三上くんの家庭の事情・前編

花嫁の弟のユウウツ







3日間。
そう言って欠席届を出したら、担任はそうでもなかったが、監督は少し渋い顔をした。
自主トレの計画表も提出したけれど、理由が理由だから出来るかどうかなんてはなはだ怪しいことこの上ない。
「まあ、おめでたいことだからな」と、おめでたくもなさそうな顔と声で許可を出してくれた。
なんとなく、ほっとしたけど少しだけがっかりした。
頑固に休みなんかとんでもない、と怒鳴りつけてもらえたら、帰らない理由になったかもしれないのに。
でもやっぱり帰れなかったらものすごく後悔するのは分かってたので、許可に対して心から頭を下げて、三上亮は監督室を出た。
寮の自室に帰ったら、渋沢が椅子ごとこちらを向いて、目で聞いてきた。
「じゃあ、来週。3日間な」
それで説明終了。
渋沢もそれ以上は聞いてこない。
それからやっと制服を着替えながら、三上はぼんやりと考え込んだ。
とうとう、この日が来ちまうんだ。
無意識のうちに、肺が空になりそうな大きなためいきをついていることなんか、気がつかない。
もちろん、渋沢はそれを耳にして、顔を上げ、まじまじと三上を見詰めていたが、それだって気がつかない。
渋沢はしばらく三上の様子を見ていたが、どうやら悩みがあるという様子でもないと判断した。
憂鬱そう。というところか。
実際、三上は憂鬱だった。
あまりに憂鬱だったので、またしても頭の中でユウウツ、と漢字を思い浮かべようとして失敗した。
なんかむかつく。
「渋沢。憂鬱って漢字で書けるか」
渋沢克朗は、それで確信した。
ああ、やっぱり落ち込んでたんだ。
レポート用紙を1枚千切って、「憂鬱」と書いてみる。
「なんっでお前がこんな字を書けやがるんだよ!!!」
結局倍近く頭に血を上らせて、ベッドに転がってしまった三上は、だけどホントは渋沢だって「鬱」の字をかなりいいかげんに 間違えていたことまではチェックしていない。
渋沢は、とことこと三上のベッドの端へ行き、その床に座り込んで頭だけごろんと三上の背中にもたせかけた。
「・・・・懐くな」
ちょっと元気の無い口調で、顔も上げずに三上が苦情申し立て。
「うん」
でも押しのけたりもしない。
黙ってかまって欲しいのかもしれない。
憂鬱。
憂鬱な、三上亮。




電車にコトコトと揺られながら、もう何回目だろう、またしてもためいきをつく。
憂鬱顔。だけど、まったく同時に心の隅っこが嬉しくて、走っている。
ホントはその自分の中の相反する気持ちさえもがしんどい。
帰りたくない。
でも帰るのが嬉しい。
俺って、馬鹿?
三上亮は今実家に帰るところだった。
学校も部活も、3日も休んで、なにかというと、彼の長姉の結婚式だった。
前日に帰宅。当日に出席。翌日帰寮。というスケジュール。
普通なら、当日だけ帰ればいいだろう、と言われそうなところだったが、家が遠いのであえて不問にされたようだった。
三上としては、姉の結婚式に、当日だけでお茶を濁す、と言うことは、絶対にしたくなかったので、許可をもらえたことは本当に ありがたかった。
が、今から帰れば・・・・・おそらく家にはあの男が来るだろう。
そうでなくても、姉の結婚と言う一点で既に憂鬱な三上には、顔も見たくないあの男の、顔を見るのがホントに苦痛。
あの男。
姉の婚約者。
明日には、姉の夫になる男。
お姉ちゃんを、家から連れて出て行ってしまう男。
顔も見たくねー。
ふん。ぺっ。


家に辿り着いたら、やっぱり家の中はごちゃごちゃになっていた。
父と、兄と、ちい姉と、妹と弟は仕事やら学校やらで居なかったが、珍しく母は仕事を休んで居間に居た。
もちろんお姉ちゃんも、これは当然家に居た。
「どうして今日になっても片づけが終わってないのよ?」
「お母さん、何にもしてなかったくせによく言うわ。式が終わった後でも取りに来るから、ちょっとでも今手伝ってよ」
「もう、手際が悪いんだから」
「お母さんにいわれたくないわよ。・・・・あら。あき。お帰り」
「あき、もう帰って来たの?ずいぶん早かったじゃない。お腹は空いてない?」
「・・・・別にいい。ただいま」
さりげなくあたりをうかがうが、あの男は居ない様子。
アカラサマにほっとする。
「ちょうどいいわ。あきも帰ってきたんだし、お茶でも入れていっぷくしない?」
「お母さん、さっきから休憩ばっかりじゃないの!」
文句を言いつつも、姉は台所でやかんに水を入れ始めた。
「あき、かばん置いて着替えてきなさい」
三上は黙って、従った。


三上家は、家族が多い。
両親と、女3人、男3人。総勢8人家族になる。
両親が共働きのため、途中からは長女が妹や弟の世話をすることになった。
三上亮は上から4番目で、長女に直接育てられた最初の弟である。
10も離れているので、なにかというと「私はお前のおむつも替えてやったのよ」と言う姉に、もちろん頭は上がらなかったし、 そもそも母親よりも姉にご飯を作ってもらった記憶しかない。
でも、それを不満に思ったことはない。
母親の愛情が薄いと言うわけではなかったし、単純に手が足りないのは見て分かっていたから。
そして、忙しくてあまり家にも居るんだかいないんだかわからない母親(彼女は翻訳作家だった)を補うかのごとく、長女は亮を溺愛した。
もともと子供好きな性質の少女でもあったらしい。
自分に懐く弟に、必要以上の愛情を注いだ。
おかげで、三上家の兄弟姉妹は、普通の家庭とは一種異質の仲の良さを誇ることになった。
但し、三上亮に限って言うなら、少々、多方面に関する弊害も生んだ。
彼は、強度の他人不信だった。
幼い彼が、他人に心を許さなかったのはおそらく家族好きのゆえんと思われる。家族以外に大変猜疑心の強い子供だったのだ。
うらがえせば、家にいる時の彼は思いがけなく素直でかわいい子供でもあった。
ものすごく、ぶっちゃけて言うならば、重度のシスコンになっていたのだ。
そんな彼であったため、姉の結婚問題は、はっきり言って、家庭生活を根本から揺るがすような大事件であった。
当時、家に出入りし始めた、姉の婚約者たる男と顔を合わせなければいけない苦痛。(何しろ家族以外の他人が大嫌い)
家から姉が居なくなってしまうと言う恐怖。(何しろ重度のシスコン)
彼がいくつかの選択肢のうちから「全寮制中学への進学」と言うものを選んだ理由の中には、確かに「本気でサッカーがしたかった」と言うものが 大半を占める一方で「見たくないものから逃げた」と言う要素も無視できない割合で含まれていたのだった。
それでも帰ってくれば、今はまだ、姉が居る。
顔を見れば嬉しい。
嫁になんか、いかずにずっと家に居てくれれば、自分も家を出たりしなかったのに。
・・・・・でもそうなると、今のすべてはなかったことになるのかな。
何に対して「それは困るな」と思っているのかは、分かっているような気がするけど・・・・・やっぱりわからない、か。
Tシャツとジーパンに着替えて、ダイニングに戻ると、ちょうどお茶が入ったところだった。
「あき、コーヒーのほうがよかったっけ?」
慌てて首を振る。
以前、辛い目に会った。
姉の作ったものを口に出来ないのは、自分にとって屈辱的なことなのだ。
コーヒーだけは、入れて欲しくない。
「コーヒーが好きになった話、してなかった?」
「・・・・特別なコーヒーなんだ」
ふうん、と変な顔をして母と姉が顔を見合わす。
「コーヒーに特別とか何とかあるの?」
「ゴールドブレンドかしら」
「やっぱり特売のじゃだめかしらねえ」
ちーがーうー。
と、ちょっとくらくらしてしまう三上だったが、そこは自分だってはじめは似たような認識だったのを思い出し。
「同室のやつが、めちゃめちゃこだわるやつなんだ」
と、さりげなく言いながら、椅子に座った。
「珍しいわよね。あきがお友達のお話するなんて」
「そうよね。前帰って来た時も、そのお友達の話、聞いたわ。えーと、なんて言ったっけ。渋谷くん?」
「渋沢」
「ああ、渋沢くん?そうそう。よっぽど感じのいい子なのねえ。いい人と一緒になって良かったじゃない」
「クラスも部活も一緒だって言ってたっけ」
「・・・・うちの寮、サッカー部専用寮だから」
「あらやだ。なら部活は一緒で当然よねえ。そう言えば、あき、部のほうはどうなの?大変?ちゃんとご飯は食べてる?」
何で、部活動の話を聞いてるらしいのにご飯の心配なんだろう。
「それに朝はちゃんと起きられてるの?もう、ホントにそれがお姉ちゃん心配」
「渋沢が、すごいまめなやつだから、俺の事も起こしてくれるから」
「じゃあ、遅刻とかはしてないのね」
「大丈夫」
いつも思うけど、母親や姉の興味はどこへ向いてるんだかわからない。
子供(弟)の成長は食べることと寝ることで成り立ってると思ってるんだろうか。(保護者の興味はまあそんなところでしょう)
っていうか、こんなにがんばってんだから、試合のこととか、レギュラーのこととか、聞いてくれよ(泣)
俺、もうすぐ指令塔なんだぜ。武蔵森の。けっこう自分的にはすごいこととか思ってんだぞ。
熱い番茶など、入れてもらって、あと、木製の椀皿におかきがざらっと出される。
番茶は、まあ熱いから美味いと言えば美味いが、やっぱりこっそり渋沢の入れるお茶の味を思って、ちょっとまあ。
ためいきはつかないが、少し物足りないのはしようがないし。
困った口だよな。
何だろう。味が薄いのかな。香りが薄いのかな。それとも飲み口がいがらっぽいのかな。それとも・・・・。
はっ。
何をしみじみ考察している。
ふるふると、小さく頭を振ってそれを追い払い、おかきをつまもうと手を伸ばす。
が。
「あらやだ。食べるんなら早く言ってよ」
「やっだ、お母さん、食べるの早すぎ!全部食べちゃったの!?ちょっと待ってね、あき」
「・・・・もういい」(げんなり)
・・・・家では毒舌家と言う横顔はあまり見られない三上亮だった。



夜になって、兄弟たちがぞろぞろと帰ってきた。
弟と妹は普段おうちに居ないあきちゃんが帰ってきたのではしゃいで遊んで遊んでとまとわりつくし、兄貴は嬉しがってボールをぶつけるし (やっぱりサッカー好き)、ちい姉ちゃんは(ミーハーなので)武蔵森のことを聞きたがる。(さすがに母やお姉ちゃんとは微妙に興味の対象が違う聞き方)
父も帰宅して(大学教授)じゃあ、今夜はお姉ちゃんのおめでたい日だし、あきも帰ってきてるから、と、お寿司を取りましょうかと言うことに。
大昔から、三上家ではいいことがある時はお寿司。
ちゃんとご飯も作るのに、それとは別に取ってしまう。
が。
それだけだったらとても幸せだったかもしれないのに。
その頃になって、来た。
三上的天敵。(オーバー)
例のオトコがさ。
「失礼しまーす」
とか、サワヤカに笑ってうちに上がってくる。
「やあ、いらっしゃい。いよいよ明日だねえ」
「やだ、なにまたそんなネクタイしないでよ」
「ちょっと、もう一枚お皿出して」
「おっちゃん、遊んでー、遊んでー」(←もちろんまだ若い)
いやもうなんだか。さすが大家族。
が、とたんに不機嫌全開になる亮。
何しにきやがったんだよ。人んちにさ。むっかっつっくー。(いや、もう家族も同然なんだよ)
でもそんな三上をよそに、家族はごく自然にヤツを受け入れているのでなおさら頭に来る。
ものすごく当たり前にお姉ちゃんの隣に座りやがるので、もう、ムカツキも限界。(っていうか、お姉ちゃんの隣って、寮に入る前は 自分の席だった場所)
何でこいつが俺んとこ座って、俺がお客様席なんだよ。
もおおおおおっ、ガマン出来ねえ!
「あき、あき、ほら、あんたウニ好きでしょ」
「ああっ、俺だって好きなんだよ。なんだよあきにばっかりさあ」
「喬、あんたはいつも食べてるでしょ。お兄ちゃんなんだから、たまに帰ってきた弟に譲りなさい。あんたにはイクラあげるわよ」
「あたしもー、あたしもー」
「今日はあきちゃん!」
お姉ちゃんがわざわざ手ずからお皿に取り分けてくれているが、もうそんなのどうでもいい。
「いらねえっ。俺部屋帰るっ」
乱暴に音を立てて立ち上がり、どすどすと足音も高く部屋に閉じこもってしまった。
もう。
一人になりたい。
なんか、久しぶりに帰ってきたら気がついたけど、ひょっとしてうちって人が多すぎる。(めまいがするほど今更)
そこが大好きなはずなのに。
っていうか、異分子が一人居るせいか、ホントに居心地が悪い。
っていうかっていうか、とにかくアイツが嫌いだ。
嫌いだ、嫌いだ。
人を嫌いな気持ちが気持ち悪くて、自分も嫌いだ。
嫌いだと心が連呼している自分が大嫌いだ。
ベッド(二段)にうつ伏せに転がってぶつぶつ考え込んでいたら、ばたんとドアが開いた。
「あきちゃん、あきちゃん、遊んでー、遊んでー」
「ねえねえねえ、サッカー教えて、サッカーしてしてえ」
弟と妹がまとわりついてきた。
っていうか、いや、2人とも可愛いんだけど、ちょっと今は。
勘弁してくれえ。
普段家に居ないせいか、特に2人とも自分が居る時は必要以上にくっついてきたがる。
それにこの部屋は自分1人の部屋ではなく、兄貴と弟との共同で(マンションだし)、もちろん鍵なんか無いから1人になれるわけなんか無い。
切ない。
何とか2人を追い出して(また後でな。今ちょっと疲れてるんだ)、もう今度は布団に潜り込んで枕を頭からかぶった。
泣きたい。
一人になりたい。
もうやだ。
寮に。
寮に帰りたいよ。
渋沢。
「渋沢?」
がば。(起き上がる)
「なに言ってんだよ。俺は」
何でそこで渋沢なんだよお。
でも。
ごめん。(誰に)
ホントの事言って、会いたい。
寮に帰って、コーヒー入れて欲しい。
黙ってそこらへんに座ってたりして、なんか適当に存在しておいて欲しい。
切ない。泣きたい。会いたい。帰りたい。ここに居るのがしんどい。ごちゃごちゃ。
でも、例えば今、この気分で寮に帰って、渋沢が居たとして、だったら自分は例えば例えば今泣きたい気分だけど、泣けると思うか?
ふと自問自答する。
渋沢が居たとして。
やっぱり出来ない。
泣けるわけが無い。
そんな自分ではありえない。
だったらなんで、泣きたい気分なのに、居て欲しい、とか、会いたい、と、同時存在しちゃうんだ。
っていうか。
なんか、改めて考えてみると、何であいつは家族じゃないのに「会いたい」の対象になってるんだ?
なんで?
しばらくベッドの上に座り込んで、ぼんやりと。
と、ノックの音がした。
「あき?入るわよ」
突然我に返る。
ああ、自分はいったい今、何を考えていたんだっけ。(混乱)
というのも委細かまわず、ドアが開いた。
そちらを見て、思わず顔をしかめてしまう。
アイツも一緒について入ってくる。
なにしに。
「ねえあき。彼ちょっとあきとお話したいって」
・・・・・・ああ。そりゃこんな態度のままじゃ、アカラサマだもんな。(つくづく、家では素直な彼だった)
三上はしぶしぶといった様子を隠しもせず、ベッドの端に足を下ろして腰掛け直した。
「じゃあ、あき。後でお姉ちゃんもお話があるからね」
そういって、出ていってしまったので、ムカツク男と2人きりになってしまった。
よけい、気が滅入る。
オトコはそこいらから兄貴の椅子を引っ張ってきて、自分の前に座った。
でも顔を見るのはいやなので、ぷいと目線を背けてそっぽを向く。
「嫌われたもんだな」
ヤツはそう言って、にやりと笑った。
「お前なんか、大嫌いだ」
何の感情もこめずに、言ってやる。
「往生際も、悪いんだな」
ちょっと首をかしげて、自分の顔をのぞき込むように。
「嫌いなんだからしょうがねえじゃん」
実は、けっこう気おされていることを出さないように。
しばらく、オトコはじっと自分の顔を見ていた。
三上は次第に気まずくなってくる。
なんで何も言いやがらねえ。
「・・・・早苗ちゃんは、間違いなく必ず幸せにするよ」
ぴきん。
しゃあしゃあと。ぬけぬけと。く・や・し・い。
「当たり前だ。お姉ちゃんを泣かしてみろ。てめえをぶっ殺してやるからな」
思いっきり、自分に出来る最高の目つきでにらみつける。
が、あんまり効果があった様子ではなかったようだった。
ヤツは、にっこり笑ってうなずいた。
「君を殺人犯にする気は、まったく無いんだ」
いっちっいっちっ、むかつくんだよーっ!!そのものの言い方がさっ!
悔しい。悔しい。悔しい。
嫌い、嫌いだ。大嫌い。
やっぱり悔しくて、やっぱりやっぱり泣きたくて、でも納得したくもないけど、何と自分は安心しているじゃないか。
それがまた、頭にくる。
「安心してくれたようだし、まあいいか。俺のことは時間を掛けて慣れてくれ」
男はそういって、立ちあがった。
「誰が安心なんか、するか!さっさとお姉ちゃんに捨てられてしまえ。お前なんか、一生嫌いだ」
精一杯、憎まれ口を叩きつける。
「また明日」
でもやっぱり嫌いなんだ。
ぷいと顔を背けると、開いたドアから出ていったヤツと入れ替わりに、お姉ちゃんが入ってきた。
少し、ドアの外で、ひそひそとお姉ちゃんとアイツが言葉を交わす声がして、それからお姉ちゃんはドアを閉めた。
今度はお姉ちゃんと2人きりになる。
三上はアカラサマにほっとして、肩から力を抜いた。
やはり、ツッパルのは体力と気力がものすごくいる。
「あーき」
にっこり笑ってお姉ちゃんは、三上の隣にぴったりくっついて座った。
「スネ夫」
ぎゅっと肩を抱きしめて、髪をくしゃくしゃとかきまわす。
小学生の頃のように、もっと小さかった頃のように。
胸がぎゅっと痛くなった。
「結婚したって、べつにあきのお姉ちゃんじゃなくなるわけじゃないのよ?」
「だって・・・・」
やばい。
武蔵森の、指令塔候補はその面影も見せずにうつむいた。
「結婚したら、家にはもういないじゃないか」
「あら。だって」
お姉ちゃんはおかしそうにクックッと喉の奥で笑った。
「あきだって家にはもういないじゃない」
だって。
お姉ちゃんとあの男が並んでいるところを見たくなかったから。
だから見えないところに行きたかった。
ぐっと唇をかみ締める。
言わない。言えない。そんなこと。
いやなことから逃げてしまった自分が、ずっと後ろめたかった。
「あきが家にいなくっても、お姉ちゃんはお姉ちゃんだし、結婚しちゃってもそれは変わらないわよ」
「・・・・・・・・」
それはわかっている。
でも。
そういう事じゃなくて。
それでもゆずれないものがあった。
誰のものにもならないで。ずっと自分たちのお姉ちゃんでいて欲しかった。
自分の、ワガママだ。
知ってる。わかってる。
だからよけい、イヤなんだ。
胸がむかむかするんだ。
嫌いなのは、アイツなのか、それとも自分自身なのか。
お姉ちゃんは幸せになるんだ。
なのに。なのに。
いっそ大声を上げて、泣き喚いてしまいたい。
お姉ちゃん。
でも、そんな事は出来ない。
もう、絶対に。
「・・・・・・・ねえ。あき」
ふと、お姉ちゃんは口調を変えた。
「これね。今まで私、使ってたんだけど。新居は広いからデスクトップ買ったの。あきが使うならあげようかと思って」
A4サイズのノートパソコンだった。
「・・・・・え?」
一瞬、話題の転換についていけなくて、ぼんやりと顔を見る。
「あきねえ、こういうの多分興味あると思うの。ほら、あきは私と好みが似てるから」
好みが似てると言うか、お姉ちゃんの好きなものは何でも興味があったし、真似したかったんだ。
お姉ちゃんが薦めたものなら、絶対間違いなんか、無かったんだ。
でも、確かにそれらのものたちは、今、だいたい自分の、本当の好みになっていってる。
好きな作家、始めたスポーツ、得意教科、食べ物、靴のブランドまで。(飲食については変動中だが)
「モデムもついてるから、携帯とかがあったら通信も出来るのよ。まあ、携帯じゃちょっとコストがかかるけど」
ぱたんと蓋を開けて、中を見せられる。(よくわからない)
「ホントはね、年会費とかかかるけど。でもまあたいしたことないから、そのまま使っていいわ。私のカードで落としておくから。 でも、月50時間は越えないようにしてね。それ以上はけっこうかかっちゃうから」
はい、と手渡される。
けっこう見た感じより、重量がある。
「メルアドはね、私が取ったままになってるの。でも、そのアドレスはもう使わないし、友達にも通知は済んでるから、そのまま 使ってくれていいわ。もしわたし宛にメールがきたら、転送してちょうだい」
・・・・・ってメルアドってなんだ?
しげしげと開けたり閉めたり、ひっくり返したりしてためつすがめつしてみる。
ふーん。
「あき」
「え?」
呼ばれて顔を上げる。
「元気出たっぽいかな?」
「・・・・・・・わからない」
「大事にしてね?けっこういいのだったんだから」
「うん」
新しいものとか、興味があることには、すぐに夢中になって。
一瞬で興味津々の顔になって。
驚くほどの器用さと理解の早さで自分のものにしてしまう。
利発で賢い、自慢の弟。
「さ。ご飯食べよう。ちゃんとあきの分のお寿司も残してあるから」



翌日は、ホントに目が回るような日だった。
お姉ちゃんはもう、かなり早朝から荷物を抱えてタクシーで行ってしまった。
ちい姉とお母さんは、やれ着物が、セットが、ネックレスが、リボンが、バッグが、扇子が、足袋が、と、もう走り回り過ぎてて本人たちも 何がなんだかわからないに違いない。
お父さんと兄貴も、カメラは、とか、ビデオが、とか、タイピンが、とか、やっぱりどたばたしているが、まあこっちはそれほどでも。
っていうか、なんで昨日にちゃんとしておかないのか。(いくらしてても当日はこんなものでしょう)
今一つ緊迫感が無い下3人はボーッとしていて、暇なら初実と要を連れてベランダにでも行っとけと追い出されてしまった。
自分は一応黒のスーツとかを着て(兄貴のお下がり)、ネクタイもちきんとして(制服で慣れてるから)、あと靴も磨いてあるので準備終わり。
弟と妹も、一応それらしい服を着せられて、まあ一応それらしくちんまりとしてはいる。(さすがにこういう時におとなしくするくらいの 分別はつく歳)
天気のいいベランダに3人で座り込んでぼんやりと待つ。
今ごろ、学校じゃ授業中だろうな。今日は、今ごろなら、数学だったろうか。
「ねえ、あきちゃん」
「んー?」
「お姉ちゃん、どんなドレス着るか知ってる?」
「知ーらなーい」
「あのねえ、すごいキレイよ。肩のとこがここまで開いてて、お花のレースが一杯ついてて真っ白」
「初実も着たいのか?」
「着たいー」
「結婚する時になったら着られるだろ」
「初実はお兄ちゃんかあきちゃんのお嫁さんになりたいなあ」
「俺はだめだよ。兄妹だからな。誰か学校で好きなヤツいないのか?」
「んー、多田くん」
誰だよ。
「ねえ、あきちゃんはー?」
「俺か?俺は・・・」
んー、としばし考え込む。
「って、うち、男子校だからなあ。女いねーから、あんまわかんねーよ」
「好きな人、いないの?」
「・・・・・・別にいないな」
・・・・・うん。
「ふうん。やっぱり初実がお嫁さんになってあげようか?」
「いや、いいよ。お前は多田くんのお嫁さんになっとけ。いいヤツだったらな」
「かっこいいよ。あきちゃんみたいなの。サッカー上手よ」
サッカーかあ。
天気が良いからサッカーしたいな。
こんな服着て、こんなモノに出席なんてしてないで。
知らず、またしてもため息をついていた。
「・・・・・あきちゃんの方がかっこいいよ?」
くす。
「いや、気ぃ使わなくっていいよ。初実」
ったく、うちって仲いいよなあ。(笑)
こんな俺を、みんなが見たらどう思うんだろう。
笑うかな。びっくりするかな。
あいつはどんな顔をするかな。
よいしょっと、妹をひざに抱き上げて、ぐりぐりとおでこをこすりつける。
「あきちゃん、痛いー」
「初実のでこー」
ぐりぐりぐり。



一応、観念したので、おとなしく座っていた。
観念したからって、だからと言って一足飛びにヤツとの事を祝福できる訳でもないけれど。
お姉ちゃんの趣味だったのか、チャペルでの式だったので、誓いのキスを親族席から見ないといけないのが死ぬほど辛かった。
なんで親族席ってこんなに新郎新婦が見えやすいんだろう。
なるべく、眉間にしわを寄せないように。
なるべく、不機嫌さを全開にしないように。
讃美歌を歌う時も、指輪の交換の時も、ひたすら下を向いていた。
あまりロコツに向いている訳にも行かなくて、顔はなるべく前を向きつつ、目線はずっとひざだった。
なのに、誓いのキスの時に、ちい姉と初実がまたご丁寧に「ほらほら」とか言ってひっぱるもんだから、見たくもないのに見てしまった。
ベールを上げるヤツの指。
ヤツと見詰め合う、お姉ちゃんの誇らしげな瞳。
誓いのキスは、厳粛で、三上を徹底的に打ちのめした。
その後、ぞろぞろと外に移動した時も、なんだかがっくり落ち込んでいて、ちい姉に引っ張られるままに うつろな気持ちでついていっただけだった。
鐘が鳴って、ドアが開き、お姉ちゃんがあいつと腕を組んで出てくる。
三上の後ろに立っていたちい姉が、突然大声を張り上げて乗り出した。
「お姉ちゃん!!こっち、こっち。私!!」
「夏穂!ほら!」
お姉ちゃんが、手に持っていた花束を、力いっぱいこちらに向かって投げ上げた。
が、少し届かない。
「落ちる!だめ!あき!!」
ちい姉に、どすんと突き飛ばされて、反射的に走り込み、なんなく受け止めた。
甘いピンクのバラと、カスミソウを固くまとめたブーケだ。
「ほら」
ちい姉に渡してやると、嬉しそうに胸に抱いて、花に顔を寄せた。
「あんたが受け取ってちゃ、効果が無いかしらね」
「効果って何の?」
「次に結婚できるのよ」
「でもちい姉ちゃん、まだ結婚なんてしないだろう。高校生じゃん」
「でもお姉ちゃんのブーケは絶対欲しかったんだもん」
「取れて良かったじゃないか」
「そうね。ありがと。やっぱりブーケトスは絶対落としちゃだめよね。なんか縁起悪そうだもんね」
そんなジンクスがあるなんて、知らなかった。
女って、いろいろ知ってるんだな。
甘いピンクの、バラ。
お姉ちゃんの幸せ、そのものの色。
ちい姉に近寄って、いっしょに顔を花束に近づけてみた。
「あんまりニオイしないんだな」
「これは香り用のバラじゃないのよ。見て奇麗なバラなんだから」
「違いがあるって事も知らなかったよ」
バラに種類がある事さえ。
漢字クイズでしか知らなかった。
本物を改めて見た事だって、無かった気がする。
お姉ちゃんに、こんなに似合う花だって事も。
ぜんぜん知らなかった。




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