鷹狩の話

 享保11年のこと松本藩の殿様から鷹を献上するようにと八坂村切久保部落のもとに命令があった。当時鷹は生捕にしたもので、捕らえる場所を鷹場といい、ごんが峯・あと坂・ひなた林・金比羅神社東側の四ヶ所であったという。慶応4年の調書では鷹打は興一之亟 角左衛門・彌次郎・代右衛門・佐五兵衛の5人となっている。今でも鷹場付近をとや峯といい、鷹山と呼んでいる。角鷹場にはそれぞれ支配者があったというが、どこを誰が支配していたかは明らかでない。生捕の方法はかすみ網を用いたらしいということである。


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