チ−ムリーダ 石塚忠信 記 事業の目的:ICFより補助を頂き、西サハラ解放地区に対し人道的立場から無線網を建設し、 同地区への援助を行った 実施期日 :2002年11月27日〜12月11日 参加専門家:IARV会員(石塚忠信、川西俊和。伊藤寧夫、小柳譲治、山田真哉)計5名 <活動経過> *11/28 20:30 モーリタニアの首都ヌアクショット着、現地スタッフ、Mr.Sulama, Mr.Boulla の 出迎えを受け税関も無事通過、ホテルに向かう。
その後現地調達品を購入する為、市内のマーケットに調査に行く。 ラマダン中とイスラムホリデー(金曜日)でクローズの店が多かった。 *11/30 現地調達品の購入の為再び市内に出向く。バッテリー及びバッテリー液、6mパイプ、 ステーワイヤー等必要数を購入。その後レンタカー2台に積載を検討したが、我々の荷物もあり 一寸無理との判断で、ピックアップトラック1台を別途レンタルし、援助 機材を積み込み 夜10時先発してもらう。
しかし,約300Kmは舗装道路で残り400Kmが砂漠の中を走行することになる。 両車共荷物は満載である。先頭車は、Boulla議員、モーリタニア中央病院のドクター、 石塚リーダー、山田会員乗車後続車は、エンジニアのBoulla氏、川西会員、 伊藤会員、小柳会員であるこの時期、早朝の西アフリカは一寸寒い。 後続車のスピードが遅い。どうもエンジントラブルらしい。先頭車とどんどん離れていく。 250Km位走行した所で先頭車がパンク。修理しようとしたが、ジャッキが無い。 レンタカーもひどいものだ。やっと対向車に止まってもらい修理完了。 この間約1時間。しかし後続車がまだ来ない。仕方なく戻ることにした。 30分戻った所で後続車発見。エンジンが止ってしまって完全に走行不能。 牽引しようとしたが無理。持参した衛星電話で約100Km先のAtarに電話でSOS。 2時間待ちAtarから代車が来た。急いで荷物を積み替え出発。衛星電話に感謝。
約50Km走行した所より砂漠のオフロード走行に入る。既にあたりは暗く先が思いやられる。 砂地はすべりながら、硬いところは石や草の根に注意しながら走行、あたりは全くの暗闇。 突然跳ね上がり頭を天井にぶつけた。止まって外に出てみると、2m位車輪の後がない。 80Km/H位のスピードで草の根に乗り上げジャンプしたよう だ。夜間走行は危険である。 併せてBoulla議員の体調が悪く寝る所を探し泊まることにした。 午後十時過ぎ地図にも無い数軒の民家を発見。毛布を購入して一軒の民家に宿泊、 夕食を作ってもらい遅い夕食。 我々は途中昼食をしたが、ラマダン中の現地の人は 朝から飲まず食わずである。全く頭が下がる。
食料は、2ヶ月に1回チンドーフよりスパゲティや野菜が運ばれてくるそうで、 肉は飼育して いるラクダや羊に頼っている。通常はまことに質素な生活をしているようである。
又、次の目的地は約400Km離れた地域で、車 で丸1日かかるのと、我々の帰国の 時間も迫っており今回は断念することで了解を頂いた。 また、すべての機器、資材、消耗資材も渡してあり、今後彼らだけでも設置は可能である。
*12/7 F'Derikに一泊後700Km先のヌアクショットへの砂漠ドライブ。 途中1回パンクしたが、もう過ちは繰り返せない。 ジャッキアップし10分間で修理。 しかも砂漠のオフロードを日中走行なので問題なし。 13時間かかり ヌアクショット到着。川西会員はそのまま空港へ、他の会員はヌアクショトに一泊。 教訓としてて砂漠を走る場合、必ず2台のしかも同型車が必要。 1台で走行し故障した場合下手をすると何日も見つからず遭難することもある。 *12/8 モーリタニアを発ちミュンヘンに一泊の後帰国の途に就いた。 以上
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