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科学的認識の進展による

二元論の復活


解釈

解釈は理解した対象の他との関連の認識であり、全体での関係の認識です。
理解は分かることであり、解釈は納得することです。
「分かっちゃいるけど止められない」は、理解は出来るけれど、納得し切れていない状態です。
「解釈」は理解に基づき、理解できない対象、未知の対象を含む認識です。
ですから解釈は検証できません。
理解できない対象、未知の対象を含むのですから、それらは世界全体の解釈によって補います。
世界全体の解釈による対象評価です。

世界の解釈が世界観であり、イデオロギーです。
個々の物事はともかく、世界を理解することは出来ませんが、様々な秩序を理解することでその全体としての世界を解釈します。
人々はそれぞれの解釈に基づき選択し、判断しています。選択、判断の基準はイデオロギーと呼ばれます。
ですから、「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。重要なことは世界を変えることである。」とマルクスに叱られますが、世界解釈は生活指針でもあり大切なのです。
東欧社会主義国が次々崩壊してから「自分の解釈が間違っていた」と生活態度を変える人が大勢いるようです。
人々はコミュニケーションによって理解を共有し、一つのイデオロギーを抱き、また、対立もします。
理解を深めるのではなく、解釈を一方的に押しつけて、イデオロギーは暴力にもなります。

解釈はパラダイムです。
パラダイムはトーマス・クーンによる「あるひとつの時代の人々の考え方を根本的に支える模範、規範、典型」です。クーンは「科学の進歩はパラダイム・シフト(移行))である」と提唱しました。
パラダイムを解釈とするなら科学の進歩とともに世界解釈、世界観の変遷を認めることが出来ます。
しかし、認識としての科学はより普遍的に発展してきたのであって、シフト、変遷はしていません。物理学の歴史*でもあります。
アリストテレス力学*の「物体は静止が本来の有り様で、力が働くことで運動する」は摩擦、「落下速度はその物体の質量に比例する」は空気抵抗を考慮していない日常経験での観察に基づきます。
ガリレオ力学*は日常経験を超えて実験により落体の加速運動を明らかにしました。
ニュートン力学*は万有引力によって加速運動することを明らかにし、天体運動にまで範囲を拡張しました。
アインシュタインの相対性理論*はニュートン力学が日常の運動と重力範囲に制限されていて、光速度、太陽重力ほどになると時間も、空間も伸び縮みする宇宙空間に拡張しました。
量子重力理論*は極微の素粒子と極大の宇宙構造をなす重力の関係にまで拡張しようとしています。
科学教育を受けた者ならアリストテレスを非科学的だと笑えますが、古代ギリシャ哲学であっても、光線に浮遊するホコリを観察し、運動するには隙間が必要であると論理的に考えるだけで原子論を発想しました。
解釈は変遷しても、理解は次第に深まり、普遍化します。

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暫定版:2023.08.28