TRAVELIN'OCEAN BLUEBIRDSでは変幻自在なスペーシーなギターで魅了する。


上原裕(うえはら’ユカリ’ゆたか)

村八分、ハイ・ファイ・セット、大滝詠一やユーミンなどのサポートバンド、シュガーベイブ(山下達郎率いる)、沢田研二のバンド、忌野清志郎、ラフィータフィーのドラマーなど数多くのレコーディングやセッションで活躍。30才以上の日本在住の人なら必ずや彼のドラムの入った曲を聴いているはず。瀬川洋 & トラヴェリン・オーシャン・ブルーバーズでドラムス担当。


須川光’ヒカル’

東京生まれの名古屋育ち。ロックバンド「めんたんぴん」にキーボードで参加し上京。TV、ビデオ等の音楽製作やサポートミュージシャンとして本格的な活動を開始。ジャズをはじめ、ロック、ブルーズ、R&B、ファンクなど、ジャンルを超えた幅広い音楽活動を展開。TRAVELIN'OCEAN BLUEBIRDSでキーボードを担当。


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