左右(そう)

 昔弘法様が諸国行脚の際、今のけーど峯(大町方面より八坂村左右への入口)まで来て左右の村を眺められたとき、この村は左と右とに分かれていて大変おもしろい村であると感心なされ、左右と名づけられたという。
 なお又ここに築地(じゃ)ヶ峯という所があるが、これは弘化4年の地震の折に大立という所が崩落してつき上げた所だといわれている。


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