狼(山犬)の話

 八坂村では明治10年頃までは山犬が各所に出没した。山犬の道はほとんど一定していたという。
 三原の盗人厩(ぬすっとまや)という土窟は八畳敷ほどの広さであって、山犬はその中で子を育てたという。付近の村(同村切久保部落)では馬を多く飼うので、朝速く耕作に馬を牽いて出たときなど山犬が居ると馬は鼻息を荒くして動かない。又親子の馬が知らずに遊んでいると山犬の子がそれを追い散らすようなこともあった。そんなことがあると村人は庄屋と相談して山犬の七夜の祝をしてくれた。そのときは田作りなどのお肴をつけて小豆飯を炊いて「俵ばあせ」に乗せ巣の口へ持っていって与える。それをきれいに食い尽くせば無難だが、食い残せば火の悪いもがあるといってやりなおしをした。


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