さよなら北朝鮮 

祖国解放戦争勝利記念塔

 今日はいよいよ日本へ帰る日だ。ガイドのLさんに「5日間は最初は長いと思ってましたが、あっという間でした」と言われるとシンミリする。同じ時に七宝山へ行ったツアーが平壌へ戻る国内線フライトが悪天のため飛べず、今日の名古屋行きのフライトも2時間遅れることになった。本来なら朝ホテルを出発しまっすぐ空港へ向かうところが、ぎりぎりまで観光させてもらうことになった。

 そこで立ち寄ったのが祖国解放戦争勝利記念塔である。1993年7月27日に、朝鮮戦争勝利40周年を記念して建設されたものである。10体の群像は戦争の様々な場面を表し、ろくな武器もなく厳しい状況で朝鮮戦争を戦った英雄たちの様子が描かれている。金正日氏はかつて、「我々が負けることはない、朝鮮のない地球など意味はない。朝鮮が滅ぼされるなら、その時、私は地球を砕く。」と語ったそうである。なんだか、核による地球最後の日のシナリオを連想させる。それにしても、平壌市内には、その人口や経済力に比べてあまりにもこのテの記念塔や記念館、革命○○博物館といった建造物が多い。しかも規模の大きなものばかりで、経済事情の悪化が著しい90年代以降に作られたものも少なくない。こんなん(といっては失礼だが)ばかり作っていていいのか、もし政権が大きく変わったら、これらの建造物はどうなるのだろう、と人ごとながら心配になる。

 最後に、トイレ休憩のため、三大革命展示館のトイレに立ち寄る。中は見学できなかったが、これも90年代に建設された「朝鮮の威力を示す時代の記念碑的建造物」(のトイレ)である。広い敷地内には総序館、重工業館、技術革新館、電子工業館、軽工業館、農業館という6棟の展示館がならび、思想、技術、文化の3大革命の成果が分野別に展示されている。機関車や、バス、工事機械といった大型展示物のための野外展示場もある。トイレと言えば、中国のトイレは個室の扉や壁はあまり重視されていないつくりだが、朝鮮のは違う。必ず、上から下まで、扉で覆われている。しかし、腑に落ちないのは、扉に鍵がついていないこと、時には扉の上半分がガラス(模様が入っていて中ははっきり見えないようになっているが)になっていることだ。水洗が壊れていて、傍らのたらいから水をくんで流すようになっているところもあったが、中国に比べるとずっとキレイに使われている。

見学に来ている朝鮮の人たちの団体。

メインの勝利像

三大革命展示館。電子工業館。

プチメモ 意外なことに、北朝鮮は徴兵制ではないのだそうだ。但し、大多数の者が志願するということだ。勿論、身体検査に合格しないと入隊することはできない。


 

さよなら、また会おうね

  最後の観光を終え、私達はスナン空港へ向かった。バスの中で、この5日間に撮影し編集済みのビデオを販売する。もともと、買うのは乗り気ではなかったが、バスの中でちらっと放映されたものを見てしまった。タイトルバックで地球がくるっと回り、朝鮮半島からチュチェ思想塔がにゅうぅっと生えてくるアニメーションとそれに続く交通整理の婦人警官の映像、そして妙に明るいBGMが醸し出すレアな雰囲気に、いっぺんに欲しくなり、即座に買うことに決めた。ガイドのLさんに、「朝鮮観光記念」とラベルに朝鮮語で書いてもらう。

 空港のフライトインフォメーションによると、今日のフライトは名古屋行きとソウル行きの2便だけのようだ。空港は相変わらず薄暗く、アナウンスも全く聞かれない。チェックインを済ませ、階段でターミナルビル2階へ上がる。手荷物検査の入り口前では、日本人と現地のガイドさんが別れを惜しむ光景が見られる。最後に、私達のツアーのガイドさんが一人ずつお別れの挨拶をする。この5日間、北朝鮮で過ごす貴重な時間を一刻も無駄にしないで済んだのは、ひとえにワガママなお客の要望をかなえようとベストをつくし、時にはイジワルな質問にも答え、買い物、両替、はてはおかずの食べ方に至るまで、こまごまと面倒を見てくださったガイドのみなさんのおかげである。

 北朝鮮見学ツアーを終え、日本に帰ってくると、日本は北朝鮮のプリンス、金正男氏の不法入国問題で大騒ぎになっていた。丁度、私達が北朝鮮で呑気に観光をしていた時に起こった事である。もちろん、北朝鮮にいた私達は何も知らなかった。七宝山から日本人ツアー客を運んで平壌に戻るはずだったフライト欠航との関係もわからない。私達が見ることのできた北朝鮮はごくごく限られた一部分である。一般市民の生活がどんなものなのかは全くわからない。私達が街で目にした人々は豊かではないにしてもごく普通に淡々と生活し、笑ったり、喋ったり、歩いたりしていた。子供たちはみな無邪気で明るく、元気である。既に300万人が亡くなっているとも言われる飢餓、暴力社会、強制収容所などは気配すら感じられなかった。但し、外からの様々な刺激によってこの国が変わりつつあるのは確かなようだ。現在の金正日体制の下で将来柔軟な変革を遂げ、国際社会の一員として豊かさへの道を歩むのか。それとも、動乱そして金王朝の崩壊を経なければ現在の状況を脱することはできないのか。いずれにしても、これ以上現状維持ではいられない。越えなければならないハードルはあまりにも多いが、問題解決の日は確実に近づいているのだろう。


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まえ