金熊村

 昔八坂村大平・石原・切久保・大塚(だいづか)等の部落を総称して金熊(かなぐま)村といっていた。昔金熊という人(加賀藩の浪人という)が来て住んでいたが、非常な文武の達人であったため地方の人々に信用され、長くこの土地に居着いたので金熊村というようになったといわれている。今大平部落には金熊の供養塔という古い石碑があり、横瀬部落には金熊の墓といわれている宝筐院塔もある。


← 八坂村の伝説の目次に戻る
■ ホームページに戻る